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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第3章
88/203

87. いつも同じ方向へ

いつもより速い鼓動が鼓膜を内側から震わせる。

左右に並ぶ仲間たちと葵山の選手がお互いに声を張り上げて、いよいよ試合は始まった。


目の前に立ちはだかる葵山の選手は思った以上に威圧感があった。ちんまりとした里宮は片手で潰されてしまいそうだ。……が、雷門(こっち)も負けてはいない。背の高さだけが強さじゃないんだ。


「里宮ナイッシュー!」


さっそく里宮が葵山の選手の間を縫ってゴールを決め、ベンチから鷹の大きな声が飛んできた。

鷹にとってはこれが初めての試合だというのに、少しも緊張していないようだ。


「高津!」


三神先輩から投げられたボールを、しっかりと受け取る。里宮ばかりに頼ってはいられない。

俺にだって出来ることがある。

全身に力を込め、葵山の選手を抜く。

そのまま、ゴールまで走ろうとした時だった。


「!?」


右手の甲に、激痛が走ったのは。

思わず踏み出した足が揺れ、倒れそうになった身体をなんとか立て直した時、会場中に高い笛の音が鳴り響いた。それと同時に全身の力が抜け、その場に座り込む。視界の端に慌てた様子で駆け寄ってくる鷹の姿が見えた。


「茜っ! 大丈夫か!?」


痛みを堪えて片目を開けると、右手はもう赤く腫れ始めていた。どうやら葵山の選手の横をすり抜けた時に相手の肘が激突したようだ。やがてベンチから走ってきたコーチが、俺の右手を見て素早く指示を飛ばす。


「黒沢くん、高津くんを医務室に連れて行って。相沢くん、交代しよう」


それを聞いて、俺は思わず目を見開いた。

動揺と冷静の相まったコーチの声が、何を意味する言葉なのか、少しずつ脳が理解していく。


俺は、下げられる。この試合にはもう出られない。

先輩たちの引退がかかった大事な試合なのに。まだ始まったばかりなのに。

俺は、もう戦えないのか……?

そう思った瞬間、言葉では表せない程の悔しさが込み上げてきた。


「待ってください! 俺、まだ出れます! 出させてください!」


噛み付くように言った俺に、コーチは困った顔をした。無理を言っているのは分かってる。負傷した選手なんてどれだけ役に立てるか分からない。

ただでさえ、俺は里宮よりずっと弱いのだ。

……それでも。このまま引き下がるなんて、出来るわけなかった。


「駄目だ。休め、高津」


後ろから強い口調でそう言ったのは、キャプテンの坂上先輩だった。


「でも……!」


反論しようとする俺の声を遮って、先輩は言った。


「お前には任せられない」


その一言が、鋭いナイフのようになって俺の心を突き刺した。ずっと背中を追ってきた、憧れのキャプテン。いつも笑顔で、優しく部員たちに接してくれたキャプテン。それが今、険しい顔で腕を組んでいるキャプテンの姿と、どうしても重ならない。そしてその鋭い瞳の先には、情けなく座り込む俺がいる。


一年の頃よりは、俺だって強くなれたと思っていた。

それなのに、こんな簡単に見捨てられてしまうのか。俯きかけた視界に、小走りに近づいてくる里宮の姿が映る。こんな格好悪い所、里宮にだけは見られたくなかった。


「大丈夫?」


里宮は、座り込んで俯く俺と目を合わせるように膝をついた。黒い感情が胸元で渦巻き、里宮の瞳を見なくて済むように顔を背ける。今はそのまっすぐな視線を正面から受け止められる自信がなかった。


「……こーちゃん、これ明日には治るよね」


里宮が俺の右手をさして言うと、コーチは多分、というように躊躇いがちに頷いた。それを見た里宮は、「じゃあ大丈夫じゃん」と安堵の息を吐いた。

みんなが不思議そうに眉をひそめる中、里宮はゆっくりと口角を上げた。それを見てハッとする。


俺は、この表情を知っている。

自信に満ちたこの表情を。

……里宮は、“勝てる”と確信している。


「高津、今日は私たちに任せて。絶対勝ってくるから」


なんの躊躇もなくそう言い切った里宮のまっすぐな視線を、今度は避けられなかった。まるでその瞳に捕らわれてしまったかのように動けなくなり、目が離せなくなる。里宮はいつもそうだった。


里宮の強さは大勢の瞳を奪い、いとも簡単に沈む心を引き上げ、そしていつも、同じ方向を向かせる。


「里宮」


立ち上がりかけた里宮が、ポニーテールを揺らして振り返る。


「絶対、勝ってこいよ……!」


先程の里宮と同じように口角を上げて言うと、里宮は黒いリストバンドをした左手で小さな拳を作り、俺の額にこつんと当てた。


「任せろ」


そう言って笑った里宮に、胸が熱くなる。

小さくて頼もしい背中を見送り、試合が再開すると、俺の背に鷹が後ろからジャージを羽織らせた。


「行くか」


俺の肩に手を置いた鷹は、それ以上なにも言わなかった。背中で響くドリブルの音も、聞き慣れた仲間たちの掛け声も、悔しさに変わって心臓を締め付ける。

唇を噛むと、まるで比例するように右手の傷がズキズキと痛んだ。


そんな俺を慰めるでもなく励ますでもなく、ただ黙って隣を歩き続ける鷹の振る舞いが、今はただありがたかった。




* * *




「俺、工藤に告られたんだよね」


「……は?」


突然そんなことを言い出した鷹に、思わず顔をしかめる。医務室で手当てをしてもらい、すぐに会場に戻ろうとしたのだが、“しばらく控え室で安静に”とまで言われてしまったのだ。どこまでもついてない。

仕方なく控え室に戻ってベンチに座り、大きなため息を吐いた所で言われたのがこの一言だ。

意味がわからなすぎて笑える。


「白校にいた時な」


そう付け加えた鷹に、じっとりとした視線を投げつける。説明したつもりでいるのだろうが、こっちには何一つ伝わっていない。


「だから、なんだよ」


鷹のことだから自慢したい訳でもないだろう。進まない話の続きを促すが、鷹はキョトンとした顔をして「だから、って、それだけだけど」と言った。

もしかして独り言だったのか……?

そんなことを思いながらも、俺はなんとなく鷹に質問した。


「鷹は工藤のこと好きなのか?」


数秒の沈黙の後、鷹は自虐的な笑みを零した。


「そうだったら、いいの?」


そう言った鷹の横顔はどこか寂しげで、俺は何も返せず黙り込んでしまった。

どうやらまだ答えを出せていないらしい。


「俺はそんなに良いやつじゃねぇよ」


鷹は笑いながらそう言った。けれど対照的に、窓の外に目を向けた鷹の瞳はやけに悲しそうだった。


「鷹は良いやつだよ」


同情でもお世辞でもなんでもなかった。

鷹は、本当に良いやつだと思う。そうじゃなければ、今頃俺のことなんて置いて会場に戻っているだろう。

気にしなくて良いと言ったのだが、鷹は自分も控え室に残ると言って聞かなかった。

きっと俺を心配してくれているのだろう。


「茜に言われたくないよ」


そう言って、鷹は呆れたように笑った。

その声が少しだけ震えているような気がした。

そのまま会話が途切れ、ただ静かな空間に包まれる。

控え室からは会場の声援や試合終了の合図など、なにひとつ聞こえなかった。



穏やかな沈黙が流れる中、右手の痛みと戦うように、“試合に出たい”と叫ぶように、俺の心臓は強く脈打っていた。

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