舞踏会
舞踏会会場は多くの人で賑わっていた。グレンとスカーレットは会場に入ると、王族席の近くへと真っ直ぐと歩いていく。しかし彼女は会場にいる人々の視線を感じて不安に襲われていた。
「やはり貴族ではない私がこのような格好はよくないのかしら」
「レティの盛装に皆が驚いているだけだ。胸を張って歩けばいい」
グレンはスカーレットを安心させようと優しく微笑む。彼女も小さく頷いた。
「血の尊さで言えば私よりレティの方が上だ。不安になる必要はないよ」
スカーレットも頭ではわかっている。彼女は父親が王弟で、母親がガレス王国の公爵家出身。一方グレンは父親が公爵家の三男で、母親は肩書こそガレス王国の伯爵家出身だが実質平民である。
「それに私はレティと一緒に参加できて嬉しい」
グレンは本当に嬉しそうだ。スカーレットは婚約者でありながら、一度も彼と舞踏会に参加しなかった事を申し訳なく思った。
スカーレットがどう返そうか悩んでいるとグレンが足を止めた。二人は既に王族席の傍まで来ており、そこにはアリスが待機していたのだ。アリスはスカーレットに気付くと満面の笑みを浮かべた。
「レティ、とても綺麗ね。ライラにドレスをお願いして正解だったわ」
「ありがとうございます」
スカーレットは恥ずかしそうに微笑む。周囲に人がいる以上、従姉妹として接するわけにはいかないが、慣れない褒め言葉に表情を繕えない。
「アリス殿下もとてもお綺麗ですよ」
「当たり前よ。これはエドガーと相談して決めたドレスなのだから」
グレンの言葉にアリスはにこやかに答える。アリスは元々この舞踏会で婚約を発表するつもりだった。王位継承権を請求すれば、すぐにリチャードが王太子は自分だと言い切り、しっかりすると思っていたのだ。予想は外れたものの、アリスはリチャードの将来を前向きに捉えている。
「そのエドガーはどうしたのでしょうか」
「こちらの準備を終えた後でグレースを迎えに行ったわ。付添なく会場に入るのは可哀想だからと」
アリスは複雑そうな表情を浮かべた。エドガーだけでなくスミス家全員がグレースに甘い。アリスも端からグレースを妹と思っているので勿論エドガーの気持ちもわかるのだが、今日は自分の隣にずっといて欲しいとも思ってしまう。
「ところでヒルデガルト嬢が見当たらないのだけれど」
アリスは寂しさを紛らわせようと話題を切り替えた。彼女の耳にもヒルデガルトの我儘の話は届いていたが、結果は聞いていない。そしてパウリナはメイネス大使と共に会場入りしているのに対し、ヒルデガルトやその説得に行ったジェームズとアレクサンダーの姿もなかった。
「ジミーは自信満々でしたよ」
アリスはグレンの顔をまじまじと見る。そしてスカーレットと見比べて小さくため息を吐いた。ジェームズも上位貴族らしい整った顔立ちをしているが、華があるかと言うと目の前の二人には及ばない。
「ジミーも悪くないのだけれど、グレンの代わりになるかと言うと難しいわね」
「姉上、少し慎んで下さい」
アリスの後ろからリチャードが声を掛ける。彼女は弟に視線を向けた。
「お父様が挨拶をするまで舞踏会は始まらないわ。王族席で何を言っているか聞き耳を立てる者なんていたらアビーが口封じをしてくれるわよ、ねぇ?」
アリスは控えていたアビゲイルに声を掛ける。会場は多くの人で賑わっており、開始前に王族席に近付ける者は近親者だけだ。賑わいの中で彼女達の声を遠くから聞き取るのは至難の業である。しかしアビゲイルはアリスの言葉を聞き流し、一点に集中していた。
「噂の女性、いらっしゃいましたよ。派手な深紅のドレスです」
アリスは扉の方へ視線を向ける。アリスに向き合っているグレンとスカーレットは扉に背を向けていたが、あえて二人とも振り返らなかった。この大勢の中、後姿だけで個人を特定するのは難しい。
「あら、アレックスと二人で入ってくるなんて勇気があるわね」
アレクサンダーは化粧を控えめにしているので、元々の美形は鳴りを潜めている。とはいえ、整った顔立ち自体は隠せていない。女装中のアレクサンダーと二人で会場入りした事で、周囲は様々な感情を抱えた視線を送る。通常、女性二人で舞踏会の会場に入る事はないのだ。
「男女だから正しいのでしょうけれど」
「あのアレックスを男性と見抜ける者がこの会場にどれだけいるでしょうか」
アビゲイルはヒルデガルトから視線を外さずに受け答えをする。アレクサンダーは腕の立つ近衛兵であるが、女装中である以上騒動があっても動けない。アリスに危害を加えるような事になっては大変だとアビゲイルは緊張感を纏わせる。
「私も近衛兵の方が良かったでしょうか」
