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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第2章
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75. ピエロの素顔

人気のない体育館に沈黙が舞い降りる。

静寂の中、校庭で活動する運動部員たちの掛け声が微かに耳に届いた。

里宮の真っ直ぐな瞳に射抜かれ、吸い込まれそうな錯覚に陥る。


『……あいつを止めるんだ』


まるで何かを確信しているかのような口調。

そんな里宮を見ても、俺は鷹を止める方法があるとは思えなかった。


「止めるって……どうやって?」


鷹はこのまま試合を実現させるつもりだろう。

今更何を言ったって、鷹には届かない。

それは鷹の本心を知った日から明白だった。

再び真剣な顔つきに戻った里宮は、考え込むように両手を組む。


「それは……」


その時、口を開きかけた里宮の声を、ガラッというドアの音が遮った。


「こんにちは! すみません、遅れました……!」


体育館に入るなりそう言って頭を下げたのは篠原だった。


「いや、全然遅れてないよ。俺たちが早く来過ぎただけで……な、里宮」


慌てて里宮の肘を小突くと、里宮はひとつ小さく頷いた。それを見た篠原はほっとしたように息を吐く。


「じゃあ僕、荷物置いてすぐ準備しますね!」


笑顔でそう言って小走りに離れていく篠原の背中を見送ると、思わず小さなため息が漏れた。

どうやら今回の話し合いはここまでのようだ。

膝に手をついて立ち上がると、里宮もそれに倣った。


「とにかく、絶対なんとかするから」


呟くように言った里宮に、大きく頷く。

ふと、鷹の悲痛な表情が脳裏を掠めた。

あの時感じた違和感が再び胸の内で膨らんでいく。


鷹は、本当にこんなことを望んでいるのだろうか……?




