とある休日
アリスには公務をしない休日がある。その日はスカーレットも休みになる。レヴィ王宮内でアリスが襲われる可能性はとても低い。それにスカーレット程ではないが、アビゲイルも護衛出来るのである。ちなみにアビゲイルが休日の時は、普段ナタリーを担当している侍女が対応する。こちらは護衛の心得がない為、スカーレットとアビゲイルは同時に休まない。
スカーレットは趣味が特にない為、休みを貰っても基本持て余してしまう。それ故に剣を振ってみたり、愛馬と遠乗りをしてみたり、到底貴族女性がしないような事をして過ごす。しかし今日は違う。彼女は母ライラとその侍女エミリーに、鏡台に座らされていた。
「グレンとのお出かけだもの。お洒落をしないとね」
「愚息は置いておきましょう。今日は誰もが振り返るレティ様に仕上げますよ」
アリスが手を回したのか定かではないが、スカーレットとグレンの休みが重なった。それを知った彼が、王都にある宝飾店へ行こうと誘ったのだ。彼女は以前言われた耳飾りを別段欲しいと思っていなかったので最初は断った。しかしいつもならそれで引き下がる彼が、今回は引き下がらなかったのだ。アリス殿下に言われたからだと主張されると、彼女も断り難い。結局二人で出掛ける事になったのだ。そして、それを聞いたライラとエミリーに捕まったのである。
「私もジョージと出かけようかしら」
「ジョージ様は本日議会出席予定ですから難しいですね」
「知っているわよ。どうしてリックの結婚相手候補の話にジョージが出席するのかしら。そもそもリックの結婚相手なんて議題にするものではないでしょう?」
スカーレットの髪を結いながら淡々と答えるエミリーに、ライラは口を尖らせる。ライラはリチャードの事をリックと呼び、義理の叔母という立場以上に彼の面倒を見ていた。それ故に不要な政略結婚の話が出てきて面白くないのだ。
「王太子妃、将来は王妃ですからね。町娘というわけにはいきません」
「私はグレースが適任だと思うのよ。レティもそう思うでしょう?」
鏡越しにライラから尋ねられてもスカーレットは答えられなかった。考えた事もなかったのだ。レヴィ王国内の公爵家なら何の問題はない。そして年齢的に釣り合うのはスミス家のグレースだけである。しかし、その結婚はスカーレットには引っかかった。
「アリスがスミス夫人になるのに?」
「王家とスミス家が近くなりすぎるから問題になる? リスター侯爵家よりはいいと思うけれど」
「ライラ様。狭い範囲で相手を探そうとするのは如何かと思います。そもそも幼なじみなのですから、好意があればアリス殿下のように既に仲良くなっていますよ」
『それを言うと彼が可哀想よ』
『愚息なので仕方がありません』
ライラとエミリーはレヴィ語ではない言葉に切り替えたので、スカーレットには最後のやり取りが聞き取れなかった。この二人は昔から色々な言葉を混ぜて話すので、スカーレットも聞き取れるものもある。しかし今回は聞き取れなかったので、余程自分に聞かれたくない話なのだろうという事しかわからない。
「さぁ、出来ましたよ」
「前から思っていたのだけれど、将来の嫁に敬語はどうなの?」
「私は家族全員にこの言葉遣いですから何の問題もありません」
ジョージとライラは公の場以外では基本敬語を使わない。だからスカーレットも両親に対して敬語を使わない。しかしエミリーは誰に対しても敬語を用い、息子達も母には敬語で話しかけるのだ。
「それにたとえグレンと結婚しなくても、乳母である私にとってレティ様は娘同然ですから。今日は欲しい物全てをグレンに買わせたらいいのですよ」
「それは流石に遠慮するわ」
「遠慮は無用です。それでは行ってらっしゃいませ」
笑顔のエミリーにそう言われ、スカーレットは行ってきますとしか言えず、そのまま部屋を出た。廊下の突き当りの扉を開け、赤鷲隊管轄の裏門へと向かうと、そこには一台の馬車が止まっていた。馬車の前で待っていたグレンは、スカーレットを見つけると笑顔を浮かべる。
「おはよう。今日は一段と綺麗だね」
真っ直ぐ褒められてスカーレットは困惑した。今までグレンからそのような言葉を言われた事がなかったのだ。
「おはよう。何故かエミリーが張り切っていて」
「母は私以上にレティが好きだから。さぁ、行こうか」
グレンが手を差し出したので、スカーレットはそこに手を乗せ馬車に乗り込む。彼女は馬車に乗り慣れていないが、ハリスン公爵家の馬車は非常に乗り心地が良かった。
「今日の議会は参加しなくても大丈夫だったの?」
スカーレットは疑問に思っていた事をグレンに訪ねた。議題がリチャードの結婚相手の話ならば、側近である彼が休んでいいとは思えない。しかし彼は笑顔のままだ。
「側近の休みは前から決まっているから問題ないよ。それにあれは陛下主導だから」
