第二王女の心境の変化
アリスが担っている公務の中で、一番重きを置いているのが児童養護施設の運営及び管理である。これは不遇な少女時代を過ごしたナタリーが平民に近い感覚を持っていた為に、貧民に寄り添ったものとなっている。アリスは母の願いを尊重し、この事業だけは絶対に継続したいと思っていた。アリス自身は飢えとは無縁で生きており、心から理解出来ているかと言われると答えるのは難しい。また母の辛い過去を尋ねるのは忍びなく、ナタリーの本心はわからない。しかし公務引継時のナタリーの表情を見た時、アリスには不十分に思える環境が、それでも十分なのだというのは理解出来た。
アリスはこの事業の重要性をヨランダに理解させる自信がなく、ナタリーに同行を依頼していた。ナタリーは快く引き受けてくれ、母娘三人で王宮を出る初めての経験となった。ナタリーは常に夫が選ぶ王妃に相応しい格好ではなく、修道女を思わせるような質素なワンピースに身を包んでいる。
「世の中には貧しい生活から抜け出せない人々がいるという現実だけは覚えて欲しいわ」
ナタリーは移動中の馬車の中でヨランダに微笑みかける。しかし甘やかされて育ったヨランダにはナタリーの言葉が響かず首を傾げるのみ。
「私達が贅沢な暮らしをしているのはお父様が弛まぬ努力をしているからよ。それでも手が届かない所はある。私達はそこに手を差し伸べるの」
「お父様は別に何もしなくていいと言っていたわ」
エドワードは息子達には其々将来レヴィ王国の為に行動をして欲しいと願っているが、娘二人は別段公務をしなくてもいいと思っている。それは歴史上王女が公務をしていないのだから、無理にする必要はないという判断だ。しかしアリスは自ら志願し、その気持ちは尊重している。ヨランダに関してはアリスの気持ちを尊重する為に支援はするが、嫌ならしなくてもいいという立場だ。
「ヨランダが引き継がなければ私に戻すだけだから勿論好きにしていいわよ」
ナタリーは微笑みを崩さない。それは別にヨランダに圧をかけているわけではなく、本当にそう思っているのだ。ナタリーの公務が増える事をエドワードは嫌がるが、彼女はそれを承知の上。特にこの児童養護施設に関しては自分程向いている者はいないとさえ思っている。
馬車が止まり、三人は馬車を降りる。アリス以外の人がいて子供達は騒めくが、一定以上の年齢の子供達はナタリーの顔を覚えており笑顔で王妃様といいながら彼女の元へ駆けていく。母には敵わないと困ったように微笑むアリスの周囲には小さな子供達が集まってきた。その様子をヨランダは戸惑いながら見つめる。
ヨランダは貴族の家に茶会で訪れる事はあっても王都を歩いた事はない。実質今日初めて平民の生活を垣間見たのである。何故このような質素なワンピースを着せられたのだろうと思っていたが、子供達は彼女が纏っている物とは比べられない。むしろ彼女に言わせれば襤褸だ。それでも子供達は誰一人悲観そうな表情をしておらず、心からナタリーとアリスの来訪を歓迎している。
「レティ、これは何?」
ヨランダは馬を繋いで護衛の任に就こうとしたスカーレットに声を掛けた。
「事故など色々な事情で親と別れざるをえなかった子供達です。親の庇護なく子供だけで生きていくのは難しいので、運営費の一部を王妃殿下が負担しています」
スカーレットもまた何不自由なく生活してきた。彼女の両親も不自由はしていない。故に彼女もここにいる子供達の本当の苦労はわからない。それでも親がいなければ生きるのは難しいという想像は出来る。また、そういう子供達が何とか生き延びる為に盗みを働くというのも多かった。それが児童養護施設で子供達の面倒を見るようになってから窃盗が減っている。児童養護施設は王都の治安維持に一役買っているのだ。
「母の予算が使われているの?」
ヨランダは何も知らなくて聞き返した。スカーレットは問いに頷きで応える。ナタリーは元々贅沢に興味がないので王妃の予算を使いきれない。衣服を定期的に新調するのは経済活動に必要だとエドワードに言われて任せているものの、それでも余ってしまう。それで慈善事業に回し始めたのだ。王妃が慈善事業をすれば、他の貴族達も黙っている訳にはいかない。
「今はアリス殿下も予算の一部をこちらに回しています」
