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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第2章
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49. 何に代えても

で、結局……なんだ?

充が、結婚?


状況が理解できずに戸惑っていると、充に「とりあえず着替えて来れば?」と言われ、俺は2階の自室で私服に着替えていた。


きっと、混乱していた俺に状況を整理する時間を与えてくれたのだろう。

なんか変な感覚だな。兄弟が結婚するなんて。

そんなことを考えながらパーカーの袖に腕を通す。


結局、着替えてからも現状はよくわからないままだった。ふわふわした頭のまま階段を降りて行くと、充の結婚相手と思われる人がそこに立っていた。


「あ、降りてきた」


そう言って顔を覗き込まれて、俺は思わず軽く仰け反る。

猫のように大きく、茶色がかった瞳。

ショートカットに切りそろえられた髪は明るい金色に染められていた。

パッチリと開いた瞳に、吸い込まれるような錯覚に陥る。


「私、石上 くるみ。よろしくね、“竜くん”」


そう言って上目遣いに微笑んだその人は、薬指に充とお揃いの指輪をはめていた。



* * *



「えっと……くるみ、さん?」


俺が恐る恐る声をかけると、くるみさんはニコッと笑って元気な声を上げた。


「あはは、そんな警戒しないでよ。お兄ちゃんの彼女がこんなんでビックリしたっしょ。それとも、充はもっと可愛い女連れてくると思った?」


ケラケラと楽しそうに笑うくるみさんと俺は、ダイニングにある椅子に向かい合って座っていた。

充が和室で両親と話してるから外に出てきたはいいけど……ちょっと気まずい。


一方くるみさんは気まずさなんて少しも感じていないようで、美味しそうに紅茶を飲んでいた。


「なんか、“くるみ”っぽくないですね」


気づくと、ふと思ったことをそのまま口にしていた。

先程『“くるみ”って呼んで』と言われてから“くるみさん”と呼ぶようになったが、なんとなく柔らかい雰囲気を想像させるその名前に、金髪で賑やかな女性はどこか当てはまらない気がした。


……いや、完全に偏見だな。

失礼だったかな、と早くも発言を後悔する。

そんな俺の感情とは裏腹に、くるみさんは驚く様子も見せず豪快に笑った。


「あはははは! うん、よく言われる!」


その笑顔を見て、俺は思わずホッと息を吐いた。

くるみさんは賑やかで、いつも笑顔で、親しみやすい感じがした。まだ初めて会って数分しか経っていないのに、もうすっかりくるみさんの存在は俺の空間に馴染んでいた。


どこか幼く見える豪快な笑い顔。

それでも確かにくるみさんは、充と同じ大人なんだ。


「あの、ちょっと聞いてもいいすか」


躊躇いがちに言うと、くるみさんは「いいよ、なんでも聞いて」と優しく微笑んだ。


くるみさんは確かに大人の女性なのに、どこか逞しいところもあった。この優しい笑顔に、強い心に、充は惚れたんだろうか。


「あの……“好き”って、どんな感じですか?」


今までずっと、聞きたくても聞けなかった。

聞ける大人がいなかった。

くるみさんは驚いたように目を丸くしてストローから口を離した。


「え、恋したことないの? 彼女とかいないんだ? すげーチャラそうな弟だなと思ってたのに。ま、私が言うなって感じだけど」


くるみさんはまた楽しそうに笑って、「恋かぁ」と呟くように言った。

難しそうな顔をしたくるみさんは顎に手を当てて考え込む仕草をする。


「う〜ん……。その人のことしか考えられなくて、何に代えても一緒にいたいと思える存在……かな。人それぞれだと思うけどね。まぁ私の考えだけど」


そう言って再びストローに口をつけたくるみさんに、俺は思わず下を向いていた。


『今、どうしようもなく好きな子がいる』


『竜も、恋すればわかるよ』


「じゃあ、その“代え”にされた人の気持ちはどうなるんですか」


小さく呟いた言葉に、ハッとして顔をあげると案の定くるみさんは驚いたように目を丸くしていた。


「あ、いや……」


俺が言葉を濁していると、くるみさんは小さくも、どこか力強い声で「わかるよ」と言った。

紅茶の入ったコップをテーブルに置き、くるみさんは窓の外に目を向けた。


「私ね、高校ん時。すっごい仲良い友達がいたんだ。大学も、同じとこ行けたらいいねって。でもその子、彼氏ができて。いっこ上だったんだけど、その彼氏と同じ大学に行くって。私との約束破ることなんて、全然躊躇ってなくて。二人で行こうとしてた大学より偏差値高いのに、それでも行くって。

……今までずっと一緒にいたのに、最近出会ったばっかの人の方が大切になっちゃったんだよ。私それすごいショックだった。だって、同じ大学行こうって言ってきたの、その子だったんだよ?」


振り返って呆れたように笑ったくるみさんの顔がどこか寂しげに見えて、ギュッと胸が締め付けられる。

さっきの賑やかなくるみさんとは別人みたいだ。


「それで、気づいた。その子、私に合わせて偏差値低い大学選んでたんだよ。私、悔しくてしょうがなくて。その時、塾で隣の席だった充が、その子と彼氏の大学より偏差値高い大学行くって聞いて、思わず“私も!”ってなっちゃったんだよね」


一旦話を切ったくるみさんは、微かに頬を赤く染めていた。照れ隠しのようにストローをコップの中でくるくると回しながら、くるみさんは話を続けた。


「もちろん、親はすごい反対したよ。担任の先生も、『行けるはずないだろ』って。私、すっっごい馬鹿だったからさ。でも負けず嫌いで、反対されれば反対されるほど燃えちゃって。

それから同じ大学受験するからって一緒に勉強するようになった充と仲良くなって、好きになって……って感じかな。大学合格して、同棲しようって言われた時も、すごい嬉しかった。……でも、不安だった。私も、充と一緒にいることで誰かを悲しませるんじゃないかって」


ストローから手を離し、顔をあげたくるみさんの瞳が真っ直ぐに俺を射抜く。


「でもさ、充は違ったんだ」


そう言ったくるみさんは諭すように優しく微笑んだ。


「充はもちろん、竜くんのことも、御両親のことも置いて行ったよ。でも、捨てたわけじゃない。“代え”にしたわけじゃない」


くるみさんの真剣な表情に、心臓が一つ大きく跳ねる。くるみさんは勿体つけるようにゆっくりと口を開いた。


「充はいっつも、竜くんのこと心配してたよ」


その言葉を聞いた瞬間、俺は思わず目を見開いていた。


「竜くんにとっては辛いことだったのかもしれないけど、充は忘れてなんかいなかったんだよ」


俺が本当に聞きたかったことを、くるみさんは見抜いていた。

俺は、どこかで充に捨てられたような気がしていたんだ。ずっとそばにいてくれたのに、ずっと優しくしてくれたのに、ある日突然いなくなって。


俺のことなんてどうでもいいように。

家族も、他の誰も捨てて、“好きな人”だけを大切にして。


そんなに“好きな人”が大事かよって思ってた。

『何に代えても一緒にいたい』

それは確かにすごいことなのかもしれない。

誰もが思うことなのかもしれない。


だけど俺は、自分がその“代え”にされたような気がしてしょうがなかった。


充は、俺のことを見捨ててなんていなかったのに。


『おかえり、竜』


「ありがとう、ございます……」


くるみさんは何も言わずに優しく微笑んだ。

さっきまで賑やかで元気な人だと思っていたけど、優しくて柔らかい一面もあるんだな、と俺は思わず目を細めた。


その時俺は、こんな良い人と結婚できるなんて充は幸せ者だな、と素直に思った。

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