第一王女の願い
この話だけでも読めるように書いていますが、謀婚シリーズの為、登場人物が非常に多いです。ご了承下さい。
綺麗な金髪を後ろに纏めて軍服に身を包んだ女性は、王宮内にある第一王女アリスの部屋へと向かっていた。彼女の名はスカーレットであるが、近衛兵は本名を隠すしきたりがあり、愛称であるレティと呼ばれている。彼女はレヴィ国軍総司令官ジョージを父に持ち、初めて近衛兵の軍服に身を包んだ女性である。担当はアリスの護衛だ。
「おはよう、レティ」
スカーレットは爽やかな声に歩みを止めた。第一王女の護衛である彼女に気安く声を掛ける人間は限られている。彼女は声を掛けた男性に顔を向けた。
「おはよう、グレン」
挨拶を受けグレンと呼ばれた青年は微笑む。彼はハリスン公爵家当主ウォーレンの甥であるが、将来の公爵家当主の地位は約束されていた。その為に本来であれば公爵家嫡男しか許されていない王太子の側近として働いている。
二人は婚約者である。これはお互いが生まれる前から決められていた。二人の母親、そしてウォーレンによって婚約は整えられ、幼い頃から婚約者として接してきた。しかしスカーレットからしてみれば兄の友人であり、第二の兄という認識である。彼女が成人を迎えた時に結婚をする話ではあったが、どうにも彼女は実感がわかず三年の猶予を申し出た。受け入れられるか不安だったものの、ウォーレンもお互いの母親も、そしてグレンさえも了承してくれた。三年の間に彼女はやりたい事をしようと、アリスの護衛として働き始めて一年が過ぎていた。
スカーレットは改めてグレンの顔を見つめる。暗い金髪に琥珀色の瞳。両親のいい所取りをしたような整った顔立ち。ハリスン家の男性は気難しい者が多い事で有名であるのだが、彼はとても温厚だ。誰に対しても優しく接する。彼女も彼が怒っている所は一度も見た事がない。
スカーレットの友人達は、婚約期間を伸ばすのが不思議でならなかったようだ。実際彼女自身も不思議に思っている。しかしどうしてもグレンに恋心を抱く事が出来なかった。彼女の母親がいつまでも夫を愛おしそうに見つめるのを感じて育ったので、自分もいずれそうなると疑っていなかった。しかし何も感じない。不満はないけれど、それ以上の気持ちもないのだ。
「どうかした?」
「いいえ、殿下の様子はどう?」
スカーレットの問いかけにグレンは一瞬表情を曇らせる。しかし彼女に気付かせる前に彼は穏やかな表情を作る。
「人は急に成長するものではないよ」
現在レヴィ王国を治めているのは国王エドワード。元々レヴィ王国は大国ではあったが、彼の治世で大陸一となり平和を享受している。スカーレットもグレンも、戦争など過去の話としか思えない。有能な者が治めているからこそ、周辺国から攻められずに平和を維持出来るのだ。代替わりで隙を見せるのは許されないが、有能な者の息子が有能とは限らない。エドワードの長男である王太子リチャードは、愚鈍ではないが有能とも言えない平凡な男である。
エドワードも早々にそれに気付き、息子の周りを固めた。公爵家から側近として三人置いただけでなく、近衛兵としてアレックスも側に置いた。アレックスは愛称であり名はアレクサンダー。スカーレットより二歳年上の兄である。アレクサンダーは文武両道であり、顔立ちも整っている。まさに非の打ちどころのない男性だ。
「それでも前進しているかどうかはわかるでしょう?」
「エドガーの努力がいつか実を結ぶといいとは思っている」
エドガーはスミス公爵家の嫡男である。リチャードよりも年上の彼は幼き頃より王太子に仕えていた。グレンはその様子を昔から近くで見ている。
「まるで他人事ね」
「私まで責めたら殿下の立場がなくなってしまう。確かに陛下程の資質はなくても、平和な世の中には穏やかな君主も悪くないと思うよ」
グレンの表情は穏やかで、心からそう思っていると伝えている。スカーレットはそれに関しては同意しかねるのだが、ここで話しても仕方がない。そもそも今は勤務に向かう途中なので、長話をしている場合でもないのだ。だが彼はここで会話を終える気はなかった。
「ところで今度の舞踏会は参加するよね?」
「勿論護衛として参加するわ」
「アリス殿下を襲う輩なんて王宮に入れないのだから護衛は不要だと思うけれど」
「ドレスになんて興味がないもの。それに私は貴族ではないから」
スカーレットの父ジョージはエドワードの異母弟なので王族であるが、総司令官である赤鷲隊隊長になった際に王位継承権を捨てている。これはレヴィ王国の決まりだ。その為に、彼の子孫は王族でも貴族でもなく騎士となる。春と秋に催される王宮舞踏会は王族と貴族しか参加が認められていないが、スカーレットはグレンと婚約しているので参加資格を有している。しかし彼女は本当に興味がなかった。お洒落をするよりも剣を振るっている方が楽しいのだ。そしてそれを彼女の両親は特に咎めなかった。