エドワード主導と言われてしまうとスカーレットも納得するしかない。リチャードとその側近が三人揃っていても、エドワードの決定をひっくり返すのは難しいだろう。しかし結婚を未だ前向きに考えられない彼女にとって、リチャードの境遇は受け入れ難かった。
「リックは本当にそれでいいのかしら」
立場上リチャードを殿下と呼ぶが、スカーレットとグレンは幼なじみとして本人から愛称リックと呼ぶ権利を与えられている。彼女は普段なら呼ばないが、馬車内で二人きりなので思わず愛称が零れた。
「本人が決めた事だ。私達側近はリックを支えるだけ」
「だけど」
「それならもしリックが、レティを好きだから王太子妃になって欲しいと言ったらどうする?」
グレンは真剣な表情でスカーレットを見つめる。この話はアビゲイルの仮定の話だと思っていたのに、何故彼まで言い出すのだろうと彼女は不思議に思った。しかし答えはひとつだ。
「私に王太子妃は務まらないし、リックを異性として意識していないわ」
「レティは誰なら異性として認識しているの?」
グレンの表情は真剣なままだ。スカーレットはどう答えていいかわからず、視線を伏せて言葉を探した。しかし彼女が言葉を探し当てる前に、グレンから困ったような笑みが零れる。
「困らせてごめん。私がもっと努力をすればいいだけの話だったね」
「グレン」
スカーレットが視線を上げてグレンを見つめると馬車が止まった。彼は微笑みを彼女に向ける。
「さぁ、着いたよ。レティに似合う物があるといいね」
グレンは馬車を降りるとスカーレットに手を差し出した。彼女は今までこうして付き添われる事がなく、妙な居心地の悪さを感じながら馬車を降りる。そして二人は店内へと入った。
「いらっしゃいませ。奥へどうぞ」
店員はグレンを見るなり奥の部屋へと案内をする。ここでもグレンが腕を出すので、スカーレットはそこに手を添えて、店の奥の部屋へと歩いていった。
その部屋にあるソファーに二人横並びで腰掛ける。店員は色々な箱をテーブルの上へと並べていく。その箱には耳飾りが何十種類と飾られていた。
「揺れない物の方がいいよね」
そう言いながらグレンは小さな耳飾りを手に取った。エメラルドがあしらわれているそれを、彼はスカーレットの耳へと近付け納得したように頷く。
「これくらいなら邪魔にならない?」
グレンはスカーレットに見えるように耳飾りを彼女の視界に動かす。
「と、思う」
スカーレットは任務中宝飾品を一切付けていない。禁止されているわけではないのだが、軍服と合う気もしなかったのだ。あまり乗り気でない彼女の様子を察して、グレンは店員にもうひとつの箱を持ってくるように依頼をする。暫くして彼女の前にひとつの箱が置かれた。
「髪をまとめる物の方がいいかな?」
今日はエミリーが綺麗に編み込んでくれたが、いつものスカーレットは髪を後ろに纏めるだけだ。特に装飾もない紐で結んでいる。目の前の箱には綺麗なリボンや飾り紐が入っていた。
「リボンよりは紐がいいかな」
グレンはそう言って緋色の紐を手に取った。彼女の本名を知っている人間は少ないが、婚約者であるグレンは知っている。
「金髪に緋色は映えると思うけれど、他の色の方がいいかな」
グレンは紺色の紐も手に取って二本の紐をスカーレットの髪に合わせる。そして緋色を戻して、紺色を彼女の前に差し出す。
「紺色なら普段使い出来そうだけど、どうかな」
「どうして紺色に?」
「今の仕事を続けている間は、こちらの方がいいかなと思っただけだよ」
近衛兵が本名を隠すのは、裏方仕事をする際に都合がいいからだ。スカーレットはアリスの護衛という表に出る仕事をしているので隠す必要はない。しかし彼女の本名は幼なじみ達にも知られていなかった。何故なら母ライラが娘をレティとしか呼ばなかったので、多くの人達は本名がレティだと勘違いしているのだ。勿論グレンはそれを知っていて、あえて緋色を避けた。
「これなら使ってくれる?」
「紺色は浮かないだろうから大丈夫かな」
スカーレットの返事を聞いて、グレンは飾り紐を購入する旨を店員に告げる。そして手前の箱を下げさせて、再び耳飾りの入った箱を指し示す。
「耳飾りはどういうのが好き? 先程のはどのようなドレスにも合わせやすそうだと思うけれど」
「ドレスは着ないから」
「そう言わないで」
グレンにそう言われても、スカーレットはドレスを着る気にはなれなかった。踊りは問題なく出来るが、楽しいとは思えない。着飾るのも何が楽しいのかわからない。そんな彼女の考えを彼は感じ取る。
「つけてもらえない物を買っても仕方がない。今日は飾り紐だけにしておくよ」
笑顔なのにどこか寂しそうなグレンの表情に、スカーレットは申し訳ない気持ちになる。それと同時に自分を気遣ってくれる彼の優しさが嬉しかった。
どうして恋愛感情を抱けないのだろう。そしてグレンは自分の何が良くて好きだと言ってくれたのだろう。スカーレットはもやもやした気持ちのまま、彼と共に店を後にして王宮へと戻った。