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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第2章
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77. まっすぐになりたかった

『ウザイんだよ、お前!』


『話しかけんな!』


『ごめん、高津……。あいつには逆らえねぇよ……』


……人間なんてそんなものだと思った。

傷付けることは簡単で、助けることなんて到底出来ない。あたりまえのようにいじめが始まって、どんどん物がなくなって、汚されて、体にも痣が増えていった。それでも手を差し伸べてくれる人なんて誰もいなかった。

失望したような思いの中、それでも別に良いんじゃないかと思う自分もいた。


他人の不幸を見ても、自分が安全ならそれで構わない。結局はそれが人間だし。

俺だって逆の立場だったら、みんなの前で“やめろよ”なんて言える自信はなかった。

だから俺は、クラスメイトの“見て見ぬフリ”を恨んだことはない。


俺が嫌だったのは、クラスメイトたちから感じる同情の視線だった。

いっそのこと無視して、何事もないように過ごしていてくれれば良いのに。

みんなが俺を見ているから。影で声をかけてくれるやつがいるから。絆創膏を渡してくるやつがいるから。


俺は、どうしたって期待してしまった。

誰も助けてくれないんだと、何度も自分に言い聞かせたくせに、それでも淡い期待を抱いてしまう自分がいた。


期待するたび勝手に裏切られた気になって、どんどん苦しくなっていった。

いっそのことクラスメイト全員が冷たい人間だったなら良かった。

そういう無責任な“優しさ”が、俺にはどうしようもなく苦しかった。


今思えば、人任せな思考だったのだろう。

自分では何も言えないくせに、誰かが代わりに怒ってくれるのを期待していた。

自分だって逆らえないくせに、誰かが逆らってくれるのを期待していた。

自分の出来ないことを、他人に望んでいた。


……今の俺が、もしあの頃に戻れたら。

正直に“嫌だ”って言えたのかな。

もしあの場にあいつらがいたら、“やめろよ”って大声で怒鳴ってくれたのかな。


『人間なんてみんな同じなんだよ!』


……鷹。

俺がもし、あの頃鷹の痛みに気付いてやれてたら。

お前の口からあんな言葉を聞くことなんてなかったのにな。






「茜」


聞き慣れた声のはずなのに、どこか懐かしく感じるのはなぜだろう。

未だにあの頃の声が上書きされないんだ。

どうしてか俺は、あの頃の鷹と、今目の前にいる鷹を、別人のように思ってしまうんだ。


「……話したいことがある」


「……うん」


鷹の本心をもっと知りたい。

俺の本心をもっと知って欲しい。

あの頃からずっと、電話越しに言いたくても言えなかったことが沢山ある。

それはきっと鷹も同じはずだ。



“あの頃”から解放されたいのは、俺も鷹も同じなんだ。




* * *




相変わらず人のいない開けた空間を、強い風が吹き抜けていく。

所々に雲は見えるが、それなりに晴れた空が俺たちを見下ろしていた。


4限の授業が終わるなり声をかけてきた鷹に連れられ、俺たちは屋上にやってきていた。

小さな悲鳴をあげながらドアが開き、そのままベンチに向かおうとした俺を鷹の声が引き止める。


「茜、こっち」


小さく手招きをしながらそんなことを言う鷹に、首を傾げつつも素直に従う。

入り口まで戻ると、鷹は俺の腕を掴んで塔屋の裏に誘導した。


「ちょ、なんだよ?」


行動の意図が分からずに眉をひそめると、鷹は「ちょっとここにいて」とますます訳の分からないことを言い出した。


「“話したいことある”んじゃなかったのかよ」


「まぁ、そこで見てて」


何ひとつ説明しないままそれだけ言って離れて行く鷹に、思わず大きなため息が漏れる。


「つーか、“見てて”って何を……」


口から溢れ出した文句が、再び鳴り響いた高音にかき消される。

唐突に開かれたドアから姿を現したのは里宮だった。

屋上の中心にいた鷹の視線と里宮の視線が絡まる。

その状況を理解した俺は、口元を押さえて身を隠した。


『ちゃんと答える』


昨日の昼休み、やけに穏やかな顔でそう言った里宮を思い出す。その表情からは鷹への敵意や嫌悪は感じられなかった。

里宮は鷹の言葉を真剣に受け止めている。

そして今、その“答え”を言いに来たのだろう。


「……ごめん」


唐突にそう言った里宮は、視線を泳がせながら話を続けた。


「何て言えばいいのか分かんないけど……私、“好き”とか考えたことない。たぶん、考えても理解できないと思う。黒沢が、なんで私のこと……好きになったのかも、分かんない」


