偉大なる双房
物心つく前から、鳴り響いていた音がある。音に揺り起こされたかのように、我は生まれ、覚醒した。我が半身の底部から、軽やかに鳴り響く音は、世界の全てであった。
世界は少しずつ広がりをみせた。
野山を駆けまわる、主の躍動に合わせて、吹き込む風。心地よく我が身を撫でる。自由であった。遮るものはなにもない。我が芽吹きは何ものにも止められない。
この頃にはすでに自覚していた。我は付属であり、主が存在していることを。
我は主と一体である。我が半身の底部から鳴り響く音は、主の生命の鼓動であり、また、主の感情と深いつながりがあるらしい。
やがて、我は覆われ、締め付けられることとなった。風が、自由が奪われた。主の意向であるならば、我に拒む権利はない。不本意であるが従うまでだ。しかし我の成長は止められない。
重力を認知したのはこの頃だ。我が身が成長するにしたがい、不快に下方へ引き寄せられる力を感じた。抗いきれるものではない、と本能で察する。もしや我を覆うものは、主の気遣いか? 覆われている時は重力が幾分かは和らぐ。
我は共存することを決意した。「ぶらじゃ」なるものと。
我は主と一体である。我らの成長は継続していた。次第に、重力の影響を強く感じるようになってきた。重力とは絶対的なものではある。しかし、ただ従うだけというのも癪である。反抗期であったのであろう。我は重力に負けじと、つんと上を向き、天を目指した。
度々、聞かされる言葉があった。我のことを指した言葉だと気がついた時には戸惑いを覚えた。我は付属の身であるが、どうやら我と主とを分けて認識することもあるらしい。
我は「じいかっぷ」なる名を頂戴した。
やがて我の成長は止まった。迎え入れる準備が整ったというわけであろう。我に触れる無骨な手掌。半身の底部から鳴り響く音は、情熱的に奏でられる。主が歓喜していた。主より伝搬されし熱は我を浸食し、身は湿り気を帯びる。滲み出た液体は、我以外とも混じり合い、やがて三位一体となった。無骨な手掌は時に優しく、時に激しく我を揺さぶる。我は縦横無尽に乱れ、舞った。
情熱的な時を経て、穏やかで暖かな時を迎えた。我に吸い付く小さきもの。身の内から、生産され、増殖した生命の力を、過不足なく分け与える。心身ともに充実しており、至福の時を過ごした。おそらく、我はこの尊き営みのために存在し得たと思われる。
大義を成し遂げた我は、幾分か心がまるくなり、重力に対する反抗心が減衰した。抗うことを放棄し、ぶらじゃに身を委ねる。心情に反し、我が身からはまるみが失われた。やがて、ぶらじゃの拘束も解かれ、主にぶら下がり、気ままに重力と戯れる日々となった。
我を撫でる無骨な手掌が懐かしい。愛おしい感触が、昨日のことのように思い出される。もう一度、撫ででほしいと願うは、贅沢な悩みであろうか? 重力を感じることもなくなった。ここしばらくは、横たわる主の上に潰れて、だらしなく座している。
物心つく前から、我が半身の底部から鳴り響いていた音は、弱々しくも、穏やかに我を打つ。かつて、小さきものと共にあった時によく聞いた、眠り歌のように、我をまどろみに誘う。最期によい夢を見れた。
我は主と一体である。まもなく音は消える。我もそろそろ眠るとしよう。
我は全うした。誠に良き生であった。