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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第3章
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97. 誰かに望むこと

ジクジクと疼くように心臓が痛む。

とっくに息は整っているのに、両足は鉛のように重く少しも動かすことが出来ない。

そんな私を罵るかのように鋭い風が頬を刺す。

部活の時間はまだ終わっていない。きっともう井口くんは体育館に戻っている。私も早く戻らなければいけないのに、心と体の双方が拒絶していた。


『ツインテールなんて、やってあげるんじゃなかった!』


先程琴ちゃんに言われた言葉が脳内で再生される。

もう何も考えたくなくて、私は固く目を瞑って唇を噛んだ。怒りとも悲しみともつかない感情で震える両手を頭上にかざす。ぐっと力強く髪ゴムを握り、勢い任せに解こうとした瞬間、後ろから誰かが私の両手を掴んだ。


驚いて振り返ると、そこに立っていたのは予想外の人物だった。鋭めの目は歪み、走ってきたのか肩で息をしている。その表情はいつもの不機嫌そうなものとはまるで違っていた。


「黒沢、くん……」


反射的にその名前が溢れる。

なんでここにいるの? そう言おうとしたが、声が掠れて言えなかった。やがて黒沢くんの姿も表情が分からない程に滲んでいく。


「……ごめん。担任と話してて、これから帰るとこだったんだけど……工藤が、走ってくの見えたから」


気まずくなったのか、黒沢くんは私の手を離して言い訳をするようにそう言った。


「琴ちゃんは……?」


考えるより先に口が動いていた。

あの場面を見ていたなら、泣いている琴ちゃんのことだって見ているはずだ。それなのにどうして、黒沢くんは私を追いかけて来たのだろう。


「あぁ、友達が来てたから大丈夫だと思う」


軽く頷いてそう言った黒沢くんに、そういうことか、と納得する。「そっか」と小さく応え、情けない顔を隠すように俯いた。

黒沢くんが“友達”と言った瞬間、私の頭には皐月ちゃんの姿が浮かんでいた。何の根拠もないのに、私はその予想が正しいことを確信していた。


琴ちゃんと皐月ちゃんはいつも一緒。

……だからつい、目で追ってしまう。ふたりを見ているといつも蓮のことを思い出してしまう。

苦しくて、羨ましくて仕方なかった。


「何があったかは分かんないけど……。きっと、話せば分かってくれるよ」


黒沢くんは優しくそう言ってくれたけれど、私は曖昧に頷くことしか出来なかった。

琴ちゃんを泣かせてしまったのは私だ。本当ならこんな慰めを受けられるような立場じゃない。そんな後ろめたさとは裏腹に心は救われてしまうから、余計に言いようのない罪悪感が募っていく。


せめて、悪いのは私なのだと伝えておきたかった。

黒沢くんの中で琴ちゃんの方が悪者になっていたりしたら大変だ。

私は弁解するかのような口調で黒沢くんに全てを話した。話の順序はめちゃくちゃで、分かりにくいはずなのに黒沢くんは真剣な表情で話を聞いてくれた。


話しながら私は、ただ自分が吐き出したかっただけかも知れないな、と思った。言葉にすればするほど自分自身が状況を理解していけるような錯覚に陥る。

言葉を途切れさせながらもなんとか話し終えると、黒沢くんは難しそうな顔をして少しの間黙り込んでいた。


「俺は恋愛とかよく分かんないけど……気持ちって操れるものじゃないし、工藤のせいじゃないと思うよ」


そう言った黒沢くんの瞳は真剣そのものだった。

ただの慰めではなく本当にそう思ってくれていることがひしひしと伝わってくる。

それでも、お礼を言わずにはいられなかった。


「……ありがとう。黒沢くんは優しいね」


こんな風に誰かに優しくしてもらったのは何時ぶりだろう。人と関わることを避けて、少し歩み寄って傷ついて、それでもいつだって助けてくれる人はいた。

誰かと関わることは怖いけど、全てがマイナスになる訳じゃない。


琴ちゃんが話しかけてくれたこと、私を頼ってくれたことは本当に嬉しかった。……蓮とだって、くだらないことで笑い合った記憶は数えきれない程私の中に残っている。


辛い記憶にばかり押されて、人と関わることを避けて、誰かの優しさを望むことすらしなかった。黒沢くんが来てくれなければ、私はずっとこの場から動き出せなかっただろう。誰にも助けを求められないまま。

話を聞いてもらうことで救われる心があることを、私はいつの間にか忘れてしまっていた。


黒沢くんは口元に控えめな笑みを浮かべて微かに顎を引いた。その口が微かに動いたように見えたが、声は聞こえなかった。


その時、思い出したように冷たい風が私たちの間を吹き抜けた。黒沢くんの短髪をなびかせ、私のツインテールを揺らす。踊る毛先を捕まえて指の隙間に髪を通すと、なんだか吹っ切れたような気持ちが胸に広がった。


「……これ、もう辞めようかな。ツインテールなんて似合うわけないのに、お世辞を間に受けちゃった。馬鹿みたいだよね」


自分で言っているうちに恥ずかしくなって情けない笑みを浮かべると、黒沢くんは不意を突かれたようにキョトンとした顔をした。

どうしたの、と私が聞く前に黒沢くんが口を開く。


「なんで? 似合うじゃん、ツインテール」


想像もしていなかった言葉が鼓膜を揺らし、心臓がどくんと大きな音を立てる。

桃やマネージャーのみんなに褒められた時とは違う感情がじわじわと胸に広がった。単純な嬉しさと、認めてもらえたような安心感と、微かな気恥ずかしさ。


くすぐったくも心温まる想いが傷口を優しく埋める。

折角引っ込んだ涙がまた浮かんできそうだった。

黒沢くんはそんな私に気付いていながらも、優しい笑みを浮かべ続けていた。

まるで泣くことを、私の全てを許すように。

その瞳が温かくて、嬉しくて、私は泣いた。


琴ちゃんに言われた言葉はショックだったけど、きっと話せば分かってもらえる。黒沢くんのおかげで、私はそう信じることができた。



肌寒い風にさらされながら、私は温かくなった心臓を抱きしめて涙を流し続けていた。

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