申し訳なさそうに目を伏せる里宮の声は真剣だった。

里宮なりに考えて、分からなくても本当の気持ちを話そうとしているのだろう。


「……正直、俺にも分かんないんだよ。いつからお前のこと好きだったのか。……ただ、変わったやつだなと思った。俺の言うこと一切聞かねぇじゃん、お前。そのくせ茜のことは守るって言うし、怖がってんのバレバレなのに強いフリするし。……ほんとは俺も、お前みたいにまっすぐになりたかった」


だんだんと語尾が小さくなり、鷹は微かに下を向いた。その瞳には諦めの色が浮かんでいるように見えて、胸が苦しくなる。

里宮を“まっすぐ”だと言った鷹も、里宮のことを“まっすぐ”に見ていたはずなのに。


「お前のことが羨ましくて、お前の近くに居れるやつが羨ましくて。……お前が、あいつらの前で楽しそうにしてるのが気に食わなかった。それが嫉妬だって気付いたのは、お前に嘘吐いた後だったけどな」


そう言って、鷹は呆れたように肩を上下させた。

羨ましいとか、嫉妬とか、そんな言葉を鷹の口から聞くのは初めてだった。いつだって鷹は、それを受ける側の人間だったから。

鷹にも俺と同じ感情があったことになんだかほっとする。

一方で、里宮は相変わらず難しそうな顔をしていた。


「私はただ、あいつらを傷つけたくなかっただけだ。まっすぐとか、意識したことない。嫉妬もしたことないし、どんな感情なのか知らない。……でも、黒沢の気持ちは疑ってない。真剣に答えなきゃいけないってことくらいは分かる」


どこまでもまっすぐに、里宮は鷹の瞳を見つめていた。その声色も、発する言葉ひとつひとつが本心であることを物語っている。


「黒沢のことは、初めはなんだこいつって思ってたけど、今はそんなに悪いやつじゃないんだって思ってる。黒沢の言葉にも、共感できるところはあったし。……でも私は、黒沢のこと仲間として見ることは出来ても、やっぱり恋愛的に見ることは出来ないと思う。……だから」


里宮はひとつ息を吐くと、意を決したように口を開いた。


「黒沢の気持ちには、応えられない」


ぐっと拳を握りしめて、はっきりと里宮は言った。

その言葉が、どれだけ鷹の心を刺しただろう。

どれだけ、里宮自身を刺しただろう。

長い沈黙の後、顔をあげた鷹の唇がゆっくりと動く。


「……知ってた」


呟くような声でそう言った鷹は、驚くほど穏やかな表情で笑っていた。

やがてわざとらしく大きなため息を吐いた鷹は、顔の前で組んだ手を前に突き出して伸びをする。


「はぁ〜あ、俺も無駄なことしたよなぁ。茜のためだなんて言って、結局自分が罪滅ぼししたいだけだったんだろうな。茜に嫌われて、楽になりたかったんだろうな。……ほんと、馬鹿だよなぁ」


そう言った鷹は、まるで憑き物が落ちたような顔をしていた。そんな鷹を見て安堵が胸に広がり、思わず頬が緩んでいく。

里宮の顔にも期待の色が浮かんでいた。


「もう、無意味なことは辞めるよ」


俺たちが待ち望んでいた言葉が、確かに鷹の口から発せられる。

一瞬目を輝かせた里宮に、「ただし!」という鷹の声がストップをかけた。


「俺も、バスケ部に入れてくれないか?」


予想外の言葉に、俺は思わず目を丸くしていた。

見ると、里宮も同じように驚いた顔をしている。


「……黒沢ってバスケ出来んの?」


里宮がキョトンとした顔で言うと、鷹は呆れたように笑った。


「ひでぇなぁ。そんな似合わないかよ。まぁ、やったことないけど。……俺がやりたいのはバスケじゃなくて、マネージャー」


マネージャー……?

聞き慣れない響きに首を傾げる。

確かに雷校バスケ部にはマネージャーがいない。

清掃やドリンクの準備など、必要な仕事は部員たちで回してなんとかこなしていた。


その分練習時間が削られてしまうため、マネージャーが欲しいと言い出す部員も少なくなかった。

鷹がマネージャーとして入部してくれるなら、正直とても助かる。

他の部員たちも歓迎してくれるだろう。


「……バスケ部、なくならないってこと?」


少し震えた声で縋るように言った里宮に、鷹は「あぁ」と大きく頷いた。

生ぬるい風に乗せられ、長い黒髪が踊る。


「ありがとう、黒沢」


「……俺も。ちゃんと答えてくれてありがとな」


少し照れ臭そうに、でもまっすぐに、鷹が言う。

それを聞いた里宮は、気だるそうな目を微かに細めて、優しく微笑んでいた。




……こうして、鷹の初恋は幕を下ろした。

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