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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第3章
95/203

94. 軽蔑

冷たい空気が充満していた。

洗濯機からタオルやゼッケンを籠に移し、大きく伸びをする。窓の外に目を向けると、葉の落ちた木が強風に煽られて揺れているのが見えた。空は一面灰色の雲に覆われている。少し前に雪が降ってから、また一段と気温が下がった気がする。

これ以上寒くならないで欲しいんだけど……。


小さく息を吐き、籠を持って体育館へ向かう。

琴ちゃんに結んでもらったツインテールが肩上で揺れた。やっぱり、邪魔にならなくていつもより楽だ。

籠と身体の間に毛先が挟まったりすることもない。


あれ、地味に痛いんだよなぁ……。

そんなことを考えながら階段を下りたところで、私はふと足を止めた。ちょうど目の前に井口くんが立ちはだかっていたからだ。


「工藤、今いい?」


突然話しかけられたことに驚き、「えっ、うん」と曖昧に答える。部活もクラスも同じだけど、井口くんと話すのは随分珍しいことだった。

急にどうしたんだろう。


疑問に思った時、真っ先に琴ちゃんの笑顔が頭に浮かんだ。もしかしたら、琴ちゃんのことで何か相談があるのかも知れない。

そんなことを考えた直後だった。


「……あのさ、工藤、俺と付き合わない?」


予想外すぎる爆弾発言が、私の思考を一気に消し飛ばしたのは。


「はっ!?」


驚きのあまり自然と声が出てしまい、ゴトンッという籠の落ちる音で我に帰る。


「あっ、ごめん、びっくりして……」


めちゃくちゃ失礼な反応をしてしまった。慌てて弁解すると、井口くんは「いや、俺もいきなりだったし」と笑顔で対応してくれた。若干気まずそうな顔をしている気もするが、見なかったことにさせて頂きたい。

なにせ足元には、“見なかったこと”では済まされない現実が広がっているのだから。


「すごい量だな……」


「すみません……」


私と井口くんはほぼ同時にしゃがみ込んだ。

私たちの足元には、見事に洗濯物がぶちまけられていた。私がさっき落とした籠もすぐ横に転がっている。

もう一回洗濯した方がいいかな……。そんなことを考えながら洗濯物を籠に戻していくうちに、少しずつ思考が明瞭なものになっていく。


さっき井口くん、“付き合う”って言った……?

誰が? 私と、井口くんが?

わけがわからない。だって井口くんは琴ちゃんの好きな人で……。

井口くんはまだ、琴ちゃんの告白に返事してないんだよね?


