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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第2章
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55. “あいつ”の記憶

「いや、ありえねぇわ」


全力で顔をしかめた五十嵐が吐き捨てるように言った。続けて長野も「バケモンなんじゃね?」と汗を拭いながら呆れ笑いを浮かべる。

2人の視線は、コート内で走り続ける里宮に向けられていた。


部活終わり、俺たちは病み上がりの里宮に付き合わされ、いつも以上の練習量にくたくたになっていた。

普段の練習も死にそうになるほどキツイのに、その上里宮の病み上がりとは思えない体力に振り回されたせいでいつもの3倍は消耗していた。


一旦休憩しよう、と言ったのだが、里宮はあからさまに嫌そうな顔をしてひとりコートから離れようとしなかった。

今はなぜかキャプテンが犠牲になっている。


「無理すんなよー」と声をかけたが、里宮には聞こえていないようでこっちを振り返ることもしなかった。

全く、と呆れ笑いを浮かべていると、近くで練習していた相沢の声が聞こえてきた。


「だから、そこが違うんだって」


目を向けると、ゴールの前に篠原と相沢が立っていた。二人も俺の視線に気がついたようで、軽く頭を下げる。


「あ、高津先輩。見てくださいよ、シノのシュートちょっと変なんすよ」


相沢がそう言って篠原に目配せすると、篠原は少し躊躇ったが小さくジャンプをしてゴールに向けてシュートを放った。

投げられたボールがガンッと音を立ててリングにぶつかり、床に落ちる。


「……なんか小動物みたいだな」


思ったことをそのまま言うと、篠原は「“小”が余計です!」と怒った顔をした。

“動物”は別にいいんだ……。


「だってシノ小さいじゃん。あ、高津先輩、聞いてくださいよ。シノ中二の時から1ミリも」


「わぁぁ言うな!」


背伸びをして相沢の口を塞いだ篠原はキッと相沢を睨みつけた。仲の良い二人のやりとりを見て、なんだか微笑ましい気持ちになる。


「笑わないでください高津先輩……いや、笑うならもっと豪快に笑ってください。微笑まれると虚しくなります……」


篠原の声にハッとして「あぁ、ごめん」ととりあえず謝ると「謝るのも禁止です!」と更に怒られてしまった。

じゃあどうすればいいんだよ、と思い呆れ笑いを浮かべる。


笑い合う篠原と相沢を見て、俺はその姿を無意識に過去の自分と重ねていた。


まだ背の低い自分が笑う隣には、いつも“あいつ”がいた。

他の誰より、一番に信頼していた。

これから先もずっと、大人になっても、当たり前のように隣に居るものだと信じて疑わなかった。



……懐かしい、“あいつ”の記憶が蘇ってきた。



* * *



高津 茜、当時小4。

俺には隣の家に住む幼馴染がいた。


“あいつ”の名前は黒沢 鷹(くろさわ たか)

鋭い目つきに短めの髪。

その見た目に反して優しいやつだった。


小3の時クラスが離れたけど、それからも登下校は毎日一緒で、幼馴染で親友、という関係になっていた。

心の底から鷹のことが好きだった。

家族よりも信頼していた。


ある日、いつもどおり帰路につこうとしていた時、正門前で忘れ物に気付いた鷹は教室に戻った。

先に帰っていて良いと言われたが、俺はそのまま正門前で鷹の帰りを待った。


5分、10分と時間は過ぎて行き、20分経っても鷹は戻らなかった。

なかなか帰って来ない鷹のことが気になって、俺も教室へ向かうことにした。

ただ突っ立っているのに飽きてきたこともあったかもしれない。


階段を上り、夕日の差し込む廊下を抜け、薄暗い教室が見えてきた。

その時、ガタンッと大きな音が廊下中に響き、俺は思わず体を震わせた。

音は鷹の教室から聞こえた気がした。嫌な予感が胸に広がり、俺は慌てて走り出した。

あまりに大きな音だったから、鷹が机でも倒したのかと思い、心配になったのだ。


視界が開け、鷹の名前を呼ぼうとした俺は、言葉を失った。息が、止まりそうになった。

逆光に浮かび上がる3つのシルエット。

窓側の壁に体重を預け、腹を抱えて呻いている鷹。

その側に転がる机。


目の前の光景が信じられなかった。

“いじめ”その単語が頭の中に浮かぶ。現実では起こる筈のない、違う世界の話。俺には遠い存在。

ずっと、そう思ってたのに。


「高津?」


座り込む鷹の前に立っていた3人のうちのひとりが振り返って俺の名前を呼んだ。

そいつは鷹と同じクラスで、俺も何度か話したことのあるやつだった。いつも周りには誰かがいて、よく目立つ存在。先生に怒られているところも何度か見たことがあって、問題児とも言われているけれど、話してみたら意外と普通。

