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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第3章
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95. 駄目な理由

心臓を叩くようなドリブルの音が体育館中に響く。

最初は少し怖かったこの音も、約一年経った今ではすっかり日常だ。中学生の頃はよく蓮の部活を観に行っていたけど、やっぱり高校生の男子とは迫力が違う。


「1on1残り30秒ー!」


体育館全体によく通る声が響き渡り、部員たちは声を揃えて返事をする。自然と反対側のコート脇に目を向けると、手元のタイマーに目を落とす桃の姿が見えた。今日は金色の髪をポニーテールに結んでいる。

真剣な表情からは昨日の緩やかな雰囲気は全く感じられなかった。


他のマネージャーたちも忙しそうに動き回っていて、楽しげに声を上げて笑っていた昨日の姿が嘘のように思える。選手もマネージャーも、いつだって本気だ。

自分がボールに触れないからと言って、手を抜くマネージャーなんてひとりもいない。

みんな、一生懸命バスケをしている人達を応援したくてここに居るんだ。


部員たちの動きを確認してメモを取りながら、頭の片隅でそんなことを考えた。賑やかでパワフルなみんなだけど、部活中にふざけたりしている所は一度も見たことがない。みんな真面目で良い人たちばかりなのに、勝手に苦手意識を持って避けていたなんて申し訳ないな。


ふと小さくため息を吐くと、ガッシリとした体格のキャプテンがコートの端で軽く片手を上げているのが見えた。


「工藤マネー! 1年が怪我したから付き添ってやってー」


キャプテンの横で片膝をついている部員が目に入り、「はい!」と応えながら思考を巡らせる。キャプテンの声色からして、恐らく軽傷だろう。そう思いながらも駆け寄って行くと、座り込んでいた部員は予想通りすぐに立ち上がった。


「悪いな、工藤」


そう言って情けなさそうに笑った井口くんに、私も口角を上げて微笑んだ。


「ううん、全然」




* * *




体育館を出て保健室にやってきたものの、そこに先生の姿はなかった。幸い井口くんは転んだ時に肘を擦りむいただけらしかったので消毒と絆創膏を借りるだけで済む。少し迷ったが、すぐに帰ってくるだろうと思い静寂に包まれた保健室に足を踏み入れた。

茶色い革張りのソファに2人で腰掛けて手当てをしていると、井口くんが申し訳なさそうに口を開いた。


「付き添わせてごめんな。こんなん放っといて大丈夫だって言ったんだけど……」


「ううん、血が出てるし放っといちゃ駄目だよ。それに私がちゃんと見てなかったせいでもあるし」


手元を見つめたまま答えると、すぐさま「工藤のせいじゃないだろ」という声が飛んできた。

井口くんは本心でそう言ってくれているのかも知れないが、私はそうは思えなかった。私が集中してみんなの行動を見ていれば、怪我人なんて出るはずがなかったのだ。

今回は軽傷だったから良かったものの、骨でも折れていたら大変なことになっていた。


しっかりしないと。みんなは遊びでバスケをしてる訳じゃないんだ。ぐっと唇に力を込めると、そんな私の心情に気付くはずもない井口くんが「昨日の話だけど」と静かに言った。

どこか面倒くさそうな口調と表情を思い出し、なんとか平均に保っていた感情がずるずると沈んでいく。


出来れば何も聞きたくなんてなかったけど、私は井口くんの顔を見ないまま「うん」とだけ応えた。


「なんで駄目なのか、教えてほしい。堀崎(ほりさき)のことなら今日断ってきたから」


その名前を聞いて、心臓がキュッと締め付けられたような気がした。“堀崎”は、琴ちゃんの苗字だ。

勇気を出して告白したのに返事を先延ばしにされて、期待したり落ち込んだり不安定な気持ちでいっぱいのはずなのに、琴ちゃんはいつも笑っていた。


昨日ツインテールを結んでくれたのだってきっと、私が不安になっていることに気付いてフォローしてくれたのだろう。

結果がどうであれ、私は少しでも琴ちゃんの力になれたのかもしれない。そう思わせてくれた。

琴ちゃんの笑顔を思い出すたびチクチクと心臓が痛む。


琴ちゃんは、フラれてしまったのだ。

仕方のないことだと分かっているはずなのに、苦しくて堪らない。

井口くんは何とも思わないのだろうか。

告白を断ったことではなく、告白の返事を先延ばしにしたことを。


「工藤?」


黙り込んでいる私を不思議に思ったのか、顔を覗き込んできた井口くんに私は「ごめん」と小さく言った。


「私、琴ちゃんのこと応援してたの。だから井口くんのことは……“琴ちゃんの好きな人”としか思ったことない」


一度言葉を切って呼吸を整え、ぐっと拳を握る。その場の沈黙に気付かないふりをして、私は言葉を続けた。


「それに、簡単に誰かを傷付けちゃうような人を好きになれないよ」


声が震えそうになるのをなんとか堪えて言い終えると、2人の間に今度こそ重たい沈黙が舞い降りた。

口を開こうにも、もう何も言うことは無い。

どうすればいいのか分からずに黙り込んでいると、井口くんが小さく息を吐いたのが分かった。


「それって、俺が堀崎のこと振ったから?」


「違うよ。井口くん、琴ちゃんの告白に返事する気なかったでしょ」


まっすぐに目を合わせて言うと、井口くんはバツが悪そうに目を逸らした。どうやら図星のようだ。


「……琴ちゃんはずっと待ってたよ」


琴ちゃんは井口くんのことを信じていた。どんなに遅くなってもしっかり返事をしてくれると信じて待っていた。井口くんはうやむやにしたまま事を片付けたかったのかも知れないが、どれだけ経っても琴ちゃんが告白のことを忘れる日は来なかっただろう。

琴ちゃんは、井口くんのことが好きなのだから。


「……分かった。堀崎には明日ちゃんと謝るよ。……ありがとな」


呟くようにそう言って微笑んだ井口くんに、「うん」と応えて私も笑った。

さっきまで重たかった空気が、夕焼けの日差しに照らされて明るく澄んだような気がした。

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