ナタリーが王太子妃時代にはじめた公務は初等学校設立事業だ。しかしそれはフリードリヒが興味を持ったので途中で引き継がれ、手伝い程度にとどまった。王妃になり母国も落ち着いて心に余裕が出来た彼女は、色々と考えた末に児童養護施設事業に辿り着いたのだ。これについてもエドワードは難色を示したが、ナタリーはライラをはじめ知恵を借りられそうな人々に相談をし、最終的には王妃の公務となった。
「私の予算が減るのは困るわ」
ヨランダはナタリーやアリスと違い、着飾るのが大好きである。ただ予算は絶対だ。娘に甘いエドワードであるが、ヨランダがいくらおねだりをしても増額してはくれない。
「公務をするのと予算を回すのは別だと思います。さぁ行きましょう」
ナタリーとアリスは子供達と共に施設内の広間へと移動を始めていた。今日はヨランダに児童養護施設を知って貰う事が目的の為、スカーレットはヨランダを広間へと案内をする。たとえ公務としなくても、たまに顔を出すだけでも意味があるとナタリーとアリスは考えているのだ。
広間では小さい子供達は行儀よく座り、アリスの絵本の朗読を聞いている。十歳以上の子供達は布や古着を手にしてナタリーに群がっている。
「あの布をどうするの?」
「服を仕立てるのですよ」
「仕立てる?」
ヨランダは首を傾げた。子供達が手にしているのは長い布ではなく切れ端だ。王都にある仕立屋で捨てられる端材をこちらの職員が集めてきた物である。古着の寄付もあるが、なかなか全員に着せる量というのは集まらない。だから自分達で切れ端を縫い合わせて服に仕立てるのだとスカーレットは説明をする。ヨランダは子供達の服が襤褸に見えた理由をやっと理解した。
「子供が仕立てられるの?」
「何事も慣れですよ。自分や年少の子の服を作り続けて、仕立屋に就職した子もいます」
「ここから仕立屋に?」
「えぇ。児童養護施設は十五歳で出ないといけません。仕事の斡旋までが公務の範囲になります」
この施設では最低限の生活だけでなく読み書きや簡単な計算も教えている。国民全員が差別をせずに受け入れてくれるかは難しいが、極力差別をしない場所への就職斡旋を心掛けている。また、学力が高い子は大学進学を見据えて勉学に励む道も用意されていた。
「それをお母様やお姉様が一人で?」
「いいえ。王宮で多くの人々がこの事業に関わっています。補佐をするのは事業に携わっている一人になります」
今日は試用期間の一日目という事で、まだ補佐の男性はいない。そもそもまずは児童養護施設を見てみなければ、補佐が何を説明しようと理解出来ないだろうというアリスの判断である。アリス自身、言葉だけでは想像が出来なかったのだ。
「それでも王妃殿下によれば、レヴィ王国の貧民はましらしいです」
スカーレットの言葉にヨランダは怪訝そうな表情を向ける。自分の生活とはかけ離れた世界が目の前にあるのに、この生活がましとはとても思えない。
「特に酷いのはローレンツ公国みたいですね」
「リチャードお兄様を怒らせた人の国ならわかる気がする」
ヨランダはリチャードの結婚相手に興味はない。それでもヒルデガルトの良くない話はアリスから聞いていた。
「国民がいなければ王国は成り立たない。全ての国民が誇れるレヴィ王国に」
ヨランダは子供達を見ながら呟いていた。それは家庭教師に教わった、エドワードが目指しているレヴィ王国の理念である。聞いた時は特に何とも思わなかったが、目の前の光景はそれを少し理解させてくれた。彼女の心に炎が灯る。
「少し興味が出てきたわ。レティも絶対に手伝ってよ」
「勿論です」
やはり血は争えないのだとスカーレットは思いながら頷いた。
「ところでその耳飾り、大好きね?」
「はい、気に入っています」
スカーレットの耳には今日もグレンに貰った耳飾りが輝いている。揶揄おうと思ったのに、普通に返されてヨランダは面白くない。
「結婚しても公務は手伝ってくれるのよね?」
「私はまだ結婚するつもりはありません」
スカーレットの返事にヨランダは訝しそうな視線を送る。一方スカーレットは不思議そうな顔をした。
「どういう心境なのよ?」
「今の私に出来る事を何でもやろうと思っています」
「あぁ、そう。よくわからないけれど、公務を手伝ってくれるなら何でもいいわ」
ヨランダはスカーレットを一瞥した後、アリスの側へと近付いて子供達の輪へと加わる。スカーレットはヨランダの言いたい意味がわからないまま、三人を近衛兵として見守り続けた。




