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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第2章
63/203

62. “壊す”対象

顔を上げると、カーテンの隙間から光がさしているのに気がついた。

小さく息を吐き、読んでいたスポーツ雑誌を本棚にしまう。

うんと伸びをしてカーテンを開けると、そこには雲ひとつない青空が広がっていた。




* * *




「おはよう」


上履きを取ろうとしていた手を止め、反射的に顔を上げるとそこに立っていたのは黒沢だった。

自然と頬が引きつって行くのが分かる。

私は何も応えずに目線を逸らして上履きを取り出した。


黒沢のせいで、朝から最悪な気分だ。

そんなことを思いながらバタンと下駄箱を閉めて立ち上がると、折り曲げていた足が微かに痺れた。

私の前に立ちはだかるような形になった黒沢は、ズボンのポケットに両手を突っ込んでロッカーにもたれかかっていた。


そんな姿を見て、そのまま転べばいいのに、と思いながら無言で黒沢の横をすり抜ける。

後ろから「無視かよ〜」という声が聞こえるが、それすら無視して廊下を歩く。


黒沢とはなるべく関わりたくなかった。

黒沢が高津と幼馴染である以上、教室で近くにいることは仕方がないが、高津のいないところで黒沢と関わる理由は私にはない。


そんなことを考えていると、後ろから「おはよ、茜」という声が微かに聞こえた。

私は思わず過剰に反応してしまい、勢いよく振り返った。

何も知らずに、ただ黒沢を“良い奴”として見ている高津の、曇りない笑顔が見えた。


高津にはあの不気味な笑みを見せない黒沢は、高津と同じように普通に笑っていた。

でもその笑顔が、私にはあの日からピエロのように見えている。


その仮面の下にあの狂気に満ちた笑みを隠していると思うと、恐ろしくて身体が震えた。

そのまま反対側の階段の方へ歩いて行く2人の後ろ姿を、ぼんやりと眺める。


そして黒沢の腕が高津の肩に回った時、私は反射的に足を踏み出していた。

タンッと軽い音が響き、私はゆっくりと目線を下ろす。

一歩前に出た自分の足が目に入り、私は初めて気が付いた。


黒沢のことを、こんなにも警戒していたことに。


黒沢が、私の見ていないところで高津に直接危害を加える可能性だって十分にある。

他の皆だって同じことだ。

黒沢の本性を知らない皆じゃ、気付けない。

警戒することもできない。今の私みたいに。


私が、防がないと。


関わりたくないとか、避けたいとか、そんなこと言ってる場合じゃない。

私が、黒沢の狂気を知っている私が、見張っておかないと。


だって、黒沢は。


『なにかが起こるかもな』


なにをするか分からない、危険な人間なんだ。



「黒沢!」


思わず大声で呼び止めると、少し遠くを歩いていた黒沢と高津が同時に振り返った。

黒沢が口を開くより前に、高津が「おー、里宮じゃん」と片手を上げる。

私は小走りで2人に近付き、高津に向かって小さく「おはよ」と言った。


高津は「おはよ」と笑顔で返して再び歩き出す。

私はその後ろにいる黒沢を睨みつけた。


黒沢は、ピエロのような笑顔を貼り付けたまま、「おはよ、里宮」と挨拶をしてきた。

まるで、今日初めて顔を合わせたかのように。

その瞳が笑っていないことに気づき、私は慌てて目を逸らして「うん」とだけ返した。


高津の前では、私たちはただのクラスメイトだ。

高津の前では普通に笑う黒沢のように、私も今まで通りの姿を意識して過ごした。

変に黒沢を敵視していると高津に怪しまれてしまうからだ。


なんとしてでも、高津にバレる訳にはいかない。

高津を傷付ける訳にはいかないんだ。

そう自分に言い聞かせ、高津の大きな背中に隠れるように階段を上って行った。




* * *




暗闇の中にチャイムの音が響いて、私は初めて自分が眠っていたことに気が付いた。

あの夢のせいで睡眠不足なんだよな、と思いながら大きなあくびをしていると、近寄ってきた高津が面白そうに笑った。


