68. 心と形
「……里宮、やっぱり何かあっただろ」
そう言った高津は、全てを分かりきったような目をしていた。
ガヤガヤと賑やかな教室。
笑い声が飛び交うこの空間で、私たちだけが真剣な顔をしていた。
普段から目線が高いのに私が座っているからかいつも以上に高津との身長差を感じる。
疑うような目で私を見る高津に、怯まないよう机の下で両手を組む。
「ない」
動揺を隠し、ハッキリと答える。
それでも高津は、私の声が聞こえていないかのように話を続けた。
「……前も聞いたけど、里宮言ってくんないからさ。俺じゃ話しにくいのかと思って、長野にも頼んだんだけど」
それを聞いた瞬間、頭の中で、何かが音を立てて繋がったような気がした。
思えば、あの時の長野はあまりにも不自然だった。
勢いで話し出すようなこともなく、いつもと比べて少し静か。今の高津の話を聞いて納得した。
長野は話したかったんじゃない。
私の話を聞こうとしていたんだ。
……でも結局、私は長野を傷付けた。
「……高津が頼んだの」
掠れた声も気にせずに言うと、高津は「そうだよ」と頷いた。まるで、そうすることが当たり前のように。
「……なんで」
「そりゃあ、友達が悩んでたら、力になりたいと思うのは当たり前だろ」
それは確かに優しい言葉である筈なのに、私の胸は黒いもやで満たされていた。
私のことを助けて、黒沢のことを知って、傷付くのは高津なのに。人の心配なんかしてんじゃねぇよ。
そんなもの、私は。
「いらない」
噛み付くように言うと、高津は少し目を丸くした。
「いらないって……」
言いかけた高津を遮り、強い声で言う。
「私のことは私がどうにかする」
「どうにかなりそうにないから倒れたりするんだろ」
私の声に被せるようにしてそう言った高津に、ぐっと拳を握りしめる。
うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。
もう、放っておいてよ。
「高津には関係ない」
吐き捨てるように、そう言った。
頭上で高津の息を吸う音が聞こえる。
「……関係ないってなんだよ」
低い声がその場に響く。
ハッとして顔をあげると、高津は何かに耐えるような顔をしていた。
「里宮にとって、俺は他人なのか? “仲間だ”って、……“友達だ”って思ってるのは、俺だけなのか?」
徐々に語尾が強くなって行く高津の言葉が、凍りついた身体に叩きつけられる。
そんな訳ない、と、反論したくても口が上手く動いてくれない。
一刻も早く否定しなくちゃいけないのに、身体が硬って何も声が出なかった。
目の前の高津は、怒っているような、悲しんでいるような顔をしていた。
違うよ、高津。
私は、ちゃんと、みんなのこと。
「はぁ」
大きなため息が、心臓をギュッと締め付ける。
「いいよ、もう」
突き離すような、酷く冷たい声だった。
離れて行く高津を引き止めることも出来ず、震える手で心臓を抑えると、そこはじくじくと痛んでいた。
何度も深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。
冷静になっていけばいくほど、先程の会話や高津の表情が浮かび上がってくるようだった。
高津の辛そうな顔が歪む。
怒ってくれた方がまだましだったのに。
私は高津に、あんな顔をさせたかったんじゃない。
その時、脳内で黒沢がニヤリと笑った。
その笑みを見て、気づいた。
私は結局、高津を傷つけるつもりでいる黒沢と同じじゃないか、と。
『里宮にとって、俺は他人なのか?』
……悲しませて、傷付けて。
何が守るだ。笑えない。
黒沢の存在なんて関係ない。
私は今、私自身のせいで高津を傷付けたんだ。
* * *
「よっ、里宮。なんか元気ないな」
無駄に元気な黒沢の声に、誰のせいだよと心の中で毒を吐く。
終礼が終わり、部室に向かう途中で出くわした黒沢は、なんだかいつも以上にご機嫌だった。
嫌な予感しかしない。
思わず顔をしかめると、黒沢はクスッと楽しげな笑いを響かせた。
「今からそんなんじゃ、この先持たねぇぞ?」
耳元で不気味に囁いた黒沢を押し除け、私は言い返すことなく顔を背けた。
意味深な発言も、貼り付いたような笑顔も、もううんざりだった。
何の反応も示さない私をつまらなく思ったのか、黒沢は少しだけ不機嫌そうに唇を尖らせて離れて行った。
小さく息を吐いて歩き出そうとすると、上履きの先に影が落ちていることに気が付いて顔を上げる。
そこに立っていた人を見て、私は思わず目を丸くした。
「五十嵐……」
無意識に声を零すと、五十嵐は気まずそうな顔をして「ごめん」と小さく言った。
チクッと胸に痛みが走る。
昨日のことは、私の勘違いだと信じていたかった。
五十嵐には本当に用事があっただけで、私のことを避けた訳じゃないんだって。
……でも、今目の前にいる五十嵐は、私の知っている五十嵐じゃなかった。
「私のこと避けてたの?」
五十嵐の元気がないのは、私のせいなの?
私がまた、傷付けたの?
「ごめん……」
消え入りそうな声が聞こえて、私は思わずその場から逃げ出した。夕焼けに染まる廊下を走って、階段を駆け下りる。
耐えきれなかった。
あのまま五十嵐の前にいたら、また傷付けてしまいそうで。
人気のない廊下で立ち止まり、荒い息を整える。
震える両手に目を落とすと、その手が黒く染まっていくような錯覚に陥った。
私はこの手で、今までどれだけの人を傷付けて来たんだろう。
そんなことを考えて、私は初めて自分で自分が怖いと感じた。
* * *
「集合!」
体育館中に響いたその声に、私は体の動きを止めて振り返った。いきなり現実の世界に引き戻され、頭がぼうっとしているような気がする。
まるで夢から覚めたみたいだ。
軽く頭を振り、小走りで体育館の隅に向かう。
途中、同じように走って行く高津の後ろ姿が見えた。
高津とは、あれから一度も話さずに放課後になっていた。
部員全員を集合させたキャプテンは、無言でプリントを配り始めた。
なんだか張り詰めた空気を感じ、嫌な予感が胸に広がる。
まわってきたプリントを受け取り、そこに書かれた内容に目を通す。
“緊急練習試合”と題されたプリントには、何やら細かい字で長々と説明が書かれていた。
めんどくさいな、と思いつつも部活のことなので一文字目から読み始める。
その時、視界に飛び込んできた文字を見て、私は目を疑った。
“この試合に敗退した場合、雷門高校男子バスケ部は廃部とする”
一気に、深い崖の底に落とされたような感覚だった。
『無理はすんなよ。……特に、今日は』
『今からそんなんじゃ、この先持たねぇぞ?』
珍しく心配そうな顔をした岡田っち。
不気味に笑い、意味深に囁いた黒沢。
まさか、と、思った時にはその名前が目に入っていた。
“雷門高校 PTA会長 黒沢”
プリントの右上に小さく示されていたその名前に、私は目を見開いた。
気付くと、息は荒くなり手は震えていた。
間違いない。
PTA会長は、黒沢の父だ。
それ以外に考えようがない。
高津がいつか教えてくれた“幼馴染”の話を思い出す。
過保護で息子第一の父親。
それが本当なら、こんなめちゃくちゃな頼みでも簡単に聞き入れるだろう。
大事な息子の頼みだから。
どうして油断していたんだ。
どうして充分攻撃された気になっていたんだ。
あいつが、心だけで満足する筈がなかったのに。
あいつは初めから、“形”を崩すつもりでいた。