「え……っと、琴ちゃんのことは……」


躊躇いながらも疑問を口にすると、井口くんは僅かに頬を引き攣らせた。その反応が予想外すぎて、一瞬ただの見間違いかと思った。


「あー……。俺、あいつのことあんま好きじゃないんだよね」


気まずそうに目を逸らしてそう言った井口くんは、何かを誤魔化すように下手くそな笑みを浮かべた。

その言葉の意味が理解できなくて、時間が止まったような錯覚に襲われる。

頭の中で井口くんの言葉が繰り返されるたび、自分の目が大きくなっていくのが分かった。


『あんま好きじゃないんだよね』


……なに、それ。

そんな面倒くさそうな顔して、そんな酷いこと言うんだ。そりゃ、井口くんが琴ちゃんのこと好きじゃなくてもしょうがないよ。でも、だったらちゃんと断ればいいじゃん。

ちゃんと返事もしてないくせに、好きになってくれた人に、そんな顔するんだ……。


「……私、井口くんとは付き合えない」


答えは、頭で考えるより先に溢れ出していた。

井口くんの気持ちが本気でも嘘でも、もうどっちでもよかった。思考はぼんやりしているのに視界はやけにクリアで、不思議な感覚だった。


全ての洗濯物を回収した籠を持ち上げ、井口くんの横を足速にすり抜ける。恋愛とかは関係なく、簡単に人を傷つけるような人を好きになれるとは思えない。

そもそも、好きとか付き合うとか、私にはよくわからないし。


琴ちゃんは、どうして井口くんを好きになったんだろう。琴ちゃんの瞳には、井口くんはどう映っているんだろう。


もし、今でも蓮と友達だったら……。

“恋バナ”とかも、してたのかな。




* * *




休憩時間が終わり、体育館は再びドリブルの音に包まれた。部員たちはみんな真剣な表情でボールを奪い合っている。その中には当然井口くんの姿もあった。

数分前の出来事を思い出し、もやもやした気持ちが胸に広がる。やがて無意識に眉根を寄せていたことに気づき、慌てて首を振ってマイナスな思考を追い払う。

今は部活の時間だ。自分の仕事に集中しないと。


気合いを入れ直していると、ふと他のマネージャーたちからの視線を感じた。疑問に思いながらも立ち上がってモップを取りに行こうとすると、耳元で軽く髪が揺れた。

あぁ、そっか。今私、ツインテールか。

いつも結んでないし、変だと思ってるのかな。


「工藤さん、ちょっといい?」


反射的に振り返ると、そこに立っていたのは私と同じマネージャーの有栖川 桃(ありすがわ もも)だった。黒とピンクで統一された可愛らしいウィンドブレーカーを羽織った姿はまるでモデルのようだ。


胸元まである長い髪は金色に染められ、毛先には軽くウェーブがかかっている。

整った顔立ちをしている上にコミュニケーション能力も高く、いつも友達に囲まれて笑っている印象が強い。


そんな人気者の彼女が、無表情で私の前に立ちはだかっていた。ふと、いつか少女漫画で読んだ展開が頭の中を駆け巡る。

……まさか、“調子乗るな”とか、そういうこと!?


「工藤さん」


「は、はい! ごめんなさ……」


「ツインテール、めっちゃ似合うじゃん!」


予想外に明るい声のトーンでそんなことを言われ、思わず瞑っていた目を見開いた。

ポカンと開いた口から「へ……?」と間抜けな声が漏れ出す。


「そういえばあんま話したことなかったよね? 私、有栖川 桃! 阜って名前可愛いよね! 阜って呼んでいい?」


高くて可愛らしい声で続けられるマシンガントークに呆然としてしまったが、ハッとして答える。


「う、うん! 有栖川……桃、ちゃん?」


曖昧に首を傾げると、彼女は「あはは」と笑って言った。


「桃でいいよ、阜!」


小さな口から歯を覗かせて笑う姿は愛らしく、とても自分と同い年には見えなかった。


「うん、ありがとう……桃」


気付くと、私も釣られて笑っていた。

なんだか友達が出来たみたいでむず痒い。

その時、体育館倉庫の方から他のマネージャーの声が聞こえた。


「アリス〜、なにしてんの〜?」


「ナンパ〜」


可愛らしい笑顔のままそんなことを言った桃に一瞬戸惑ったが、それ以上に疑問に思ったことを口にした。


「“アリス”って?」


「あぁ、ニックネームだよ! 名字長くて面倒くさいから、川を抜いてアリス!」


笑う時の癖なのか、こてんと首を傾けて笑う桃を見て納得する。どことなくメルヘンな雰囲気を纏っている彼女にはピッタリのニックネームだ。


その後、桃は私を“友達”として他のマネージャーにも紹介してくれた。なんとなく話すことを避けてしまっていたけれど、みんなは気にすることなく笑いかけてくれた。こんな風にたくさんの人と話すのは久しぶりで、緊張したけど懐かしくもあった。


練習の時間が終わってからも、桃は“一緒に帰ろう”と誘ってくれた。私は自転車通学だから、電車通学のみんなとは一緒に帰ることは出来なかったけど、その代わり今度の休みにみんなで遊びに行く計画を立ててくれた。


駅に向かうみんなに手を振ってからも、家に帰ってからも、全身がふわふわしているような気がした。

ベッドに潜り込んで目を閉じると、瞼の裏に今日1日の出来事が浮かび上がってきた。


ツインテールを結んでくれた琴ちゃん。

友達になってくれた桃。

気付くと、井口くんのことなんてすっかり忘れていた。


今日は、幸せな1日だったな。

そんなことを思いながら深呼吸をして、最後に浮かんだのは黒沢くんの笑顔だった。

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