「でっかいあくびだな。授業中めっちゃ寝てたけど、昨日何時に寝たんだよ」


「別に……」


遅くに寝たんじゃなくて、変な夢のせいで早起きしすぎたんだよ。

頭の中に浮かんだセリフを飲み込むと、代わりに大きなため息が漏れた。


ただでさえここ数日疲れが溜まっていたのに、短い睡眠時間もあの夢のせいで眠った気がしなかった。

それからは本当に眠っていない訳だし、今日はいつも以上に授業中爆睡してしまった。


それでもまだ頭はぼんやりとしていて瞼は重い。

やっぱり睡眠は大事だな。

そんなことを思いまた小さなあくびをしていると、ガタッと椅子を引く音がやけに大きく耳に届いた。

思わず釣られるようにして立ち上がる。


夢の中で私を苦しめた人影が立ち上がり、教室のドアから廊下へ出て行った。

そいつが足を向けた方には、F組……川谷のクラスがある。


「里宮?」


不思議そうな声に引き止められ、私は一歩足を出した状態で立ち止まった。

振り返ると、高津が不思議そうな顔をして首を傾げていた。


「どこ行くんだよ」


「……ちょっと」


呟くように言って、私は逃げるように歩き出した。

黒沢を見張っていなくちゃいけないと思ったばかりなのに、さっそく1人で行動させてしまった。

そんなことを考えながら、高津の不思議そうな表情を思い出す。


私はきっと、高津の隣にいたら、黒沢のことを隠し通せない。

高津は人のことをよく見ているし、小さな変化にも気付ける人だ。

だから、高津はいつも私の異変に真っ先に気が付いて心配してくれていた。

けど、今回はそれじゃあダメなんだ。


いずれあの“不思議”は“不審”に変わる。

そして黒沢の企みがバレてしまったら……。


高津は、きっと、壊れてしまう。


ギュッと拳を握り、人の群れを避けながら足速に廊下を進む。

やがて、少し先を歩く背中が見えてきた。

……あいつの思い通りになんて、絶対させない。


その時、目の前を他クラスの生徒が通り過ぎた一瞬、その背中は姿を消した。

驚いて辺りを見回しても、笑い合う生徒達の中にその姿は見つからない。

まるで本当に消えてしまったみたいだ。


訳が分からなくなりながらも、川谷のことが気になってとりあえずF組に向かおうとすると、突然腕を引かれる感覚があった。

抵抗する暇もなく、人気のない階段の踊り場に引き込まれる。

勢いよく顔を上げると、そこにいた人物を見て私は思わず目を見開いた。


「離せっ」


力強くその手を振り払うと、相変わらず気味の悪い笑みを浮かべた黒沢がそこに立っていた。


「なに付いて来てんだよ」


その低い声とは対照的に、不自然な程笑った黒沢の顔が私の顔を覗き込む。

キュッと唇を結んで目を背けると、黒沢は楽しそうに乾いた笑い声を上げた。


「まぁ、丁度良かったよ。俺も里宮に話すことあったから」


その言葉を聞いて、自分の身体が強張るのを感じた。

黒沢の“話すこと”はいつも私の精神を削らせる。

ギュッと目を瞑ると、微かに黒沢の息を吸う音が聞こえた。


「“五十嵐 修止”も、高津の“仲間”だよな?」


その名前を聞いた瞬間、心臓が大きく跳ねた。

握った拳が震えていく。


「……なんでわかった?」


低い声で言うと、黒沢は満足そうに目を細めて言った。


「ご丁寧にも、茜が教えてくれたんだよ。お前ら、いつも中庭に集まって飯食ってるだろ。この間誘われた時に誰が居るか聞いたんだよ。あと、“川谷”と話した時にも確認した」


淡々と話す黒沢の声がどこか遠く聞こえる。

黒沢にとって、高津の“仲間”は“壊す”対象。

黒沢が、私だけで満足する筈がなかったんだ。

私だけを高津のそばから引き離しても、高津は独りぼっちにはならない。


……手遅れになってしまう前に、私だけでなんとかしようと思っていたのに。

もうバレてしまった。


黙ったままでいる私を見て、黒沢は勝ち誇ったようにゆっくりと口角を上げた。


「里宮、川谷、五十嵐、長野。

この4人が、茜の内側にいる人間だ」



混乱した頭の中で、その言葉だけがやけに大きく響いていた。

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