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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第2章
47/203

46. 誰にもわからない

優花の病室を出て、隣の病室の前に立つ。

一つ大きな深呼吸をして軽くドアをノックすると、「はい」と応える声が聞こえて、俺は静かに病室のドアを開けた。


夕焼けのオレンジ色に染まった病室の中、高橋はベッドの上で体を起こして窓の外を眺めていた。


開け放たれた窓から吹き込んだ風が、高橋の軽そうなボブの髪を揺らす。

ゆっくりと振り返った高橋の目には涙が溜まっていた。


「私……明日、手術なんだって」


泣きそうな声で呟くように言った高橋に、何を言ったらいいのかなんてわかるわけがなかった。


「成功率の低い手術なんだって」


その言葉が、深く心臓に突き刺さる。

数秒の沈黙の後、高橋は静かな嗚咽を漏らし始めた。


「私……死ぬことなんて、全然、考えてなかったの。きっと心のどこかで、ありえない話だって思ってた。でも、私、死んじゃうかもしれないんだって。今はこんなに元気なのに、明日死んじゃうかもしれないんだって。どうしよう、五十嵐くん。どうしよう」


震える声でそう言った高橋は、顔を覆って泣き出した。その姿を前にしても、俺は口を開くことができない。

無責任に慰めることも、同情することも許されない気がした。


……どうしたらいい。

俺にできることはなんだ?

俺が高橋のためにできることは……。


「高橋」


発した声は小さく、自分でも驚くほど震えていた。

ゆっくりと高橋のベッドに近づき、少し離れたところにあったパイプ椅子を手繰り寄せて座る。


顔を上げると、ベッドの上で体を起こしている高橋と真っ直ぐに視線が重なった。

俺は高橋の小さな手をそっと握った。


……暖かい。生きている人の手。

でもこの手が、いつどこで氷のように冷たくなってしまうのかは、誰にもわからない。


「……明日、ここの近くで練習試合があるんだ。だから、試合が終わったら会いに来る。……話したいことがあるんだ」


“明日”を乗り越えることができたら、俺はこの気持ちを高橋に伝えられる。そんな気がした。

小6の頃から心の奥に仕舞い込んできた気持ち。

告白を断るたび、浮かんできたボブの髪。


今まで搔き消してきた想いからも、もう逃げない。

だから、高橋も。


「ダメ!」


突然そう叫んだ高橋は、息を切らして涙で濡れた瞳をこちらに向けた。


「今日にして! 今教えてよ。今話してよ! 明日には私……」


その先の言葉を言えないのだろう、高橋は苦しげに唇を噛んだ。


「……大丈夫だよ」


小さな声で言うと、高橋は驚いたように顔を上げた。

俺の発言は無責任だ。

『大丈夫』なんて確信はどこにもない。

俺は医者じゃないし未来が見えるわけでもない。


……後悔するかもしれない。

もしかしたら。

今日伝えなかったことを後悔するかもしれない。

また自分を呪うかもしれない。


……でも、信じてるから。

信じるって決めたから。

俺は両手で高橋の手を握った。


「大丈夫だ、高橋。大丈夫! 絶対大丈夫だから……」


高橋は泣きながら何度も頷いた。

細かく震えた手で、確かに俺の手を強く握り返す。

俺の手の上に、高橋の涙が落ちる。


「ありがとう、がんばる……」


呟くようにそう言った高橋の声は、“今日”の終わりを告げる夕日に飲まれていった。



* * *



目を閉じてゆっくりと深呼吸をする。

吹く風はすっかり暖かい。


今日は練習試合の日。

俺たちは優花と高橋の病院の近くにある青山高校に来ていた。


先輩たちとコーチが話しているのを尻目に、左手首の腕時計に目を落とす。


時刻は午前7時40分。

高橋の手術が始まるのは午前11時からだ。


……今は試合に集中しよう。

何度そう思っても、時間ばかり気にしていてコーチの話が全く耳に入ってこない。


高橋のことばかり頭にある。


コーチの話が終わり、小さく息を吐くとポケットに入れっぱなしだったスマホが安っぽい電子音を奏で始めた。


まだ試合が始まりそうにないのを確認し、スマホを取り出すとそこには知らない番号が表示されていた。

俺は首を傾げながらも会場の外へ出て何の躊躇もなく通話ボタンを押した。


「お兄ちゃん!?」


突然聞こえてきたのは、優花の慌てた声だった。

嫌な予感が胸に広がり、心臓の鼓動が早くなっていく。


「舞ちゃんが……!」



……その先の言葉なんて、とっくに聞こえていなかった。聞こえていないことにしたかった。


まだ『通話中』と表示されたスマホの画面が妖しく光る。

スマホを持っていた腕が、だらんと力なく垂れ下がって揺れた。


俺は呼吸をするのも忘れてただそこに佇んでいた。

スマホをもう一度耳に近づける気にはなれず、俺は震える指で電話を切った。

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