気分の上げ方
グレースを見送った後、スカーレットは考えてみたものの上手く纏まらない。彼女は机の上に便箋を置き、筆記具を片手に頭に浮かんだものを文字にしていく事にした。
どうしても譲れないと聞いて最初に浮かんだのは平和。これは両親の願いであり、その為の行動を幼い時から見てきたスカーレットにとって当然のものである。戦争を知らない世代だからこそ平和の大切さをわかって欲しいとライラは常に言い、ジョージも鍛錬を怠らず国境警備も厳しくしている。現在レヴィ王国を脅かすような国はない。だがローレンツ公国はいつ崩れてもおかしくない状況だ。いくら女性が政治に関わらないとはいえ、ヒルデガルトは何も知らなかった。しかもリチャードがヒルデガルトを娶りたいと望んでいるかのように情報が歪められていた。
その件についてはアレクサンダーから近衛兵として報告が上がっている。茶会の場所変更や付添の話など、ヒルデガルトは自分の我儘が当然受け入れられると思っていたらしい。そしてリチャードとの縁組が破談になるや狙いをグレンに定めた。何の成果もなく手ぶらで帰国するのが嫌だったらしいのだが、アレクサンダーやエミリーの行動のおかげで、ヒルデガルトは結局何も出来ずに帰っていった。スカーレットもそれに同情する気はない。
万が一グレンがヒルデガルトと一緒にローレンツ公国へ行っていたとしたら。スカーレットは筆記具をくるくると回しながら考える。グレンが望むのなら祝福しただろう。しかし彼女は祝福と書いて首を捻る。その文字はあまりにもしっくりこなかった。たとえグレンが望んだとしても、ヒルデガルトの性格とローレンツ公国の危うさを知っている以上祝福は出来ない。彼女は文字を上から塗り潰した。
もしもの話を考えるのではなく、今の状況を考えようとスカーレットは軽く頭を振る。そして脇に置いてある箱に視線を移した。それは舞踏会用にと貰った耳飾りが入っている箱だ。それを受け取った時の状況を思い出す。グレンは少し申し訳なさそうにしながらも、彼女の手に箱を乗せた。似合うと思うから身に着けて欲しいと。彼女は箱を開けて耳飾りを見つめる。小さな耳飾りはさり気ないもので、どのような場で身に着けていてもおかしくない品だ。自分の事を考えて選んでくれたに違いない。
そう考えてスカーレットは気付く。自分はグレンの為を思って何かを選んだ事がないと。今までそれほど多くの贈り物を貰ったわけではないが、礼を言うだけで何も返していない。たとえ彼が贈りたいから贈るのだと言っているからといって、何も返さないでいい訳がない。彼女はまた自分の気の利かなさにげんなりする。
スカーレットは気が利かない、周囲の視線を気にし過ぎ、恋愛感情がわからない、と自分の欠点をつらつらと書いて筆記具を置いた。そして小さくため息を吐いた後、再び筆記具を持つ。後ろ向きの考えでは前へ進めない。進む為には前向きな事を書かなければと思うのに、彼女の手は動かない。自分の長所が思い当たらなかったのだ。
何かないかと部屋を見回し、スカーレットは化粧品に目を留める。それはウォーレンが押し付けたものだが、彼が認めた者にしか販売されない為に希少品。ちなみに彼女は購入しているわけではなく、彼から美しさを損なうなと耳が痛いほど言われて押し付けられたものだ。
しかしスカーレットにとって美などたいして意味はない。美しいと褒められた所で、それが何になるのかわからないのだ。ライラもアレクサンダーも整った顔立ち故に、彼女の美的感覚は一般とは異なるがそれを認識出来ていない。また、ジョージがライラの顔ではなく性格を気に入っている事にも影響を受けている。自分のやりたい事をやって生き生きとしている母と兄は、彼女にとって憧れだ。
自分のやりたい事は何だろうと考えるが、スカーレットの脳裏には何も浮かばない。手持無沙汰に筆記具で円を描くが、その形は非常に歪だ。その形を見て彼女は自虐的な笑みを零す。譲りたくない平和の為に、自分に何が出来るのかさえ浮かばないのだ。もしかしたら平和でさえ、両親がそう思っているから思い込んでいるだけで、自分の意思ではないのかもしれない。
スカーレットはケイトの言葉を思い出す。兄以上に思えないのならば解放してあげるべき、それは理にかなっている気がした。しかし一方でグレンは横に居て欲しいと願っている。どちらの言葉を優先したいかといえばグレンなのだが、自分が彼の横にいて二人とも幸せになれるのかと言われると答えられない。
ヨランダと児童養護施設の公務を引き受ける話は確定している。結婚するので辞めますとは言えない。そしてこれ以外の近衛兵としての仕事は未定だ。アリスは引継ぎを順序良く進めており、護衛の仕事がなくなるのは時間の問題。オリバーにもやりたい事を伝えなければいけないのに、何も思い浮かばない。
スカーレットは紙をくしゃりと丸めると屑籠に捨てた。結局グレンと結婚するからと、何も考えていなかったのだと痛感したのだ。その癖それを受け入れられずに婚約を延長している自分の中途半端さが本当に嫌になった。
ため息を吐いた後、スカーレットは窓へと視線を移す。グレースが来たのは午前中で、今は昼を過ぎた頃だ。彼女は部屋の中で考えていても何も思い浮かばないと、立ち上がって王都へと向かう事にした。
ゆっくりと王都を歩きたかったので、スカーレットは栗色のかつらをつけて帽子を被っていた。金髪のままで王都を歩くと目立ってしまうのだ。彼女の家族は流れる血など気にせず平気で王都を歩くので、彼女もまた一人歩きに困る事はない。
偶然にも市の日で広場には色々な露店が出ている。ライラやウォーレンが煩かった事もあり、スカーレットの審美眼と味覚は一流だ。王都の露店が庶民向けのものだと理解した上で、彼女は歩きながら露店の商品を見る。そしてある露店の前で足を止めた。そこには色々な銀細工が置かれている。まだ粗削りで個性的ではあるが、将来を期待出来そうな品揃えだ。
「これはお兄さんの手作り?」
スカーレットは店番の男性に問いかけた。男性は笑顔を浮かべる。
「そうです。親方からやっと許可が出て今日初めて出店したんですよ。どれも一点ものなのでいかがですか?」
男性は瞳を輝かせながらスカーレットに商品を勧める。好きな事をしている人は何て輝いているのだろうと思いながら彼女は商品を見つめた。そしてひとつの商品に釘付けになる。
「そうね、これを貰おうかしら」
「ありがとうございます」
男性は商品を袋に包み、スカーレットは代金を尋ねる。
「お姉さんの笑顔が素敵なのでお安くしておきますよ」
男性に言われてスカーレットは笑っていた事に気付いた。確かに先程までの悶々とした気分も晴れている。気に入った物を買うのはこれ程気分が上がるものなのかと彼女は驚く。
代金を支払ってスカーレットは楽しい気分で王宮へと戻っていった。




