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王女の思惑 女性護衛騎士の憂鬱  作者: 樫本 紗樹


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迷宮 再び

 スカーレットは髪をひとつに結び部屋を出る。昨夜アリスとヨランダに色々と言われた為、耳飾りだけでなく飾り紐さえ着けられなかった。彼女は未だグレンとの将来がはっきりと見えてない。彼との気持ちの差もわかってはいるが、彼が普段使い出来そうだと選んでくれた紺色の飾り紐に罪はないし、使わないのは彼の優しさを踏み躙るような気がした。それでもどうしても着けられなかったのだ。

「おはよう、レティ」

「おはよう」

 グレンがにこやかに挨拶をするのでスカーレットも応じる。どうして毎日会うわけでもないのに、今日に限って会ってしまうのだろうと彼女は内心気が気でなかった。

「アレックスが起きているか知っている?」

「兄上はまだ怪しいわ」

 話題がアレクサンダーだったのでスカーレットは安堵する。実際は自分の送った物を何も身につけていない彼女を見てグレンが落胆していたのだが、それに気付かなかった。

「少し話したいから一緒に来て」

「わかった」

 アレクサンダーは非常に寝起きが悪い。特に今回のように長時間眠った後は、手が付けられない程暴れる時がある。だがスカーレットとライラの声には反応をするので、どうしても用事がある場合にはどちらかを伴って訪ねるのが安全だ。

 アレクサンダーの部屋の扉を叩きグレンが声を掛けるも、返事はない。グレンが困ったようにスカーレットに視線を送り、彼女は兄を呼ぶ。すると唸りながらも返事があった為、グレンが扉を開く。

「まだ寝たい」

 アレクサンダーは掛布に包まり、二人に背を向けたまま告げた。格好いいと各方面から言われる彼の、このような姿を知っているのはごく一部だ。何でも持っていて怖いと言っていたが、寝起きの悪さは減点でしかないとスカーレットは思っている。

「悪いがパウリナ殿下の通訳を頼めないか」

 グレンの言葉にアレクサンダーは枕を投げつけた。眠いと駄々をこねている割には勢いのある投げ方で、グレンは全身を使って必死に受け止めた。

「背を向けたまま的確に投げられるなら動けるだろう?」

 アレクサンダーは寝返りを打ち、非常に不機嫌そうにグレンを睨む。顔が整った人間の不機嫌な表情ほど怖いものはない。だが、グレンもスカーレットも何度も見てきた姿なので怯んだりはしない。

「まだ頭が働かないの?」

 スカーレットは優しく問いかける。この状態の兄には子供をあやすような声の方が届くと彼女は経験上知っていた。アレクサンダーの視線がグレンからスカーレットへと移った時、不機嫌さは少し軽減していた。

「通訳、辛い。母上で」

 アレクサンダーは今にも眠ってしまいそうだ。彼は眠ってしまうと暫く起きない。グレンは慌てて彼に近付いた。

「ライラ様には頼めない。リックの将来がかかっているから」

 リックという言葉にアレクサンダーは反応をする。重そうな瞼を開こうと努力をしているようだが、勝てそうには見えない。

「夕方からパウリナ殿下を訪ねる事になっている。出来たらリックの言葉を通訳して欲しい」

 一応ボジェナに同席をお願いしているが、出来ればアレクサンダーに通訳をして欲しいとグレンは思っていた。リチャードは思っている事を口に出さない時がある。ボジェナはそれを汲み取れない。しかし幼なじみとして育ち、そういう機微に敏いアレクサンダーなら上手く通訳してくれると思ったのだ。

「兄上、私からもお願い」

 リチャードとパウリナの一連の流れは、エドガーを通してアリスの所へ届いていた。その内容をスカーレットも昨日の夕食時に聞いている。アリスもまた、ボジェナが通訳では纏まらないかもしれないと心配していたのだ。

「起こせ。やる。枕」

 アレクサンダーは眠そうなままそう言って手を出す。グレンは礼を言いながら枕を彼に返した。受け取るとすぐにアレクサンダーは寝息を立てる。

「やはりまだ回復していないか」

「それでも一応やると言ったから、やってくれると思うわ」

「今までで一番酷いな。ヒルデガルト嬢は一体何をしてくれたのか」

 グレンはため息を吐いた。メイネス語を話せる者はレヴィ王国にほぼいないので、他に頼るのは難しい。アレクサンダーが間に合うようにと、今日の夕方で予定を押さえたのだ。万が一復帰しなければボジェナに頼むが、同行予定のグレンがリチャードの心を読んでボジェナに伝えると言う、おかしな事態だけは避けたい。ヒルデガルトさえ居なければ話は簡単だったのにとグレンは思わずにいられなかった。

