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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第3章
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92. 隣の席

夏休みが明けると、すぐに席替えの日がやってきた。

盛り上がっているクラスメイトたちの歓声に包まれた教室の隅で、私は高鳴る心臓を軽く抑える。


私が入学した時からずっと座っていたのは、窓際一番後ろの席だった。先生の目が届きにくいからか大抵羨ましがられる席だけど、私のクラスは例外だった。

なにせそこは列から1席だけはみ出たひとり席。

隣には人がいないどころか机すらない。


友達のいない生活になるのは覚悟していたけど、まさか隣すらいない席に座らされるなんて思ってもみなかった。案の定私には友達を作る勇気なんてなくなっていて、クラスでも空気のような存在のまま流れるように日々が過ぎて行った。


そして今日、私はやっとひとりぼっちの空間から解放される。祈るように両手を握りながら列に並び、震える手でクジ引きを引く。恐る恐る折り畳まれた紙を開くと、そこには“1”と書かれていた。

黒板に書かれた座席表と照らし合わせると、席は廊下側の最前列のようだ。

やけに大移動したな、なんて思ったけど、まぁ席なんてどこでもいい。肝心なのは……。


「おー、俺1番! 隣だれ〜?」


教室の真ん中でそう声を上げたのは、バスケ部エースの井口(いぐち)くんだった。切れ長の目を細めて笑う姿は部活でよく見慣れている。

知り合いの隣になれたことには安心したけど……。

この盛り上がった空気の中、飛び込んでいけるほど私のメンタルは強くない。座席番号の書かれた紙を丸めて手の中に隠し、それを背中の後ろに隠す。

キュッと唇を噛んだ、その時だった。


「うわぁぁん! さっちゃん、嫌だよぉ〜!」


「わかった! わかったから泣かないの!」


突然聞こえた泣き声に振り返ると、教室の後ろで騒いでいたのは(こと)ちゃんと皐月(さつき)ちゃんだった。

もちろん話したことなんてないけれど、一応クラス全員の名前は把握している。ふたりは小さい頃からの付き合いらしく、一緒に笑っているところをよく目にしていた。


「え、どーしたのー?」


「琴ひとり席引いたんだって!」


「まじ!? かわいそ〜」


数人の女子たちが笑いながら話しているのを聞きながら、私は思わず琴ちゃんに同情の視線を送っていた。

みんなひとり席なんて嫌だろうし、誰も交換なんてしてくれないだろうな。そんなことを考えていると、いつか耳に飛び込んできた言葉が脳裏を過った。


『私、井口のこと好きなんだぁ〜』


「……あの」


気付くと、私は琴ちゃんの目の前に立っていた。


「え……?」


本当に涙目になっている琴ちゃんの瞳が私の方を向く。


「私、1番なんだけど。良かったら交換してくれないかな」


手の中の紙切れを開いて見せると、琴ちゃんは目を丸くした。


「え……1番って」


その瞳が、大勢に囲まれて笑う井口くんを見つめる。


「工藤さん、ほんとに代わってくれるの?」


結局、私なんかが井口くんの隣じゃ浮くだろうし。

……私には、ひとりがお似合いだ。

「うん」と短く答えて微笑むと、琴ちゃんは勢いよく私の胸に飛び込んできた。


「ありがとう! ありがとう! まじで、神! 女神!」


「ちょっと琴、落ち着いて。工藤さん、本当にいいの?」


喜びを隠し切れない様子の琴ちゃんを止め、皐月ちゃんが心配そうに眉をひそめる。皐月ちゃんにとって私はほぼ他人であるはずなのに、向けられた優しさにはまるで仲の良い友達を案じるような温かさがあった。心臓が温まっていくような感覚を懐かしく思う。

私はふたりに向かって軽くガッツポーズを作って笑った。


「大丈夫! 私、後ろの席好きだし!」


それを聞いた琴ちゃんは瞳を輝かせ、皐月ちゃんは小さく肩をすくめて頬を緩めた。

私だって、ただの良心だけで動いていた訳じゃない。

琴ちゃんを可哀想だと思ったのも本当だし、好きな人の隣に座らせてあげたいと思ったのも本当だけど。

きっと、そんなのは単なる言い訳に過ぎない。


私はただ逃げただけだ。

このまま、クラスメイトの誰からも認識されない“空気”でいる方が楽だと気付いてしまった。

友達を失う恐怖を思い出してしまった。


結局、蓮以外に友達なんてできなかった。

あの時蓮を押し切った勢いは何処に行ってしまったのだろう。そんなことを考えながら、私はまたひとりぼっちの席に座った。みんなが机を動かす中、俯いてただ時間が経つのを待つ。

私はまた、あの頃の私に逆戻りしちゃったんだ。




* * *




辺りを覆い尽くすざわめきが、一瞬だけ小さく聞こえた。昼休み終了の10分前、5限の授業に遅れないための予鈴が教室中に鳴り響き、みんなの声が小さくなったような錯覚に陥る。


ふと隣の席に目を向けると、黒沢くんは頬杖をついてどこかつまらなそうに本を読んでいた。席替えの日のことを思い出していたからか、なんだか胸が熱くなってしまう。隣に人がいるって感動!


「く〜どうちゃん!」


ハイテンションな声が聞こえて顔を上げると、目の前の席に座ってにっこりと笑顔を向けてきたのは琴ちゃんだった。琴ちゃんは席替えの日からこうして時々話しかけてくれるようになっていた。


「どうしたの?」


「あのね、工藤ちゃんにお願いがあるの!」


「う、うん」


身を乗り出して話す琴ちゃんに若干気圧されつつも頷くと、琴ちゃんは勢いよく両手を合わせてパンッと心地の良い音を響かせた。


「工藤ちゃん、男バスのマネでしょ!? 井口をうまいこと連れ出してくれないかな!?」


「えっ!?」


「連れ出すって言っても、ただ廊下に呼び出してくれるだけでいいの! お願い!」


合わせた両手を顔の前で擦り合わせ、琴ちゃんは必死な様子でそう言った。話を聞くと、告白をするためになるべく人の少ない時間に井口くんを呼び出したいらしい。確かに昼休みはどこにでも人がいるし、部活終わりは他の部活との終了時刻も重なってそれなりに人が多い。


そこで琴ちゃんは部活のない生徒が帰った後で、部活のある生徒が帰る前の絶妙なタイミングを狙おうと考えたらしい。確かにそれなら人に見つかる心配はなさそうだ。幸い今日はコーチ不在の日だし、休憩時間になら呼び出しても大丈夫だろう。


「いいよ。上手くできるか分かんないけど……」


「いいの!? ありがとぉ〜!」


琴ちゃんが喜びの声を上げた瞬間、教室に戻ってきた皐月ちゃんが唐突に琴ちゃんの頭をチョップした。


「こらっ」


「いたっ」


「も〜、変なこと言って工藤ちゃん困らせないの!」


「ちぇ〜、さっちゃんがいないうちにと思ったのに〜」


「なんだって?」


皐月ちゃんが貼り付けたような笑みを浮かべるのを見て、琴ちゃんは「なんでもない!」と必死で手を振っていた。相変わらず面白いふたりのやりとりに、自然と笑顔が漏れる。


「あははっ! 私、頑張るね!」


琴ちゃんは目を輝かせて「お願いします!」と頭を下げてきた。いつもより速い鼓動も、ほんのり熱い頬も、心地良い。

頼りにされるのって、こんなに嬉しかったんだ。

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