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王太子の執務室にて

「姉上が王位継承権を要求した」

 王太子に宛がわれた執務室で、リチャードは表情を曇らせたままそう呟いた。室内には三人の側近と一人の近衛兵がいるが、驚いた表情をしたのはオースティンとグレンだけだった。

「何度も励まれた方が宜しいと進言したはずですよ」

 エドガーは笑顔を浮かべながら冷静に告げる。スミス公爵家嫡男エドガーはこの中で最年長の二十六歳。二十一歳の頼りないリチャードを側近として補佐している。その冷静さにオースティンが反応する。

「その言い方ですと、スミスさんは知っていたという事ですか?」

 オースティンはベレスフォード公爵家嫡男で、十五歳からリチャードに仕えている。元々領地クラークで育った為に、ここにいる人達とはまだ距離を縮められておらず、言葉遣いは丁寧だ。

「私がアリス殿下について知らない事などない」

「その発言はどうかと思いますけれど」

 エドガーの言葉にアレクサンダーが呆れたような声で返す。端から聞けば妙な発言でしかないが、事情を知っている者からすればそれほど不自然でもない。

 エドガーとアリスは幼い頃から仲が良い。昔はアリスがエドガーと結婚するのだと憚らなかった。しかし十歳辺りから急に言わなくなり、それからアリスは勉強に力を入れ、成人してからは公務に励んだ。そして一向に婚約の話が出ない。王女の婚約は遅くとも二十歳までに決めるのが慣習であるにもかかわらず、だ。元々エドワードが大切にしている娘の為に誰もが黙認しているのだが、幼い頃から仲が良い者達は、二人はいずれ結婚すると思っていた。

「本当は幸せな家庭を築いて子供もいる予定だったのです。殿下には私を労って欲しいですね」

 エドガーも公爵家嫡男として二十六歳まで独身でいるのは決して褒められた事ではない。しかし彼は他の女性など一切興味を持っていなかった。それを彼の父であるリアンも許している。彼の弟は結婚して息子もいるので、スミス家の将来は一応安泰だ。

「姉上が本当に王位に就いたら、エドガーはどうするのだ」

「その場合はアリス殿下を支える立場になるかと思います」

「そこは姉上を止めるべきではないのか」

「アリス殿下を止めるのは難しいので、殿下の教育に力を注いだのですけれども」

 エドガーは笑顔のままだ。彼の外見は母親似であるが、性格はどちらにも似ていない。家族ぐるみで仲良くしていた子供達の最年長だったからか、長男の立場で皆を見ている。特にリチャードには側近以上に世話を焼いていた。

 エドガーの言葉にリチャードは俯く。リチャードもここまで努力はしてきたが、元々の素質が足りないと自覚していた。そしてそれを父にはっきりと言われてしまい、どうしたらいいのか判断出来なくなってしまったのだ。

「アリス殿下に王位を譲ってもいいと思われているのでしょうか」

 黙っていたグレンが言葉を発した。彼はリチャードに思う所があるのだが、それは表に出さずに側近として仕えている。リチャードは思いやりのある青年であるが、上に立つ者としては思い切りに欠ける。レヴィ王国は国王の独断で政を動かしてはいないものの、最終決定権は国王が持っているのだ。せめて王位は譲らないという強い思いを抱いてほしいとグレンは思っていた。

「私はレヴィ王国の明るい未来の為に最善の道を選びたい。それに私は姉上と争いたくはない」

「殿下の優しさは長所でしょうけれど、短所でもありますね」

 リチャードの答えに落胆しているグレンを差し置いて、淡々とアレクサンダーが言葉を挟む。本来なら近衛兵が口を挟むべきではない。しかし彼は裏向きでは四人目の側近である。エドワードの指示の為、アレクサンダーは任務を全うしているだけだ。勿論、ここにいる者は全員知っているので誰も咎めない。

「姉上は私利私欲の為に王位を欲しがる人ではない。私では至らないと、そう思われているはず」

 リチャードは一向に視線を上げない。エドガーは席を立つとリチャードの隣まで行き、机を軽く叩くとその場に屈んだ。エドガーはたとえ兄のように振舞っていたとしても、リチャードを見下すような立ち位置は取らない。

「争いはここにいる誰も望んでいないでしょう。しかし、そういう声がある事実はご存じですよね?」

 机を叩かれて、リチャードは視線をエドガーに向ける。エドガーは無表情だ。常に皆の兄であろうと、笑顔が多いエドガーの表情が落ちるのは心から怒っている時だけ。リチャードは背筋が凍った気がして口を開けない。

「殿下が独身であるのも影響しているとは思いませんか?」

 エドガーの問いに、リチャードは困ったような表情を浮かべる。

「それは、姉上も独身ではないか」

「私達は結婚します。ただ、その形が確定していないので婚約が出来ないだけなのです」

 エドガーの言葉を聞いて他の四人は驚く。エドガーはいつも結婚については言葉を濁していたのだ。しかしはっきりと言葉にした意味を、リチャードは捉えきれない。

「普通は降嫁するものではないのか?」

「普通とは一体何を根拠にしているのでしょうか。レヴィ王国の為に出来る事は何か、しっかりと考えるべきです。考える時間は有り余る程あったはずですから」

 そう言うとエドガーは立ち上がり、自分の席に戻る。そして何事もなかったかのように机の上に書類を広げて仕事を始めた。リチャードはエドガーに何も言う事が出来ず、困って他の三人に視線を向ける。

 オースティンはエドガーに倣って仕事を始め、アレクサンダーは近衛兵の顔に戻って扉の前に控えた。視線を向けられたグレンも逃げようかと思ったが、流石にそれは良心が痛んだ。

「殿下、気分は乗らないかもしれませんが仕事は待ってくれません。まずは目の前の仕事を片付けるべきではないでしょうか」

「そうだな。考えるのは夕食後にする」

 リチャードは苦しそうに微笑むと目の前の書類に手を伸ばした。グレンもそれを確認してから自分の仕事の書類を広げつつ、アリスの思惑を考え始めた。

 今朝スカーレットに会った時に、グレンは特に異常を感じなかった。スカーレットはアリスが今朝この話をする事を知らなかったのだろう。しかしアリスは突発的に行動する人間ではない。グレンは前からアリスとエドワードは性格が似ていると思っていたのだ。叶えたい望みがあるのならば、用意周到にするはずである。

 口ぶりからしてエドガーは全て承知の上で、リチャードの側近として働いていたのだろう。本当にアリスを王位に就けるつもりならば、側近を辞めてしまった方が早い。現在レヴィ王国には公爵家が五家あるが、その中でもハリスン家とスミス家の力が強い。王位を奪う気があるのなら、この二家を従えた方が勝ちだ。しかしエドガーが嫡男でも当主であるリアンが生きている以上、家の考えをどうにか出来るものではない。それはグレンも同じで、ハリスン家の決定権は当主であり宰相でもあるウォーレンが持っている。

 グレンはエドガーが発したもうひとつの言葉も引っかかっていた。彼はリチャードが独身である理由に思い当たるものがあったのだ。しかしそれは彼が許容出来るものではないので、見て見ぬふりを続けていただけに過ぎない。

 グレンは考えるのをやめた。エドガーはリチャードの側近であるが、オースティンやグレンの仕事の進捗にも口を挟む。この執務室を仕切っているのはエドガーなのである。グレンも考えるのは仕事が終わってからにしようと、目の前の仕事に集中した。

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