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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第2章
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69. “嫌い”

真っ暗な空から、大粒の雨が降っていた。

強い風が建て付けの悪いドアをガタガタと揺らす。


「なんだよ、こんなとこ呼び出して」


何事もなかったかのようにそう言って短い髪をいじる黒沢に、私は歯を食いしばって怒りに耐えていた。







“緊急練習試合”の存在が部員全員に知らされた翌日、私は黒沢を屋上に呼び出していた。

しかし案の定梅雨の空は雨模様で、私達は屋上に出ることなく階段の踊り場で向かい合った。


昨日からずっと、全身が震えるほどの怒りが収まらない。

私から、みんなから、バスケまで奪おうとするなんて。そんな私の気持ちを分かる筈もない黒沢は平然とした様子でそこに立っていた。

まるで何も知らないかのような黒沢の態度に怒りが煽られていく。


「とぼけるなよ。お前がPTA会長に頼んだんだろ」


鋭い目つきで睨みつけると、黒沢は小さく息を吐いて呆れたように笑った。


「なに被害者ぶってんだよ。こうなったのはお前のせいだろ」


そう言った黒沢に、「は……?」と間抜けな声が溢れる。全く意味がわからない。

呆然とする私に、黒沢は口角を上げた。


「俺、言ったよな。“茜がいじめられてたことをこの学校に広めろ”って。そうしないと……何が起こるかわからないって」


悪戯に笑った黒沢に、思わず目を見開く。

あの時黒沢が言っていた意味深な言葉。


『なにかが起こるかもな』


楽しそうに弾んだ声が今も耳に残っていた。

あの時黒沢が企んでいたのは、これだったのか。

私を追い詰めて、それでも目的が果たされなかったら、初めから全部壊す気でいたんだ。


「流石にもう、お前だけでどうにかするなんて無理だろ。部活全体の問題になったわけだし、試合の対戦相手は超強豪校にしてもらったし。……言えよ、もう。茜に」


……実際、そうなのかも知れない。

部活を、関係ない人を巻き込んで。私1人の力で出来ることなんて、何もないのかもしれない。


黒沢の父を説得することは絶対に無理だろうし、岡田っちもこうちゃんもこの試合を無くすことは出来なかったんだろう。

廃部の話が私たちに知らされた時点で、それは決定事項になっているってことなんだ。

今更どうにも変えられない。


それでも、私の意思はハッキリしていた。


「言うわけないだろ」


強い口調で言い、黒沢を睨みつける。


「高津が傷付くのは目に見えてる。それに、今は……」


私と話したくなんかないだろう。

昨日の高津との会話を思い出し、言葉に詰まる。

高津とはあれから目も合わなかった。

怒っているのか、悲しんでいるのか。

分からなくて、知るのが怖くて、逃げている。


「なに、お前ら喧嘩でもしたの?」


「関係ないだろ」


顔を背けて言うと、黒沢は「分かりやす〜」と馬鹿にしたように笑った。

その言動にいちいち腹が立つ。


「黙れ」


低い声で言っても、黒沢は全く怯まない。笑顔を崩すこともない。黒沢と話してると本当に疲れるな、と思うと大きなため息が漏れた。


「……まぁ、そうだよな」


「なんだよ」


一瞬、自分の面倒臭さを自覚しているのかと思った。

顔をあげると、黒沢は目を細めて笑っていた。

楽しくてたまらない、とでも言うように。


「茜はお前のことなんて嫌いだもんなぁ」


ドクン、と、大きく心臓が跳ねた。

煽るような口調でそう言った黒沢の声が、身体中にまとわりつく。

全身を締め付けて、息が苦しくなっていく。


「……嘘、吐くなよ」


言い返した声は震え、掠れていた。

恐怖に支配されそうになる身体を落ち着けるように、腕を掴んで深呼吸をする。

これは明らかに黒沢の罠だ。

騙されるな。こいつの言葉なんて、全部嘘っぱちだ。


『いいよ、もう』


その時、記憶の中から高津の声が聞こえて、腕を掴む手から力が抜けた。

ため息と共に吐かれたその言葉が、再び私の心を抉る。


祈るような思いで顔を上げると、そこに立っていた黒沢はもう不気味な笑みを浮かべていなかった。

黒沢にしては真剣な、逆に不自然な顔をしていた。

そしてその顔のまま、「本当だよ」と、言った。

ガツン、と頭を殴られた気がした。


「お前は、茜に好かれてるって自信があるのか? 今俺が言ったことが、嘘だっていう証拠が? ……どうせ人間なんてそんなもんだよ。本当の心なんて分からない。信じたって、何の意味もない」


黒沢の言葉が、どんどん脳を支配していく。

それは、私の心を殺すには充分すぎるものだった。

否定したいのに、嘘だと思いたいのに、どこかでその言葉を理解している自分がいる。

どれだけ目を背けたって、消えてくれない傷跡はいつまでも私の中で疼き続ける。


「もう諦めろよ。……茜のことは、俺が()()から」


そんな言葉を最後に、黒沢は歩き出した。

階段を踏む足音が遠ざかって行く。

止む気配のない雨音だけがやけにうるさく響いていた。


『信じたって、何の意味もない』


……本当は分かっていた。痛いくらいに。

その言葉は、今まで私が散々思い知らされてきたことだったから。


目を閉じた瞬間、記憶の波が押し寄せる。


『蓮、大好き!』


『優勝おめでとう! 頑張ったね、蓮!』


……信じたって。


『おんなじだね』


『私のこと、“阜”でいいから……!』


何の意味もない。


『あの子は大丈夫よ。すっかり私に懐いてるから』


『阜もさ、男子の気を引くために里宮さんのそばにいるんでしょ?』


信じたって。


『さよなら、蓮。……今までありがとう』


何の意味も、なかった。


『蓮! なんで雷門に行っちゃうの!?』


意味なんてーー……。


ふと、温かい何かが頬を伝った。

阜と彩の笑顔が、浮かんでは消えて行く。

思い出が毒になって行く。汚されて行く。

耐えられなかった。

まだ、温かさも冷たさも痛いくらいに覚えてる。

思い浮かぶ笑顔も、心温まる会話も、次に浮かぶ景色は全部黒で。


楽しいことを思い出すと、辛いことも思い出す。

辛かった思い出を全部忘れて、綺麗なことだけ思い出せたら、どんなに幸せか。

“楽しかった”って、笑顔で終われる最後だったら、どんなに幸せか。


いつの間にか、忘れてた。

本当の気持ちなんて、誰にも分からないんだって。


気付くと、私はその場に膝をついていた。

上を向いて歯を食いしばっても、涙は手の隙間から止めどなく溢れ落ちてくる。

薄暗い階段の踊り場に、私だけの泣き声が響く。


“嫌い” “きらい” “キライ”


その一言が、形を変えて何度も胸に突き刺さる。




もう、誰のことも信じれない。

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