癖のある婚約者候補
「アレックス、本当にその格好で行くつもりか」
グレンはアレクサンダーの格好を見て眉を顰めた。しかしアレクサンダーは笑顔だ。
「アリス殿下からの依頼を断ると母が煩い」
「近衛兵としては大丈夫なのか?」
「兵長の許可は得ている。むしろ笑顔で送り出された」
アレクサンダーの言葉にグレンの表情が険しくなる。アレクサンダーは中性的な顔立ちだ。しかし今は化粧をし、全身を覆うワンピースを着ている。声色まで変えられるので男性だと気付くのは難しいだろう。アレックスという愛称が男女どちらにも使える事から、アレクサンダーは女性として自然に振舞えるように訓練していた。
「近衛兵は何でもありなのか」
「陛下の意に反する事は出来ない。今回は陛下も許容しているという事だろう。公女ヒルデガルトの通訳は簡単に任せられないだろうし」
「公国語では普通なのかもしれないが、聞いただけでは男性名みたいだ」
レヴィ王国は大国なのでレヴィ語しか話せないものが多い。それでも他国出身者の名前をレヴィ語の発音に置き換える事はしない。ただ、聞き慣れない名前だと呼ぶのを避ける事はある。
「愛称ヒルデなら女性名の感じがするが、呼ばせはしないだろうな」
「どのような女性なのだろうか」
「情報によると高慢らしい。グレン、気を付けろよ」
「失礼な態度は取らない」
「そうじゃない。惚れられるなよ」
アレクサンダーの忠告にグレンは首を傾げた。
「普段の通訳はアレックスの担当だ。気を付けるならアレックスだろう?」
「俺は女装を見破られるつもりはない」
「私も誤解を招くような事はしない」
「そうだといいわね」
アレクサンダーは急に声色を変えた。その言い方がグレンには引っかかる。しかしアレクサンダーはそれを無視して笑顔を向けた。
「さぁアリス殿下の所に参りましょうか」
アレクサンダーは女性のふりを始めたのだろうと思い、グレンはそれ以上何も言わず、二人はアリスの部屋へと向かった。
部屋についてアレクサンダーが扉を叩くと、スカーレットが扉を開けた。
「待っていたわ、アレックス。レティとは違うけれど美人ね」
「ありがとうございます」
アレクサンダーとスカーレットは少し似ているが、他人と言われれば納得する程度だ。アレクサンダーは今回女装をし、アリスの侍女として勤めている侯爵令嬢という肩書で通訳をする。スカーレットとは血が繋がっていないように見せるべきだろうと、あえてそういう化粧をしていた。
「快く引き受けてくれて嬉しいわ」
「アリス殿下のお願いに私が逆らうはずがないではありませんか」
「あら、もう女性なのね」
アレクサンダーは声色も話し方も女性である。
「露見すると大変なことになるでしょうから、かの方がレヴィ王宮を出るまでは暫くこのままでいようと思います」
「面倒な事をお願いしてごめんなさい。グレンをヒルデガルト嬢の側に置き続けるのは気が引けたの」
「私ならいいのですか?」
「アレックスは何事も上手く躱すもの」
アリスは笑顔でそう言うとアレクサンダーも微笑みを返す。グレンは無表情でそれを聞き、スカーレットはアリスが何を言いたいのかわからない。
「ところでアレックスは一体何ヶ国語を理解するの?」
「それはアリス殿下にもお教え致しかねます」
「実はメイネス語もわかるのではないの?」
「さぁ、どうでしょう」
アレクサンダーは微笑みを崩さない。アリスもこれ以上聞いても引き出せないと思い、小さく息を吐いて会話を終わらせた。このように何も引き出せないからこそ、アリスはアレクサンダーに通訳をお願いしたのだ。
「公国語がわかるだけでいいわ。グレンと同等に話せると思っていいのかしら」
「えぇ。一緒に学びましたから」
「そう、それなら早速出迎えましょうか。パウリナ殿下とのお茶会に行かないといけないから」
「既に到着されていたのですか?」
アレクサンダーとグレンは驚く。聞いていた到着時間にはまだ余裕があったのだ。
「二人が来る直前に王宮の門を馬車が通ったと連絡があったの。そろそろ応接間に通されているはずよ」
アリスはそう言うとソファーから立ち上がった。そして扉を出る前に振り返る。
「ヒルデガルト嬢に侍女が付き添っているわ。レヴィ語がわかるかもしれないから無駄話はしないように」
「通訳は連れてこないはずでは?」
アリスの言葉にグレンが反応する。アリスは冷めた目をグレンに向けた。
「話せなくても聞き取れる可能性があるわ。リチャードの将来を潰したくないのなら余計な事は言わないで」
「かしこまりました」
アリスは絶対よと念押しをしてから自室を出る。そして四人は応接間へと向かった。
