38. 変われない
篠原 祐斗、雷門高校バスケ部の一年。
人見知りで弱虫で泣き虫で臆病で……。
自分の悪いところをあげたらキリがない。
そんな僕はいつも、幼馴染の相沢に頼ってばかりだった。
いつもそばに居る相沢に甘えてしまい、助けられてばかりで自分の力では何も出来ない。
そんな自分を変えたくて、中学の時相沢の得意だったバスケを始めた。
自分なりに全力でやったつもりだったけど、バスケは想像以上に難しくて、コーチには怒鳴られるし全然上手くなれないしで結局何も残らなかった。
試合に出たことだってほとんどない。
だから高校ではバスケなんてやる気はなかったんだけど……。
『俺はシノとバスケがしたい』
相沢が、あんなこと言うから。
僕は強くなんかないのに。他の部員にも、迷惑をかけてしまうかもしれないのに。
そう思いながらも、すんなりとそれを受け入れている僕がいた。相沢に一言そう言われただけでバスケ部に入る気になったのは、やっぱりどこか心残りがあったからだと思う。
僕はバスケが好きだ。
どれだけ下手だって試合に出れなくたって、他の運動と比べれば一番上達した方だった。
中学の時、僕は本気で頑張れていなかったかもしれない。まだ僕に出来ることがあったかもしれない。
そう思って、今度こそ頑張ろうと意気込んでこの雷校バスケ部に入った。
けれど入部して一週間ほどで、やっぱりダメかもしれないと思ってしまった。
どれだけ頑張ったって中学の頃と変わらない。
このままバスケ部にいたって、皆の邪魔になるだけだと思った。
誰よりも早く練習を始めて、誰よりも遅く体育館を出る。
それでもダメだった。どうしようもなかった。
悔しくて、思わず涙が溢れ出した。
僕には才能がないんだ。
……そう、諦めかけていた時だった。
『そうやって自分には出来ないって決めつけて、努力することすら諦めてるんじゃないのか?』
里宮先輩は、笑うことなく僕の話を聞いてくれた。
あの日から、里宮先輩は僕に沢山のことを教えてくれた。
パスもドリブルもシュートも、1on1で相手もしてくれるほどだった。
本当に、良い人なんだと思う。
今日は練習試合の日だ。
里宮先輩が言った“一週間”が、今日で終わる。
僕は、決めなくちゃならない。
誰にも頼らないで、自分だけで、自分の道を。
ぼぅっとそんなことを考えながらベンチの準備をしていると、体育館の出入り口から相沢が姿を現した。
雷校の黒いユニフォームが良く似合っている。
今日の練習試合は一年生を中心に活躍させるらしく、12人の一年生の中から、相沢は試合に出れることになっていた。
一応、というか部活の決まりでベンチの人も全員ユニフォームだが、目の前の相沢とは何かが違う気がした。
「シノ」
相沢が軽く片手を上げて微笑む。
僕も微笑み返しながら、「頑張って」と小声で言うと、相沢は「おう」と言って嬉しそうに笑った。
「った」
突然隣から聞こえた小さな声に振り返ると、そこには里宮先輩が顔をしかめて座っていた。
「どうしたんですか?」
僕が言うと、里宮先輩は「手首捻った」と小さく舌を出した。
「え、大丈夫ですか?」
思わず里宮先輩の顔を覗き込むと、先輩は数秒黙り込んだ後「大丈夫じゃない」と呟いて突然僕の手首を掴んだ。
「え?」
僕が戸惑っているのにも御構い無しに、先輩は僕の手首をぐいぐい引っ張って会場を出て行く。
「え、ちょ、先輩!」
大きな声を出して呼び止めると、先輩は「何」と言って振り返った。
僕は思わず呆れ顔を浮かべて先輩の手首を指差す。
「手首、怪我してませんよね」
怪我しているなら、こんな乱暴に人の手首を引っ張れるわけがない。
すると先輩は僕の手を離して左の手首をひらひらと動かした。
「うん、全然」
全然、って……。なんでそんな得意げなんだ。
「嘘に決まってんじゃん」
真顔でそう言った先輩に、わけがわからなくなる。
どうしてそんな嘘を吐く必要があるんだ。
僕が混乱しているのを察したのか、先輩は真剣な表情になって「試合出たいんでしょ?」と言った。
それを聞いて、僕は思わず言葉に詰まる。
なんとなく、里宮先輩の言いたいことがわかった気がした。里宮先輩は、怪我のせいで自分が試合に出れないことにして、代わりに僕を試合に出させようとしてくれているんだ。
……複雑な気持ちだ。
もちろん、試合に出られるなら単純に嬉しい。
……でも、僕は里宮先輩みたいに強くない。
自信もない。
その時、唐突に昨日相沢に言われた言葉を思い出した。
『シノはいいよなぁ、雷校のエースの里宮先輩に色々教えてもらえて』
「……どうして僕なんかのために、そこまでするんですか?」
考えるより先に言葉が出ていた。
僕なんかに教えたって意味がない。
教えてもらったって、それを実行出来る技術を持ってない。僕にはどう頑張ったって不可能だ。
先輩は僕なんかに教えるよりもっと他の一年生に教えてあげた方が良いと思う。
こんな僕のために時間を潰すなんて、もったいなすぎる。
俯きかけた僕に、里宮先輩が言った。
「……篠原は、昔の私と少し似てたから」
その言葉を聞いて、僕は思わず勢いよく顔を上げた。
僕と先輩が似ているだって?
ありえない。
「篠原、自分に自信を持てよ」
……わかるはずない。
里宮先輩に、僕の気持ちなんて。
雷校のエースで、友達も沢山いて、なんでもできる里宮先輩には、僕の気持ちなんてわからない。
相沢にも置いていかれて、僕は一年生の中で一番下手くそなんだ。友達だって相沢くらいしかいない。
僕はダメなんだ。弱虫なんだ。
変えようとしたって変えられない。
変われない。
「先輩には、僕の気持ちなんてわかりませんよ」
思わずそんな言葉を口にしていた。
ハッとして慌てて口元を覆う。
先輩はそんな僕を気にすることなく言った。
「わかるよ。私だって、初めから全部上手くいったわけじゃない。全部の試合に勝ってきたわけじゃない。
負けて、負けて、負けて、それでも立ち上がれる奴にしか勝ち目はない。……篠原、戦えよ。
まだお前は、負けてすらいないだろ」
その言葉を聞いた瞬間、ドクンと大きく心臓が跳ねた。
そんな風に考えたことは一度もなかった。
……そうか。僕は、まだ。
「……でも、それじゃあ先輩が試合に出れなくなるんじゃ……」
躊躇いがちに言うと、里宮先輩は自信たっぷりの笑みを浮かべて言った。
「私は、抜かされる気なんてないからな」
そんな先輩を見て、僕は思わず笑った。
全く、僕が先輩を抜けるわけがないじゃないか。
先輩は「行くぞ」と体育館に向かって歩き出した。
高くポニーテールに結ばれた黒髪が揺れる。
「先輩!」
苦手な大声を出して呼び止めると、先輩はゆっくりと振り返った。
「ありがとうございます!」
全力で頭を下げてお礼を言った僕に、里宮先輩はいつもの気だるそうな瞳をかすかに細めて微笑んでいた。




