41. 初恋
教室の窓から見える空は、去年と比べて少し近くなった気がした。そんな景色にも見慣れて、最近は夏を感じさせる気温になる日も増えてきた。
教室に五十嵐や長野や川谷がいないのは少し寂しいけど、里宮とは同じクラスだし……。
「はよー」
大きなあくびをしながら教室に入ってきたテキトー教師。2年でも担任は岡田っちだった。
俺と里宮は2年連続だ。
岡田っちの大きなあくびにつられながら、廊下側の席に目を向ける。
そこにいつもの小さな背中は見当たらなかった。
「里宮、風邪かな」
昼休みの裏庭。
弁当箱に入っていた卵焼きをつつきながら呟くと、丁度購買のパンを食べ終えた様子の長野が口を開いた。
「そーじゃん? あいつ意外とすぐ風邪引くよなー」
「確かに……」
そういえば昨日の試合帰り、ちょっと様子が変だった気がする。心配になってLINEを送ってみたが、返信もなければ既読も付いていない。
ぶっ倒れてないと良いけど……。
「まず」
唐突に聞こえた声に顔を上げると、『あま〜いカフェ・オレ』と書かれた紙パックを持った五十嵐が険しい顔で口元に手をあてていた。
「珍しいな、そんな甘いの飲むの」
「間違えて買ったんだよ。こんな甘いの飲めねぇし」
不機嫌そうにそう言った五十嵐は紙パックを破壊して中身を排水溝に流し込んだ。
やがて空になった紙パックをゴミ箱に投げ捨てると、俺の隣にドスッと腰を下ろす。
間違えて買ったのはわかるけど、なんで飲むまで気づかなかったんだよ。と、思ったけど口に出すのはやめておいた。珍しく不機嫌そうだし。
小さく息を吐くと、隣のベンチで黙ったままぼーっとしている川谷が目に入った。
「川谷?」
俯き気味の顔を覗き込むと、川谷は「へ?」と間抜けな声を出した。
「大丈夫か? なんかぼーっとしてたけど」
「あぁ、うん……」
曖昧に答えた川谷に違和感を感じつつも、弁当箱に残っていたミニトマトを口の中に放り込む。
なんだかみんなの元気がないような気がした。
気のせいであって欲しいと願いながらなんとなく空を見上げると、いつもより黒い空が俺たちに覆い被さっていた。
* * *
川谷 健治、16歳。
恋に落ちました。
あれは二年生になって間もない頃。
一目惚れなんて信じてなかったのに、あっさり一瞬で好きになってしまった。
まだ新しいクラスにも慣れなくて、隣にいる人間が急に変わると変な感じがするな、なんて思いながら中庭に向かっていた時、ドンッと突然後ろからぶつかってきた人影があった。
驚いて振り返ると、長い髪をハーフアップに結んだ女子が座り込んでいた。
「ごめん、大丈夫?」
慌ててしゃがんで手を差し伸べると、名前も知らない彼女は顔をあげて、少し長めの前髪に隠れていた瞳が露わになった。
「ご、ごめんなさい」
頬を赤く染めた彼女の声は澄んでいて、茶色がかった髪がふわりと揺れていた。
彼女の名前は飯島 香澄。
2年E組で隣のクラスだということを知った。
「川谷くん、この前はごめんなさい」
後日、そう言って渡されたのは可愛らしい紙袋に包まれたクッキーだった。
「え、いやいやぶつかっただけだし大丈夫だよ。それより、飯島さんは怪我しなかった?」
慌てて手を振りながら言うと、飯島さんは頬を赤らめて前髪をいじった。
「わ、私は大丈夫だったけど……」
そこまで言うと、飯島さんはチラッと俺の顔色を伺ってポケットを指さした。
「スマホのケース、割れちゃってたよね?」
「え……」
図星を突かれて、俺は思わず言葉に詰まった。
そう、実はあの時ぶつかった衝撃でスマホを落とし、ケースが割れてしまっていたのだ。
気を使わせるといけないと思って急いで隠したのに、よく見てるな……。
「あの、弁償します! 本当にごめんなさい……!」
必死に頭を下げる飯島さんに、「いやいや、弁償なんてそんな」と顔の前で両手を振る。
スマホ自体が壊れたわけじゃないし、そこまで気にしなくていいのに……。
本気でそう思っているのに、飯島さんは気が済まないらしくずっと申し訳なさそうな顔をしていた。
「……じゃあ、クッキーもらうよ。ありがとう」
飯島さんの手からクッキーを受け取って笑うと、飯島さんはホッと息を吐いてやっと笑顔になってくれた。
ペコッと頭を下げて、隣の教室に入って行く。
どうしてか俺は、その後ろ姿から目が離せなかった。




