39. 出来なくたって
「ほ、本当にやるんですか……?」
小さな声で言うと、里宮先輩は「あたりまえでしょ」と真顔で答えた。
僕たちは会場のドアの後ろに隠れていた。
ベンチのそばでは、コーチがキャプテンの坂上先輩と話をしている。
タイミングを見計らっていると、坂上先輩がコーチとの会話を終えたらしく手を振ってその場を離れた。
次の瞬間、先輩は「行くぞ」と呟くように言って強引に僕の手を引いた。
「ちょ、先輩……!」
先輩は僕の方なんて見向きもせず一直線にコーチの元まで歩いて行った。コーチが僕達の方を向くと同時に、先輩は僕の背を押す。
僕は慌てた状態のままコーチの目の前に放り出された。
「どうしたの? 篠原くん」
そう言ったコーチは、目を丸くして小首を傾げた。
中学の時のコーチとは違い、優しい人だ。
だからって、緊張しないわけがないけど……。
チラッと里宮先輩の方を向くと、先輩は“自分で言え”と言わんばかりに目を逸らした。
そんなぁ……。
「あの、えっと……」
何から話せば良いのかわからずに戸惑っていると、後ろにいた里宮先輩が小さく息を吐いた。
「私の代わりに篠原を試合に出す」
唐突にそう言い放った里宮先輩に、コーチは目を見開いた。
「え、代わりにって……」
「私さっき怪我したから」
食い気味にそう言った先輩は見せつけるように包帯の巻かれた左手首をあげた。
「えぇ! 大丈夫!?」
「うん。痛いけど」
まるで自分のことのように慌てて心配しているコーチに対し、先輩はバスケできないアピールなのかわざとらしく手首を揺らして痛がっていた。
思わず吹き出してしまいそうになり、キュッと固く唇を結ぶ。
「お願いします……!」
勢いよく頭を下げると、コーチは気不味そうに目を逸らした。
「えっと、ごめんね篠原くん。今日出す一年生はもう決まっちゃってて……。里宮ちゃんが出れないなら、先輩に出てもらうしかないんだ」
諭すような、優しい断り方。
コーチが困っているのが痛いほど伝わってくる。
……当然だ。
こんなにも弱い僕が、里宮先輩の代わりに出ることなんて出来ない。
……でも、先輩は諦めていなかった。
「今日は一年を優先的に活躍させるって言ってなかったっけ?」
先輩は、コーチの目をまっすぐに見て強い口調でそう言った。痛いところを突かれたコーチはぐっと言葉に詰まる。
「篠原は強い。私が言うんだから、絶対だ」
先輩の言葉を聞いて、僕は思わず目を見開いていた。
僕のことを、こんな風に言ってくれる人は今までいなかった。“強い”だなんて、言われたことがなかった。
でも里宮先輩は、僕のことを信じてくれている。
僕は、強くなることができるのだと。
コーチは数秒考え込んで、やがて小さく息を吐いた。
「篠原くんが出るのに、反対してるわけじゃないよ。……しょうがないなぁ、全く。里宮ちゃんのためにもいっぱい動けよ〜?」
コーチはからかうようにそう言っていたずらっぽく笑った。
認めて、もらえた……?
「あ、ありがとうございます……!」
慌てて頭を下げると、コーチは真面目な顔に戻って「頑張れ」と優しく微笑んでくれた。
パッと里宮先輩の方を向くと、先輩は小さく頷いてコートの方へ目を向けた。
僕はもう一度里宮先輩に頭を下げ、コートの方へ走り出す。
ジャージを脱いでユニフォーム姿になり、コートに入ろうとした時、相沢と目が合った。
『シノはいいよなぁ』
なんとなく気不味くて俯いていると、相沢は僕に近づいて優しく笑った。
「頑張ろうな」
そう言った相沢に、僕は思わず勢いよく顔を上げた。
「怒らないの……?」
言うと、相沢は「なんでだよ」と笑った。
「俺も、シノとバスケできて嬉しいし」
ニカッと歯を見せて笑った相沢に、僕は思わず泣きそうになっていた。
「うん!」
「これから、雷門対青山の試合を始めます!」
「「お願いします!」」
審判の声と、チームメイトたちの声がやけに大きく聞こえた。いつも遠いベンチから見ていた景色が、今は目の前に広がっている。
青山高校。
関東大会への出場経験はなく、部員数は少ない。
去年、雷校は関東大会初出場だったと聞いたことがあるから、雷校の方が一歩リードしているのかもしれない。
「シノ!」
相沢の声が聞こえる。
中学の時から、何度も何度も練習に付き合ってくれた。
パスを回してくれた。
でも今日は、練習じゃない。
僕は、強くなるためにここにいるんだ。
いつもなら、目を逸らしてしまっていた。
ボールを受け取ったところでシュートなんて出来ないし、どうせ相手に取られるだけだと思っていた。
……そうやって、ずっと。
頑張ることすら、諦めていたんだ。
僕は覚悟を決めて顔を上げた。
ボールを持っている相沢の姿が見える。
僕の鋭い視線が、相沢の視線とぶつかる。
相沢は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに真剣な表情に戻って僕にボールを投げた。
バチッと音をたててボールをキャッチする。
ここから一歩も動かないなんてもったいないって、今ならわかるよ。
持っていたボールを地面に叩きつける。
大きなドリブルの音が辺りに響く。
自然と、足が動いていた。
……突っ走れ、ゴール下まで。
そして、入らなくてもいいから、シュートするんだ。
出来なくたって、頑張るんだ。
動きを止めようとしてくる青山の選手を振り切って、ゴールに向けてボールを放つ。
入れ……!
心の中でそう叫んだ瞬間、ボガンッと大きな音をたててボールが跳ね返された。
僕の口から、自然と「あ……」という声が漏れ出す。
諦めかけたその時、僕がシュートしたボールを、今度は相沢が握っていた。
『パサッ』
見事に綺麗なシュートで、相沢が点を決めた。
ピッと笛の音が鳴り響く。
呆然としていると、相沢と目が合った。
それに気づいてニカッと笑った相沢は僕に向かってピースサインをした。
それにつられて、僕も歯を見せて笑っていた。