突然の来訪者
「はいはーい。グレースさんの訪問よ」
スカーレットは休日に笑顔で現れたグレースに無表情を向けた。恋愛小説を読まないのなら返して欲しいとは言われていたが、急に訪ねてくるとは思っていなかったのだ。しかもグレースはまるで父親を彷彿させる陽気さである。
「どうかしたの?」
「まずは紅茶でもてなして」
そう言いながらグレースはスカーレットの部屋に入ってくる。スカーレットは納得いかないながらも、友人の希望を叶える為に紅茶の準備をした。
スカーレットが淹れた紅茶を口に運びグレースは微笑む。スカーレットはグレースの行動の意味がわからないまま、袖机の上に置いてあった恋愛小説をテーブルの上に置いた。
「本当に読まないの?」
「ごめんね。興味がなくて読めないの」
グレースは残念そうにしながら恋愛小説を受け取った。昔は貴族だけの娯楽であった読書であるが、エドワードの治世では平民の識字率も上がり、平民向けの恋愛小説もある。彼女は貴族向けも平民向けも読み、特に気に入った本を選んでいた。しかし恋に恋い焦がれる彼女の好みは、平凡な毎日に突然現れる運命の男性との恋愛だ。既に婚約者のいるスカーレットでは共感が得難かったかと反省をした。
「ケイトの話を聞いたわ」
スカーレットの幼馴染の中で女性はアリス、ヨランダ、グレース、ケイトだけだ。全員スカーレットより年上であるのに、アリス以外決まった相手はいない。恋愛小説好きという共通の趣味があるのでケイトとグレースは仲が良い。しかし仲が良いのなら、何故グレースはグレンを好きだと言っていたのか、スカーレットにはわからない。
「ケイトも片思いが長くて拗らせているの。責めないであげてね」
「グレースがグレンを好きって言っていたのはケイトの為?」
「顔は本当に好みなのだけれど、それもあるわ。ケイトの気持ちを知ったらジミーが面倒でしょう?」
妹の為なら命も惜しくないと言い出しそうなジェームズの事だ。何か画策するかもしれない。しかしジェームズとグレンは仲が良いので、ケイトはその仲を壊したくないのかもしれないとスカーレットは思った。
「恋愛は難しいわね。両親も兄達も恋愛結婚だから私もそうするべきだと家族は思っているけれど、見つけられる気がしないわ」
「結婚相手を決めて欲しいの?」
「決められているのに踏み込めない誰かを見ているから、それも悩むわ」
グレースに笑顔でそう言われスカーレットには返す言葉がない。
「前から思っていたけれど、どうしてレティはそれ程自信がなさそうなの?」
「え?」
「王家の血を継いでいるのに家名を持たない状況というのはわかるわ。けれどそれはレヴィ王国の法律の問題であり、貴族なら誰もが知っている話」
グレースの言葉にスカーレットは頷く。この法律はレヴィ王国建国時からあるものなので有名だ。しかもジョージは十八歳で総司令官となっているので、彼の存在を知らぬ貴族などいない。特にジョージと同世代以上の者にとって、彼はシェッド帝国との戦争に勝った総司令官という認識だ。更にエドワードが重用しているので、ジョージを軽んじる者など今のレヴィ王国にはいない。
「剣の腕は私にはわからないけれど一流なのでしょう? それに学力も申し分ないわ」
「私は兄程優秀ではないから」
「それ」
グレースはスカーレットに厳しい視線を向ける。しかしスカーレットは、何がそれなのかわからない。
「アリス殿下やアレックスと比べて勝てる訳がないわ。そもそもアリス殿下がレティを側に置いているのは、レティが優秀な証拠でしょう?」
そのような事はないとスカーレットは思ったが口には出さなかった。アリスが王位継承権を要求した後の母の行動も、彼女は当てられずアレクサンダーが当てた。少し考えれば確かにそうなのだが、その答えに辿り着けなかったのは今も悔しい。
「あとエミリー様も良くないと思うわ。息子は放任主義なのに、レティには構い過ぎるのよ」
グレースの言葉にスカーレットは首を傾げた。スカーレットにとってエミリーは乳母であり、第二の母である。将来義母になるのだから別段不思議にも思っていない。
「ウォーレン様も煩いらしいわね。レティの思考を止めて嫁にしようだなんていいはずがない」
「私は別に思考を止めていないわ」
「えぇ、止めなかったから婚約期間を延長したのでしょう? このままでいいのか不安で」
グレースに真剣な眼差しを向けられ、スカーレットは迷ったものの頷いた。誰にも打ち明けられずに悩んでいたが、グレースには話してもいいような気がしてスカーレットは口を開く。
