憂鬱な命令
「あら、飾り紐なんて珍しいわね」
翌日スカーレットが勤務の為にアリスの部屋へ入るなり、アリスは目敏く指摘をした。
「落ち着いた色味なので支障ないかと」
「別に装飾品は禁止していないわよ。私を襲う愚か者なんてこの国に居ないわ」
アリスの言葉にスカーレットは戸惑う。スカーレットもアリスに何かしようと企む者がいるとは思えない。もし居るとすればエドガーに恋をして周囲が見えなくなった者だろうが、その辺りはエドガーがぬかりなく対応している。
「そう言われてしまうと私の立場がないのだけれども」
「レティと私が並んでいると男性の目の保養になる、そういう話よ」
「私は見世物ではないわ」
「残念ながら王女は見世物なの。レティも将来の公爵夫人なのだから、見られるのに慣れる練習と思っておきなさい」
スカーレットは自分がアリスの護衛になった理由のひとつに、人から見られる事に慣れるがあったのだと今気づいた。彼女は生まれた時から王宮の端で暮らしていて、幼なじみとの交流以外はほぼない。彼女は母親が交流嫌いなので気にしていなかったが、立場が違う事から目を逸らしていただけに過ぎなかったのだ。
「公爵夫人だからといって必ず社交しなければならないわけではないと思う」
「妻が至らないと夫が苦労するわよ。リアンのように皆が上手く立ち回れるわけではないわ」
リアンの妻フローラは夫を愛しすぎていて、世の女性全てが夫に気があると思い誰にでも噛みつく。しかしリアンはいい人だけれど異性として魅力を感じさせない。意図的にリアンがそうしているのかは不明だが、そのような人に『妻は俺に惚れているので許して』と言われれば、フローラの行動を咎める方が馬鹿馬鹿しい。しかも結婚して三十年近いのに変わらぬフローラの態度を、誰もが受け入れてしまっていた。
しかしスカーレットはフローラのような行動はしない。むしろ恋愛感情を探しているのだ。夫の為に何もしない妻など、社交界で足を引っ張るだけだろう。
「昨日グレンと宝飾店へ行ったのでしょう? 楽しかった?」
「特には」
スカーレットは素直に答えた。その言葉にアリスはつまらなさそうな顔をする。
「贈り物を貰って嬉しくないの? もしかして剣を貰えば嬉しいの?」
「剣は父に貰ったこれで十分だわ」
スカーレットが腰に佩いている剣は、ジョージが彼女に合わせて作らせたものだ。彼女が今まで使ってきた剣は成長に合わせて常に彼が用意していた。違いはあるがアレクサンダーと同じ職人が作っている。
「それを貰った時は嬉しかった?」
「えぇ」
スカーレットは微笑みながら答えた。アリスは更につまらなさそうな表情をする。
「父の贈り物に喜べる神経が私にはわからないわ。絶対に父よりエドガーからの贈り物の方がいいもの」
「そのような言い方は陛下が悲しむわ」
「悲しめばいいわ」
アビゲイルは二人がやり取りをしている間に準備をしたハーブティーをアリスの机に置く。アリスはすぐにそれを口に運んだ。
「レティは舞踏会で踊っていないわよね?」
「私は貴族ではないので」
貴族なら必ず十五歳の春と秋、どちらからの王宮舞踏会に招待される。しかし騎士はされない。例外は貴族と婚約をしている者で、スカーレットも十五歳以降招待状は受け取っていた。しかし毎回アリスの護衛で参加としていて、特に咎められてはいない。
「次の舞踏会、私の護衛ではなくてグレンの婚約者として参加しなさい」
「何故」
「私を襲う者がいない事は今まででわかったでしょう?」
「昨年は良くても今年は違うかもしれない」
「近衛兵は何十人といるのよ? 絶対に不審者を入れさせないわ」
スカーレットも近衛兵の一員である程度内情を知っている為、アリスに返す言葉がなかった。彼女は新人であり知らない業務も多いが、王族が襲われたとは人生で一度も聞いていない。
「任務に真面目なのは結構だけれど、グレンが何をしているか見てもいないわよね」
「アリスは見ていたの?」
「従姉妹として話したいから、こちらにきて」
アリスは立ち上がると自席からソファーへと移動し、スカーレットに向かいへ座るよう指で合図をする。スカーレットは仕方なくアリスの要求を飲んでソファーに腰掛けた。アビゲイルはハーブティーをアリスの前へと移動させる。