「我儘言いたい放題だったとは聞いたわ」

「アレックスは繊細な所があるからきつかっただろうな」

 グレンはアレクサンダーに同情の眼差しを向ける。女装をして通訳というアレクサンダーの任務は何も得られなかった。ただ疲れるだけの仕事など、苦痛以外の何物でもない。本当にローレンツ公国から婚約者候補として受け入れる必要があったのか、グレンはエドワードの判断を疑う。

「アリスも申し訳ない事をしたと反省していたわ」

 アリスは面白半分で提案した事が、アレクサンダーの負担になってしまった事に心を痛めていた。しかし二人は話し合って決めたのだ。ヒルデガルトの通訳をグレンがするのはおかしい、スカーレットの立場もないという意見の一致の元で。

「ちなみにエミリーの毒はどうなったの?」

 スカーレットは気になっていた事を口にした。本人に聞くのが早いとは思ったのだが、いくら下剤とはいえ、それを飲ませたと聞いて近衛兵として聞き流せない気がしたのだ。

「何事もなくレヴィ王国を出発したよ。ローレンツ公国に入ってから何が起こったとしてもこちらの責任ではない、らしい」

 ハリスン家は公爵家としての歴史が長い。当主ウォーレンは清廉潔白ではあるが、間諜を抱えていない訳ではない。各地に置いている間諜に指示を飛ばすくらい簡単だ。そしてウォーレンお抱えの間諜達は、近衛兵にも劣らないという噂だ。きっと証拠が残らないように手が回してあるのだろう。

「母上は舞踏会で少し溜飲が下がったとは言っていたけれど」

 アレクサンダーが必死にヒルデガルトを押さえていた時に、エミリーは自らヒルデガルトに近付いた。そしてグレンの母だと名乗ったのだ。代理通訳の時とは違う装いと、その時に散々スカーレットを貶していた話をつらつらと口にするエミリーに、ヒルデガルトは不快感をあらわにした。しかし公国の娘と公爵家の嫁では身分的に大差はない。しかもエミリーは普段からレヴィの貴族女性と付き合いがあるのだ。小娘の相手など取るに足らない。

「見送りもしたのよね」

「駄目押しらしい」

 スカーレットは一瞬ヒルデガルトに同情しかけたが、苦しそうに眠るアレクサンダーを見てその気持ちを捨てた。誰もが酷い態度だとわかっていながら咎められなかったのを、エミリーは自分の立場を使って対応したに過ぎない。

「パウリナ殿下との婚約が調えば、彼女の立場はないわね」

「もう関わる事は一生ないだろう。国境は固く閉ざされているし」

 グレンの言葉にスカーレットは頷く。レヴィ王国への出入りが厳しく管理されるようになったのは、帝国時代のシェッド皇太子のせいだ。今はもうその憂いはなくなったのだが、入出国の厳しさは維持されている。正式な招待がない限り、ヒルデガルトは二度とレヴィ王国へ足を踏み入れられない。

「本当に必要だったのかしら、あの人への招待状は」

「陛下の考えはわからない。だが、無意味な事を非常に嫌う方だ。何かしらの狙いはあったのだろう」

 スカーレットもエドワードが考えもなしに招待状を送ったとは思えない。しかしどれだけ考えても納得のいく理由は思い当たらなかった。

「そろそろ勤務時間だ。付き合ってくれてありがとう」

「リックの話、うまく纏まるといいね」

「あぁ」

 スカーレットはアレクサンダーの掛布を掛け直す。そして二人は彼の部屋を後にした。

「レティ」

 用事が済んだのでアリスの部屋へと向かおうとしたスカーレットをグレンは呼び止める。彼女は振り返ると首を傾げた。

「舞踏会でのレティは綺麗だった。他の誰とも比べられない程輝いていた。それでも着飾るのは嫌い?」

 近衛兵の軍服を着ている時、スカーレットは化粧をしない。舞踏会に出席をし、彼女が気にしているほど周囲は身分を気にしていないのはわかった。だからといって貴族令嬢のように着飾りたいか、と問われれば興味がないとしか言えない。

「好きではないかな」

「そう」

 グレンの表情が寂しそうでスカーレットは胸が苦しくなった。しかしどう言えば彼が笑ってくれるのか、彼女にはわからない。

「遅くなったらエドガーに怒られるから行くよ。またね」

「えぇ」

 スカーレットはグレンを見送り、アリスの部屋へと歩き出す。歩きながら、耳飾りと飾り紐は保管してあると言えばよかったのかと思い当たるが、正解という気がしなかった。しかしアリスには話したくない。彼女はまた出口の見えない迷宮に頭を抱えた。

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