「レティはそちらの方が正しいわよ」
アリスにそう言われスカーレットは首を傾げる。スカーレットには皆がそういう理由がまだわかっていない。
その時、アリスの後ろの扉が開いた。エドワードとナタリーの入場である。会場に流れていた音楽が変わり、皆が歓談をやめて視線を国王夫妻に向ける。アリスとリチャードは両親の方に向かい、グレンとスカーレットはハリスン家の立ち位置へと移動をする。仕切りはないが、家格によって立ち位置は決まっているのだ。パウリナはサリヴァン夫婦の側に立ち、ヒルデガルトは公爵家の一角へとアレクサンダーに誘導された。
宰相ウォーレンの挨拶、国王エドワードの挨拶の後で、アリスの降嫁について発表された。スミス家の所に居たエドガーはアリスの元へと行き、二人には会場から温かい拍手が送られた。スカーレットも心から二人に拍手を送る。
「アリス、本当に幸せそう」
「そうだね」
楽団の音楽が切り替わり、エドワードとナタリー、そしてエドガーとアリスが踊り出す。二組が踊り終われば後は自由である。リチャードは恒例になっている、初参加の貴族女性達と踊り始めた。本来なら招待をした女性二人を優先するべきだろうが、ヒルデガルトからは踊りたくないと言われており、パウリナからは目立ちたくないので最後でいいと言われた為である。
「私達も一曲踊ろう」
グレンに誘われスカーレットは頷く。剣を振るのが好きな彼女であるが、踊りも得意である。幼い頃はよく練習として踊っていたが、彼女が成人してからは初めてだ。
「久しぶりで緊張するわ」
「レティは上手だよ」
グレンは踊りながら嬉しそうにそう言った。スカーレットも踊るのが楽しくて笑顔を浮かべる。気になっていた視線も踊っているうちに気にならなくなっていた。
『私の誘いを無視するなんてどういう事なのよ』
楽しそうに踊っている二人の空気をまるで無視して、ヒルデガルトが声を掛ける。当然スカーレットには何を言っているのかわからない。しかし疲れ顔のアレクサンダーがスカーレットに通訳をする。
『婚約者と参加する事を咎められるいわれはありません』
グレンは強めの態度でそう告げた。ウォーレンさえ見放しているのだ。阿る必要は一切ないと彼は判断していた。
『婚約者は護衛でしょう?』
『えぇ、彼女がアリス殿下の護衛であるレティです』
グレンは隣にいたスカーレットの腰に腕を回して微笑む。突然の行動に彼女は困惑するも彼から堂々として、と耳打ちをされ懸命に取り繕う。一方ヒルデガルトはスカーレットをまじまじと見つめ、暫くしてから怪訝そうな表情を浮かべた。
『え?』
『盛装をした彼女は美しいでしょう? 私の自慢の婚約者です』
グレンは蕩けるような視線をスカーレットに向ける。二人が密着した事により、アレクサンダーは距離を置いてしまったので、彼女は公国語の内容がわからない。しかし堂々とするのが正しいのだろうと彼女も笑顔で受け止めた。
一方ヒルデガルトは返す言葉が見つからないのか、口をわなわなと震わせるのみ。スカーレットはよくわからないながら、自分の盛装がヒルデガルトを黙らせたのを何となく理解した。
『婚約者のいない者も多く参加しています。他の男性とも話をされたらいかがでしょうか』
『あの男と同じ事を言わないで』
グレンはジェームズが何を言うか知らなかったが、どうやら同じ提案をしてしまったらしい。ヒルデガルトを気に入るかはわからないが、ローレンツ公国より経済状態のいい家の独身男性は何人かいるのだ。
『私達は他に挨拶をしなければなりませんのでこれで失礼します。アレックス嬢、あとは頼む』
グレンが一礼をするのでスカーレットも慌ててそれに倣う。アレクサンダーは勘弁してほしいと内心思いながらも、友人と妹の邪魔をこれ以上する気もないので、グレンに目で了解と合図を送りヒルデガルトに向き合う。
「良かったの?」
ヒルデガルトに背を向けて歩き出したグレンにスカーレットは小声で問う。
「アレックスに任せた。私達は皆と一緒にアリス殿下の祝福をしなければいけないからね」
「兄上も一緒が良かったわ」
スカーレットは視線を伏せる。兄に面倒を押し付けてしまったのが引っかかっていたのだ。
「アレックスはアリス殿下の依頼を遂行しているのだから仕方がない。それに結婚式もあるから」
「そうね」
アリスは内輪だけの結婚式をする予定だが、招待するのは幼なじみとその家族だけ。スミス家の庭園で行われるとはいえ、気心の知れたものだけの結婚式と聞いてスカーレットも楽しみである。
スカーレットはアレクサンダーに申し訳ないと思いながらも、初めて参加する舞踏会をアリスや幼なじみと楽しく過ごした。