「どうしても未来が見えなかったの」
「ヒルデガルト嬢の態度が酷かったと聞いたわ。それについてはどう思ったの?」
「公国は多分長く持たないわね」
スカーレットの言葉にグレースは表情を無にした。想定していなかったわけではないが、まさかヒルデガルトのグレンに対する態度ではなく、ローレンツ公国の話が先に出るとは思わなかったのだ。グレースの突然の無表情にスカーレットは慌てる。
「私、おかしな事を言ったかしら?」
「えぇ。グレンやレティに対しての態度が面白くなかったかを聞いているの」
グレースに言われてスカーレットは考える。ヒルデガルトの態度はアリスを始め、全員に対して酷かった。あまりの非常識さに呆れたとしか言いようがない。アレクサンダーを潰された事は納得していないが、彼が女装をして通訳したのは極秘任務であり、グレースに言う訳にはいかなかった。
「公国に帰ってくれてほっとしているし、もう二度と来てほしくないとは思う」
「リチャード殿下の結婚話が纏まった事についてはどう思う?」
「それは従兄妹として安心したわ。パウリナ殿下は可愛らしい女性だったしね」
アレクサンダーが誤訳をしたのが結果的に纏まったという話はスカーレットも聞いた。二度とこのような過ちを犯さないように、公国人の通訳は一切しないとアレクサンダーはオリバーに言っていたが、近衛兵の仕事に通訳は含まれないので二度とする事はないだろう。
「そう言えば母がリックにはグレースが合うのではないかと話していたわよ」
「やめてよ。私は王妃になる器ではないわ」
スカーレットの言葉をグレースは笑顔で一蹴した。グレースは家族に愛されて育ったが、自分の身の程は弁えている。それにリチャードを異性として意識していなかった。
「ライラ様は賢いけれど見立ては微妙ね。リチャード殿下と私を縁組させようなんて誰も思っていなかったと思うわ」
「私も聞いた時に合わないと思ったの」
「それならレティは私と誰が似合うと思う?」
グレースは笑顔で問いかける。しかしスカーレットには難し過ぎる質問だ。
「自分の気持ちもわからないのに、他の人なんてわかるはずもないわ」
「それならグレンとケイトは似合うと思う?」
グレースは笑顔のままだ。スカーレットは質問の意図がわからず訝しげな表情を向ける。しかしグレースは無言のままスカーレットを見据える。スカーレットは視線から逃れるように俯いた。
「わからない。けれど、グレンの隣にいたケイトはとても楽しそうだった」
窓から覗いた二人は知り合いでなければ恋人に見えたかもしれない。スカーレットはグレンの隣であれ程楽しそうに笑う自信がなかった。幼い頃は確かに笑えていたのに、今は上手く笑えないのだ。
「レティも舞踏会の時楽しそうだったわよ」
グレースの言葉にスカーレットは視線を上げる。
「無意識だったの? グレンと踊っている時とても楽しそうだったわ。だから纏まったと思ったのにジミーが違うと言うから、こうして来たのだけれど」
「ケイトの発言を受けてきたのではないの?」
「レティを心配して来たのよ。グレンと結婚するかはレティが決めればいいけれど、自分が相応しくないという的外れな考えがあるのなら壊そうと思って」
スカーレットは言葉にするか迷ったが、ここまで打ち明けたのだからすべて話そうとグレースを見つめる。
「私が嫌なら公爵位は弟に譲るとグレンは言っているの。だけどグレンにはリックを支える側近であって欲しい。グレンの人生を変えるような事はしたくないの」
「グレンにしてみれば、レティが横にいない人生なら他はどうでもいいでしょうけど」
グレースの言葉にスカーレットは驚く。確かにグレンから横に居て欲しいと言われたが、そこまで思っての言葉とは受け止めていなかった。
「グレンがレティを大好きなのは見てればわかるわよ。だから私は顔が好きと気軽に言えて、ケイトは表に出せなかった。レティも周囲を気にせず自分の気持ちと向き合うといいわ」
「自分の気持ち?」
「そう、レティの気持ち。エミリー様やウォーレン様だけでなくグレンさえも忘れて、レティが今後歩きたい未来を考えればいいのよ。独身を謳歌したいと言うのなら私も付き合うわ。どうせ相手がいないからね」
グレースは楽しそうに微笑んだ。スカーレットは以前ジョージから聞いた言葉を思い出す。絶対に譲れないもの、それを真剣に考える時が来たのだと思った。