「婚約者がいるにもかかわらず一人で参加をする私に、何か言う事は?」
「参加したくないのならば仮病でも使えばいいと思う」
スカーレットの言葉にグレンはため息をぐっと堪えた。婚約期間が三年延長されたのだから、彼女の中に占める彼の割合が小さいという事はわかっている。それでも多少は気遣った言葉を望んでいたのだ。
「本当に病気にならない限り不参加は許されない。私はハリスン家を背負っているから」
「殿下も一人なのだからいいでしょう? それとも殿下にお相手が見つかったの?」
リチャードは現在二十一歳である。結婚していてもおかしくない年齢ではあるが、婚約者もいない。他国から打診がないわけではないが、エドワードは息子に判断を委ねていた。政略結婚が不要なほどレヴィ王国は安泰なのだ。
「近衛兵の中で話題になっていないのならば、いないと判断していい」
近衛兵は国軍とは違い、国王及び王太子の私兵扱いだ。護衛として表に立つ者よりも、情報収集をするなど影での活動をする者が多い。当然近衛兵が国王と王太子の一番近くに居て守る存在であり、彼等の目を欺いて秘密を作るのは難しい。
「聞いた事がないわ」
「私も聞いた事がない。それに私は口出しをする権利を持っていない」
「そうね、私も持っていないわ。そろそろアリス殿下の所へ行くね」
「あぁ」
スカーレットは笑顔を浮かべるとアリスの部屋へと向かった。グレンは彼女の後姿を辛そうな表情で見つめた後、リチャードの執務室へと歩き出した。
同じ頃、レヴィ王宮内の食堂では家族八人が席に着いていた。国王エドワードには六人の子供がいる。全て王妃ナタリーが産んだ子であり、その食卓を囲む雰囲気はとても和やかだ。
「お父様、お願いがございます」
朝食を終え、家族がそれぞれ移動をしようとする前にアリスはエドワードに声を掛けた。アリスは二十三歳だが婚約もしないまま王家に留まっている。しかしこれはエドワードが娘を手元に置きたくて手を回した結果ではない。アリスがナタリーの公務を手伝いたいと願っての事だった。
「話を聞こう」
エドワードはまっすぐアリスを捉える。彼もこのまま娘を王家に縛り付けておくのは良くないとわかっている。しかし一番大事にしている娘を誰かに嫁がせるのも気が進まない。本人が言い出すまではと先延ばしにしていた。しかし潮時かと心の中でため息を吐く。
「私はレヴィ王家の人間として国の為に公務をしてきました」
アリスの言葉にエドワードは頷く。彼女は成人を迎えた十五歳からナタリーの代理として色々な公務に携わってきたのを彼も知っている。
「次の王位はリチャードよりも私の方が相応しいと思います。是非私に王位継承権第一位を認めて下さいませ」
和やかだった空気が一瞬にして張り詰めた。エドワード以外の家族は驚きを隠せない。しかしエドワードだけは国王の顔をして平然と娘の言葉を受け止めていた。
「私の弟達は誰も王位を欲しがらなかった。それを娘が欲しがるとは皮肉なものだ」
「私は本気で話をしています」
「王太子がリチャードでは不安、そういう噂は耳にしている」
「陛下!」
リチャードもいるのに何を言い出すのかと、ナタリーは非難するように声を上げた。エドワードは視線を妻に移す。
「ナタリーにはわからないだろうが、資質だけを問うならばアリスの方が向いている」
エドワードの言葉にナタリーは悲しそうな表情を浮かべ、リチャードは俯く。ここで言葉を言い返せない事こそがその証拠であると、アリスは心の中で思った。エドワードは再びアリスに視線を戻す。
「結婚したいと言い出さないのが不思議だったのだが、これが狙いか」
「私は女性の地位向上を目指して公務に励みました。そろそろ女性に王位継承権を認めてもいい時期ではないでしょうか」
レヴィ王家の王位継承権は男性にしか与えられない。長子であっても女性であるアリスは、今の法律のままでは王位継承権を手にする事は出来ない。
「その問題は簡単に答えを出せるものではない。暫く時間を貰おう」
「陛下」
「ナタリー、この件に口を挟むのは許可しない。私の後継は私が決める」
そう言うとエドワードは立ち上がり食堂を出ていった。扉が閉まった音を聞き、ナタリーはアリスに縋るような視線を送る。
「アリス、どうして急に」
「急ではありません。長らく考えて出した話です。私も公務がありますので失礼致します」
アリスも立ち上がり一礼をすると食堂を後にした。食堂には給仕達もおり、彼等は突然の話を同僚達に話し回る。昼前にはこの話で王宮内は持ちきりとなった。