* * *




薄暗い階段が目に映る。

片足を段差にかけた瞬間、緊張が電撃のようになって全身を駆け巡った。

ぐっと拳に力を込め、大きな深呼吸をする。

だんだんと落ち着いてきた心音を確認し、ゆっくりと目を開く。

……大丈夫。怖くない。


私はもう、独りじゃないから。






『“黒沢 鷹”って、……どんな奴?』


あの時、全てを話していれば。


『なんか、あった?』


あの時、素直になっていれば。


『ごめん……』


あの時、最後まで話を聞いていれば。


『やっぱり何かあっただろ』


あの時、信じて、頼っていれば。


……きっと、“みんな”が離れ離れになることはなかった。


……私は、間違えた。

傷つけないために隠しごとをして、遠ざけて……結局それが裏目に出て、みんなを傷つけた。

抱え込むことを強さだと勘違いした。


私は、高津が言うように、心のどこかで人を遠ざけていたのかもしれない。心の一番脆いところに、触れられたくなかったのかもしれない。

本当の気持ちを、本当の私を、見られたくなかったのかもしれない。


……でも。

傷つくとか傷つけるとか、そんなのもうどうだっていい。私たちは、なんだって思ったように言い合えば良い。

……これからは、みんなの力で解決していけば良いんだ。


最後の段差を強く蹴ると、タンッと心地良い音が響いた。

古臭いドアノブを掴み、体重をかける。

錆びれた音を立てながら屋上に続くドアがゆっくりと開き、暗いのか明るいのか分からない微妙な空間が顔を出す。

見上げると、薄い雲が空一面に広がっていた。


「なに見てんの?」


背後から突然そんな声がして、勢いよく振り返る。

そこにはさっきの私と同じようにドアノブを掴む黒沢の姿があった。

私は時々、黒沢は気配を消す超能力でも持っているんじゃないかと思う。


「そんな驚く?」


馬鹿にしたような笑みを浮かべた黒沢に「うるさい」と言い返しながらも、私は息詰まるような緊張を感じていた。

黒沢と話すのは随分久しぶりのことだった。

今まではしょっちゅう付き纏ってきていたくせに、最近は言葉を交わすことも少なくなっていた。

高津は何度か話しかけようとしたらしいが、どうもタイミングが合わないんだとか。


まるで逃げるような黒沢の態度は、私たちへの後ろめたさからくるのだろうか。と、一瞬考えたが、そんなことを気にするやつなら初めからこんなことはしないだろう。

けれど最近の黒沢は、明らかに私たちのことを避けていた。


「話って?」


爪をいじりながらそう切り出した黒沢に、軽く苛立ちを覚える。部活のこと以外なにがあるんだよ。


「……バスケ部を潰しても無駄だ」


例えバスケ部が廃部になったとしても、私たちの関係は変わらない。黒沢の企みは果たされない。


「そうかもな」


どうでもよさそうな声が、張り詰めていた空気を揺らす。私は耳を疑った。


「なんだよそれ。お前なにがしたいんだよ」


もう、訳が分からない。

散々引っ掻き回しておいて、今更どうでもいいなんて。そんな程度の気持ちなら、初めから何もしなければよかったんだ。


「……なにがしたいんだろうなぁ。あの頃に戻れたら、なんだってしてやるのにな」


いつもより少し低めの声でそう言った黒沢は、呆れたように薄く笑った。


「……後悔してるのか」


「え?」


「高津を置いて逃げたこと」


わざと否定的な言葉を選ぶと、黒沢は分かりやすく表情を変えた。その顔に影が落ちる。

瞳が鋭くなったかと思うと、まるで比例するように口角が上がった。


「……ほんとに全部知ってんだな。全く、茜は口が軽いなぁ」


「どうなんだよ」


「……逆に、してないと思うか? 今更7年も前のこと掘り返して、あいつを壊そうとしてるやつが、なんとも思ってないわけないだろ」


嘘っぽい笑みを引っ込めて、黒沢は吐き捨てるように言った。その声が微かに震えていたのを、私は聞き逃さなかった。


「……じゃあ、普通に謝ればいいだろ」


「……俺は茜に許されたいなんて思ってない。むしろ許さないで欲しいと思ってる。このままバスケ部が廃部になれば、流石にあいつだって俺のこと」


「高津はなにがあってもお前を嫌ったりしない」


俯き気味だった黒沢が弾かれたように顔をあげる。

気付くと、黒沢の言葉を遮っていた。握りしめた拳が震えている。なんだか、少し前の高津の気持ちが分かったような気がした。


黒沢は、高津に嫌われたがっている。

……そういうフリをして、嫌われる恐怖から逃げている。


「私だって、黒沢が……こんなことしないで、普通に転入してきただけだったら、何も言わないで受け入れてた。……そしたら、あいつらだって黒沢のこと好きになってた。高津とだって、もっと打ち解けられてた」


望めたはずの幸せを、黒沢は自らの手で壊してしまった。

自分ひとりの力でなんでも出来る気になって。

誰かのためだって言い訳をして傷つけて。

信じることも、頼ることも知らずに。

……そうだ。


「……お前は間違えたんだよ」


黒沢も、私と同じだったんだ。


「信じるのが怖いんだろ。誰のことも信じなければ、誰からも裏切られない。傷つかない。それが楽なら別にいい。でも、その考えを高津に押し付けるのは間違ってる」


「……ほんと、お前ってなんでそんな真っ直ぐなわけ?」


片手で目元を覆い、黒沢は呆れたように言った。

その口元からだんだんと笑みが消えていく。


「……俺は、茜が二度と“あの頃”を繰り返さないならそれでいい。……茜が、二度と傷つかないなら」


呟くような声で言った黒沢の瞳が揺れる。

その姿は、なんだかとても幼く見えた。


「こんなことしなくたって、高津はもう大丈夫だよ」


黒沢も、黒沢なりに沢山悩んできたのかもしれない。

その結果、少し間違えてしまっただけで。

きっと黒沢は、高津を守ることだけを考えてきたんだ。大切な人を、守りたいだけだったんだ。

その時、ふいに小さな笑い声が鼓膜を揺らした。


「……黒沢?」


「……ほんと、それだけで良かったんだけどなぁ」


顔をあげた黒沢は、偽物のような、どこか嘘っぽい笑みを浮かべていた。

……そう、まるでピエロのような。


「茜がお前のこと嫌いだって嘘吐いたのは、なんでだと思う?」


しれっと自白したな……。

そんなことを思いつつも、私は思考を巡らせる。


「……高津を私たちから引き離すため、じゃないのか?」


言うと、黒沢は楽しげな含み笑いを漏らした。


「惜しいな〜。正確には、里宮(おまえ)をあいつらから引き離すため」


まるで手品の種明かしでもしているかのような声で、黒沢は言った。その言葉の意味が上手く理解できずに首を傾げると、黒沢の瞳が真っ直ぐに私を射抜いた。

その顔からは、ピエロのような笑みが消えていた。



「……お前のことが好きだからだよ」



「……は?」




自虐的に肩をすくめてそう言った黒沢は、初めて見る笑い方をした。

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