「遠い所ようこそおいで下さいました。レヴィ王国第一王女アリスです」
アリスがにこやかにそう告げると、アレクサンダーが公国語に訳す。それを受けヒルデガルトと思われる女性は頷き、侍女と思われる女性は一礼をした。礼儀がなっていないと思いながらもアリスは、女性が何か話すのを待つ。
『ローレンツ公国のヒルデガルトよ』
明らかに見下した態度で発せられた言葉をアレクサンダーはそのままレヴィ語に訳す。スカーレットは必死に無表情を取り繕ったが、アリスは想定内だったのかにこやかな表情を崩さない。
「どうぞソファーへお座り下さい」
アリスが勧めるとすぐさまヒルデガルトは腰掛ける。侍女はその横に立ったままだ。アリスもソファーに腰掛けた。
「通訳を二名紹介します。二人とも公国語で挨拶を」
アリスにそう言われて、アレクサンダーとグレンはヒルデガルトに一礼をした。
『アリス殿下の侍女を務めますアレックスと申します。王宮滞在中にヒルデガルト様の通訳をさせて頂きます』
『リチャード殿下の側近をしておりますグレン・ハリスンと申します。リチャード殿下の通訳を担当させて頂きます』
『リチャードは何処?』
リチャードを呼び捨てにしたのでグレンは内心苛立ったが、それを察したアレクサンダーが袖を引っ張って制す。そしてそのままレヴィ語でアリスに通訳をする。アリスも当然面白くはなく、口元に笑みは浮かんでいるものの目が笑っていない。
「リチャードは王太子としての公務があります。明日顔合わせの時間を設ける予定です」
『明日?』
ヒルデガルトは明らかに不満そうな表情だ。
『私が今日来ると知らせてあったのに、どうして明日なの?』
「長旅でお疲れでしょうから、一日余裕を見させて頂いています」
そのままを訳すアレクサンダーに、アリスは丁寧なレヴィ語で応える。その為、アレクサンダーもそのまま公国語に訳した。
『別に疲れていないわ。今から会わせて』
アリスはあくまで対等な関係として丁寧に対応しただけであり、決して謙った訳ではない。しかしそれをヒルデガルトは勘違いしたのか、無理な要求を突き付けてきた。アレクサンダーの訳を聞いて、四人の心の中でヒルデガルトがリチャードの婚約者候補から外れたのは言うまでもない。
「王族の予定は細かく決められています。急な予定変更は認められません」
それでもアリスはなるべく角が立たないよう言葉を選び、それを適切にアレクサンダーが訳す。だがそれを聞いてヒルデガルトが不満そうな表情をした。
『あなた側近なのよね? 今から連れて行ってよ』
『リチャード殿下は夜まで予定が入っています。私もすぐに戻らなければなりません』
グレンはこの我儘には付き合えないときっぱり断った。そもそもこの後リチャードはパウリナと茶会である。グレンはリチャードの元ではなく執務室に戻る為、一緒に行った所でリチャードはそこにはいない。
『挨拶をする時間くらいあるわよね?』
『公務ですからご遠慮下さい』
『それなら貴方が少しもてなして』
ヒルデガルトの言葉にグレンはどう返していいかわからず言葉に詰まる。アリスとスカーレットはやり取りがわからない為、助けられない。
『ヒルデガルト様。私が紅茶を淹れさせて頂きます』
『貴女には言っていないわ。グレンに言っているの』
『私も側近としての仕事があります。アレックスにお願いして下さい』
『仕方ないわね。それなら夕食に付き合ってよ。それならいいでしょう?』
グレンは困惑してアレクサンダーを見る。しかしアレクサンダーは忠告はしただろうと目で訴えるだけだ。グレンからすればこの話の流れは想定していなかった。
『明日まで我慢するのだからそれくらい聞いてよ』
グレンが困惑している間に、アレクサンダーはアリスに通訳をする。それを聞いてアリスは呆れながら口を挟んだ。
「弟と会う前に他の男性を誘うのはやめて頂けないでしょうか」
『向こうもどこかの王女と会っているのだから同じだわ』
同じではないと思ったが、どう言えば伝わるのかアリスは必死に言葉を探す。これだから普通が通じない人との会話は嫌なのだと苛立っていると、スカーレットが口を開く。
「グレンは私の婚約者です。二人で夕食は遠慮して頂けないでしょうか」
アレクサンダーの訳を聞いてスカーレットは面白くなかった。妹の珍しい発言をアレクサンダーはそのまま通訳する。するとヒルデガルトはじろじろとスカーレットを見た。今日のスカーレットは護衛なので化粧をせず軍服である。
『そう。それなら今夜は諦めるわ』
とても諦めたという表情をしていないヒルデガルトだったが、そう言われれば追及する事も出来ない。その後、明日の予定を確認して挨拶は終わった。