「グレンは婚約者がいるけれど人気があるの。わかる?」
「話は聞いているわ」
スカーレットのあまりの興味なさそうな雰囲気に、アリスはわざとらしくため息を吐く。
「恋愛感情がないのだから嫉妬心もないわよね」
「アリスはあるの?」
「エドガーが他の女性と踊っていて面白いはずがないわ。勿論表には出さないけれど」
スカーレットは、アリスとエドガーは昔からの仲なので嫉妬などないと思っていた。それ故にアリスの言葉が意外だった。
「ドレスの手配はライラに依頼してあるの」
「いつの間に?」
スカーレットは母がそのような依頼を受けているとは知らなくて驚く。
「私にとってライラは叔母ではなく親友なの。頼むのは簡単よ。それにライラも乗り気だったから」
アリスは笑顔だ。スカーレットは昨日ライラとエミリーが妙に張り切っていた事を思い出した。きっと舞踏会で身に着ける宝飾品を買いに行くと思っていたのだ。それならきっちり化粧されたのも、エミリーが何でも買って貰えと言っていたのも納得がいく。そして実際は飾り紐しか買わなかったと聞いて、二人がどこか不満そうだったのも腑に落ちる。
「ライラはレティの為にドレスを仕立てられると、とても楽しそうにしていたわ。親孝行だと思って着てあげて」
「グレンの為ではなく、母の為でいいの?」
「両方よ。アビー、その日はレティの代わりに護衛してね」
「かしこまりました」
アリスの言葉にアビゲイルは一礼して答える。スカーレットは不審そうにアリスを見つめた。
「護衛は要らないのではないの?」
「今回護衛がいなかったから次に狙おう、と思われたら困るもの。それに護衛がいると無駄に踊らなくて済むから楽なのよね」
そんな理由で護衛をさせられていたのかと思うとスカーレットは複雑な気分になった。しかし自分も舞踏会から逃げる口実にしていたのでアリスを責める権利はない。
「着飾ったレティを見たら皆が驚くわよ。楽しみだわ」
「そうかしら」
「グレンとアレックスに挟まれて登場したら注目されるわよ」
「それは遠慮する」
スカーレットは目立つのを得意としていない。グレンと一緒でもどうかと思うのに、兄まで一緒に居たら目立つのは考えなくてもわかる。
「次の舞踏会が楽しみね。リチャードの婚約者候補も参加するかもしれないしね」
「そうなの?」
「昨日の議会で招待状を送る話になったようよ。メイネス王女はボジェナ叔母様で、ローレンツ公女はグレンが通訳するみたい」
「グレンが?」
「最初は赤鷲隊から通訳をという話だったのだけれど、グレンが一番話せるらしいわね」
多分一番話せるのはライラだろう。しかしライラが何ヶ国語も理解している事は一部の人間にしか知られていない。過去にレヴィ語と公国語の辞書が作成されているが、その作成者はグレンの父カイルとなっており、ライラが作り最終確認はフリードリヒがしている話は表に出ていないのだ。そしてグレンは両親から公国語を教えられていた。
「サリヴァン卿が公国語を一番話せると思うけれど」
「夫婦で違う婚約者候補を通訳するのはおかしいでしょう? メイネス語はレヴィではわかる人が極端に少ないから」
それもライラなら問題なく通訳出来るのだが、スカーレットは聞き流す。ライラはリチャードの婚約者候補の話を気に入っていなかった。依頼した所で受けるとは思えない。
「つまり、レティが参加しないのならグレンはその候補者と一緒に舞踏会に参加をするの。面白くないでしょう?」
「通訳なら仕方がないわ」
淡々と返すスカーレットにアリスはつまらなさそうな表情を向ける。
「その公女がリチャードではなくグレンを気に入ったらどうするのよ」
「多分ウォーレンが黙っていないと思う」
「ウォーレンの話はしていないの。レティの気持ち」
「今は何とも言えないわ」
本当に何も感じていないスカーレットを見て、アリスは再びわざとらしいため息を吐く。
「とにかく王宮舞踏会にグレンの婚約者として参加しなさい。命令よ」
また面倒な命令をされたとスカーレットは嫌そうな表情を浮かべた。しかしアリスはそれを無視してハーブティーを口に運ぶ。スカーレットは舞踏会が憂鬱で仕方がなかったが、何とかため息を嚙み殺した。