そう思っていたやつだった。


俺は暴れる心臓を落ち着けるように何度か深呼吸してから、「なにしてんの?」と震えた声を絞り出した。

なにをしているのかなんて、聞かなくてもわかった。

それでも聞かないわけにはいかなかった。

どういうつもりで。どうして、お前らが、鷹に。


「え、なんもしてないけど?」


そう言って、そいつは笑った。

今思い返せば、吐きそうなほど気味の悪い笑みだった。


「なぁ黒沢。俺らなんもしてないよな?」


ヘラヘラとした笑みを浮かべたまま鷹の顔を覗き込んだそいつに、鷹は黙ったまま顔を背けただけだった。

その反応を見た瞬間、笑っていたそいつの瞳からスッと色が消えた。


「なんか言えよ」


低い声で言い、そいつは足を振り上げた。

ハッとして俺が手を伸ばす間もなく、一切躊躇せずにそいつは鷹の腹を勢いよく踏みつけた。

聞いた事のない、歪な音が教室中に響く。

鷹の顔が歪む。

その瞬間、頭の中でブチンと太い紐の切れるような音が鳴った。


「やめろよ!」


さっきまで震えていた足が驚くほど簡単に走り出し、俺は鷹の側に駆け寄った。

慌てて「大丈夫か?」と声をかけるが、鷹はなにも答えずに俯いた。


「せっかく“親友”が心配してくれてんのに無視かよー」


あははと笑う声に、腸が煮え繰り返りそうになる。

ギュッと拳を握り締めると、爪が手の平に食い込んで鋭い痛みが走った。

ただ、信じられなかった。こんな狂ったような人間が本当にこの世に存在するのか。

3人の笑い声は、バラエティー番組でも見ているかのように心から楽しそうだった。

それが一番気味が悪かった。


とにかくこのまま逃げよう。そう思った時、ぐっとシャツが引かれて俺は床に手をついた。

耳元に鷹の息がかかる。


「帰れ」


俺にだけ聞こえるように、掠れた声で鷹はそう言った。思わず顔を上げると、鷹は口を閉じたまま目線だけ教室のドアの方へ向けた。

その時、黒いシャツの陰から、鎖骨あたりに広がる痣が見えた。

赤紫色に腫れたそれは、明らかに今日できた物ではなかった。


俺は咄嗟に鷹の腕を掴んで立ち上がらせ、教室のドアをめがけて地面を蹴った。

鷹は一瞬驚いたように目を丸くしたが、俺に合わせて走り出した。階段を駆け下りていくうちも、後ろから追いかけられている気配はなかった。


追いかけられるどころか、呼び止められることすらなかった。それでも俺は鷹の腕を掴んだまま正門まで一気に走った。

息が切れても、逃れる足は止まらなかった。


もう大丈夫だろう、そう思って振り返ると、鷹は膝に手をついて顔を伏せていた。


「鷹?」


大丈夫か? そう言おうとして、俺は口を噤んだ。

アスファルトの上に水滴が落ちる。


鷹は、泣いていた。


声を殺して、シャツの袖で涙を拭って。

……いたずら好きで、いつもふざけて笑っていた鷹の涙を見るのは初めてのことだった。


そのまま、いつもより重い足取りで、鷹の歩幅に合わせながら帰り道を並んで歩いた。

家に着くまではお互い一言も話さなかった。


……俺は、鷹がいじめられていたなんて知らなかった。さっき見た、服に隠された痛々しい痣を思い出す。それに比べて顔には傷1つ付いていなくて、きっと見えないところだけを攻撃されていたんだろうと思った。


悔しくて、腹が立って、どうしたらいいのかわからなくて、俺の方が泣きそうだった。


「今まで気付かなくてごめんな」


無言で家へ入ろうとした鷹の背中に向かって言うと、鷹は振り返らないまま小さく首を振って家に入って行った。


その日、俺は親の前でも上手く笑うことができなかった。悲しみ、不安、怒り、恐怖。様々な感情に押し潰されて、壊れてしまいそうだった。

暗い気持ちのままベッドに入って、鷹のことを考えて、少し泣いた。




それから、鷹はしばらく学校を休んだ。

電話をしても、鷹の母親が出るだけで、鷹と話をすることはできなかった。


そのまま一週間が過ぎた頃、鷹は俺の前から姿を消した。


ある日突然、何の連絡もなしに鷹は隣の家からいなくなっていた。

どこか遠くへ引っ越したらしい。学校では親の仕事の都合だと説明された。それが嘘であることくらい、俺にもわかった。

昔から鷹の両親は過保護だった。特に、父親が。

鷹のためならなんでもする。そんな人だった。

そんな父親が、いじめのことを知って何もしない訳がない。


心にポッカリと穴が空いてしまったような感覚だった。何をしていても、どこか寂しいような、虚しいような感覚が消えなかった。

そんな時、畳み掛けるように不幸が俺を襲った。


新学期。新しいクラスには、鷹をいじめていたやつらの姿があった。


何のきっかけもなく、そうなることが当たり前のように、いじめが始まった。

仲が良かったやつも、正義感の強いやつも、関係なかった。みんな同じ反応をした。

誰ひとりとして俺に近づこうとしなかった。

俺の味方は誰もいないんだと、思い知らされた。


痛ければ痛いほど、鷹のことを思い出す。

こんなに痛い思いをしていたのに気づいてやれなかった。助けてやれなかった。

幼馴染なのに。親友なのに。


俺は、あいつを救うことができなかった。

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