83. 棘
『工藤……?』
驚いた様子でその名前を口にした鷹。
鷹はどうしてあの人のことを知っているのだろう。
答えの出ない疑問が脳内をぐるぐると回る。
あの後すぐに鷹はコーチに呼ばれ、詳しい話は出来ていないままだった。
控え室に荷物を置き、会場内をぶらつく。
そうしているうちも気分は晴れず、大きなため息が漏れた。
「あれ、蓮の友達の……」
唐突にそんな声が聞こえて、反射的に振り返る。
……軽く揺れるツインテール。
白校のジャージに身を包んだ工藤 阜が、そこにはいた。
「……雷校の高津です」
平然を装って軽く会釈すると、工藤は慌てた様子で前髪を整えた。
「えっと、私は白校のマネージャーの工藤です」
そう言って会釈した工藤は、口角を上げて微笑んだ。
とても悪い人には見えない。
そう思う反面、工藤に鋭い瞳を向けている自分がいた。かと言って、里宮とのことを問い詰めるつもりもなかった。
里宮が望まない限り、余計なことはしたくない。
そのまま歩き出そうとした時、工藤が口を開いた。
「ちょうど良かった。後で会いに行こうと思ってたんですよ」
にこやかにそんなことを言われ、思わず「は?」と吐き捨てそうになるが、すんでのところで飲み込んだ。
軽く深呼吸し、どす黒い感情を沈める。
「なんでですか?」
「えっと……っていうか、同い年なんだし敬語やめない?」
苦笑しながらそう言った工藤に、「あぁ、確かに」と同意する。ほとんど投げやりだったが、工藤は気にすることなく話を続けた。
「あのね、高津くんに……聞きたいことが、あって」
そこまで言うと、工藤は表情を曇らせて俯いた。
何のことだかわからずに首を傾げていると、顔を上げた工藤が躊躇いがちに口を開いた。
「……蓮は、元気?」
その瞬間、全身が熱くなるのを感じた。
どうして俺に、そんなことを聞くんだ。
「あ、蓮っていうのは里宮 睡蓮のことで……」
「知ってるよ」
工藤の言葉を遮り、胸の内で「全部」と付け足す。
俺は、俺たちは全部知っている。
工藤が里宮を裏切ったことも。
里宮が負った傷の深さも。
「蓮とは同じ中学だったんだけど、今は接点なくて。なんか、避けられてるみたいでさ。……蓮に、会って話したいって、伝えてくれないかな?」
「……なんで?」
拳を握りしめて、俺は思わずそう口にしていた。
案の定、工藤は目を丸くしている。
「なんでって……話したいからだよ」
「悪いけど、出来ない」
言うと、工藤は訳がわからない、とでも言いたげな瞳を俺に向けた。
……頭では分かっているつもりだった。
これは、工藤と里宮ふたりの問題だ。
俺が首を突っ込む話ではない。
……それでも、俺はこの激情を止める術を知らなかった。
「俺、里宮から全部聞いてるから。……こんなこと言いたくないけど、なんで今更そんなこと言えるのか分からない。里宮がどれだけ傷ついたか、考えたことある?」
ある筈がない。この人は、何もかもバレていないと思っているんだ。今も里宮を騙せていると信じ込んでいる。当然、里宮が傷ついていることなんて知らない。
里宮の涙を思い出すたび怒りが募っていく。
「なに、それ……」
震えた唇が小さく呟く。
次の瞬間、工藤は勢いよく顔をあげて、叫んだ。
「蓮が傷ついたってなに!? 聞いたって、なにを!?
私そんなの知らない!」
さっきまでとは別人のように声を荒げた工藤は、激しく首を振った。
ツインテールに結ばれた髪が揺れる。
「私が、蓮を傷つけたって言いたいの!? 私そんなことしてない! 私は蓮のこと大好きだもん! 捨てたのは蓮の方だよ!」
一瞬、心臓が大きく跳ねた。
捨てた……?
全身を震わせて、確かにそう叫んだ工藤は、今にも泣きそうな顔をしていた。
得体の知れない違和感が胸に広がっていく。
「……わかった。白校の試合が終わったら、東階段に里宮を連れて行く」
呟くように言うと、工藤は唇を噛んで小さく頷いた。
……たとえその涙が嘘だとしても。
全てが演技で、俺のことを騙していたのだとしても。
「……言いすぎた。ごめん」
口をついて出た言葉には棘がある。
反省するなら、すぐに間違いを認めて謝らなければいけない。その棘は、時間が経つほどに深くまで刺さり、いずれ抜けなくなってしまうから。
「……私も」
絞り出すような工藤の声に、涙を堪えていることが伝わってくる。
小さく頷いて、俺はその場を後にした。
* * *
「茜?」
控え室に戻る途中、聞き慣れた声が俺を呼び止めた。
振り返ると、そこには鷹が立っていた。
お互い聞きたいことは同じだったようで、俺たちは廊下の端に寄って話をすることにした。
「……なんで茜が、工藤のこと知ってんだ?」
そんなことを言う鷹に、思わず「それはこっちのセリフだよ」と呆れ笑いを浮かべる。
工藤と鷹に何の繋がりがあるのか、俺にはさっぱり分からなかった。
「……雷校に来る前は、白校にいたんだよ。だから、工藤とは元クラスメイト」
簡単なことだろ、とでも言いたげに鷹は言った。
鷹が白校の生徒だったなんて初耳だ。ましてや、あの工藤のクラスメイトだったなんて。
呆気に取られていると、鷹が「お前はどうなんだよ」と話の続きを促した。
「えっと、工藤は里宮の……中学の時の友達なんだ」
うっかり口を滑らせないように言葉を選ぶ。
ふと、鷹は何かに気づいた様子で目を見開いた。
「里宮って、“女嫌い”だよな?」
「そうだけど……」
それがなんだと言うのだろう。
鷹の言いたいことが掴めずに首を傾げると、鷹は少し迷ったあと縋るような瞳を俺に向けた。
「工藤に、里宮と会わせてやれないか?」
どういう訳か、鷹は工藤と同じことを言った。
里宮にとって工藤は、“女嫌い”の一因だというのに。
里宮が会いたがる訳がない。
そう思う反面、僅かな期待を抱いている自分もいた。
もう一度工藤と向き合うことで、里宮は立ち直れるんじゃないか、と。
「……詳しくは言えないけど、里宮は工藤のことを怖がってる。……それでも、大丈夫だと思うか?」
躊躇いがちに尋ねると、鷹は大きく頷いてハッキリと言い放った。
「工藤は、良いやつだよ」
その時、軽く会釈をして微笑む工藤の姿が浮かんだ。
「……白校の試合が終わったら東階段。……里宮に伝えて」
呟くように言うと、鷹は真剣な表情で頷いた。
俺の横をすり抜けて、控え室までの廊下を駆けて行く。やけに冷たい風がユニフォームを揺らした。
……俺には、里宮の傷ついた顔を見る勇気がなかった。里宮の過去を知っていながら、“工藤に会いに行け”なんて言えなかった。
けれどそれ以上に、傷つけることで嫌われるのを恐れている自分がいた。
俺は、自分が嫌われなければ里宮の気持ちはどうだって良いのか?
『俺たちは、なんだって思ったように言い合えば良いんだよ』
あんなことを言ったのは俺なのに。
信じている筈なのに、嫌われることがこんなにも怖い。
散々里宮を救った気になっていたくせに、一番弱かったのは俺じゃないか。
一番逃げていたのは、俺じゃないか。




