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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第1章
33/203

33. 優しい花 〜五十嵐 修止の過去・前編〜

90–72。


そんな結果で、白校との試合は雷校の勝利となった。

それから3回戦目で惜しくも敗退した俺たちは、軽いミーティングを終えて解散した。

里宮が泣いたことは、俺以外の誰も知らない。


「高津」


名前を呼ばれて振り返ると、長いポニーテールを揺らした里宮が立っていた。


「帰ろ」


そう言った里宮は、いつもより雰囲気が柔らかいような気がした。

結局あれから、工藤 阜には会わなかった。

里宮も俺も、その話題には触れずに家までの道を歩いた。


日の落ち始めた空が、夕焼けの道を歩く俺たちを赤く染めていた。




* * *




昨日は大会。今日は月曜日。


「はぁ」


呆れたようにため息を吐くと、やけに部屋が静かに感じた。


「熱なんて……」


そう呟いて、自分の額に手を当てる。

窓の外から、車の走る音が聞こえてきた。


ぼぅっと天井を眺めていると、五十嵐 修止は知らない間に眠っていた。




* * *




「お兄ちゃん」


いつも優しい声が俺を呼んでいた。

美しく笑う少女。そう、まるで花のような。


五十嵐 修止、当時小6。

俺には、年が1つしか違わない妹がいた。


五十嵐 優花(いがらし ゆうか)、当時小5。

穏やかな性格で物静か。

そんな優花と俺は年が近いこともあって仲が良かった。


家ではよく話したりするけど、同じ小学校に通っているのに校舎が違うせいか学校ではあまり会わない。

家での優花を知っているからこそ、学校で友達と過ごす優花の姿は想像できない。

俺だって家にいる時と学校にいる時とじゃ結構違うし。


……特に、今は。


チラッと教室の隅で固まって喋っている女子の方へ目を向ける。

俺はぐっと拳を握って気合を入れ、楽しげに笑う女子に近づいて行った。


「高橋」


名前を呼ぶ声が、かすかに震える。

彼女は可愛らしいボブの髪を揺らして振り返った。


「これ、休んでた時のプリント」


緊張がバレないようになるべく自然な笑顔を作りながらプリントを差し出すと、高橋は「あ」と思い出したような声を漏らし、プリントを受け取った。


「ありがとう」


柔らかく微笑んだ顔を見て、思わず頰が火照ってしまう。

こんな短い会話だけでも、心が弾む。


高橋 舞(たかはし まい)

俺の、好きな人。


馬鹿みたいにうるさい心臓の音に、更に赤くなった頬を隠す。自席に戻って深呼吸をしていると、授業開始のチャイムが鳴り響いた。






今日は金曜日。

全ての授業が終わって放課後になると、特に用事もないのでそのまま昇降口へ向かう。

俺は6年1組の下駄箱から自分の上履きを取り出してリュックに詰め込んだ。

その時、ふと家での母の言葉を思い出した。


『優花、全然上履き持って帰ってこないのよね。汚いから洗いなさいっていつも言ってるのに』


隣にある5年3組の下駄箱に目を向ける。

……しょーがねぇなぁ。

俺は小さく息を吐いて優花の上履きを探した。


「みっけー」


なんの抵抗もなく上履きを取り出すと、思わぬ光景に俺は息が止まりそうになった。


『バカ』


『消えろ』


『キモい』


ありったけの悪口が書かれ、黒ずんだ上履き。


「な……んだよ、これ……」


震える唇から思わず言葉が漏れる。

俺は暴れる心臓を抑えた。


嘘だろ。

優花が……いじめられてる?


信じたくない。

でも、目の前にある黒ずんだ上履きが、“それ”が現実であることを強調していた。




* * *




「ただいまぁ」


図書館から帰ってきた優花が靴を脱ぐ。

俺は待ち構えていたかのように自分の部屋から出て優花の前に立ちはだかった。

優花は不思議そうに小首を傾げる。


「どうしたの?」


なんと言えばいいのか迷っていたが、俺は息を吸い込んで口を開いた。


「お前、いじめられてんの?」


その言葉を聞いた優花の顔に動揺が走る。


「え……?」


一瞬目を丸くした優花だったが、すぐにハッとして笑顔を作って顔の前で手を振った。


「えー、そんなわけないじゃん」


誤魔化そうとする優花に、俺は慎重に言葉を選んだ。


「優花の上履き、見たんだ」


優花の笑顔が固まり、表情が曇って行く。

やがて下を向いた優花は、震えながら何か言った。


「……い」


「え?」


次の瞬間、優花は俺に抱きついて絞り出すような声で言った。


「怖いよ、お兄ちゃん……!」


あまりに苦しそうな顔で涙を流し続ける優花を、俺は優しく抱きしめた。


「大丈夫だよ」


それ以外、なにも言葉が見つからなかった。

“大丈夫”なんて言ったって、どうしたらいいのかなんてわからないのに。




* * *




優花のいじめを知って、約一週間が経った。

窓の外では大粒の雨が降り続けている。

空も一段と暗い。


あれから泣き止んだ優花は、『お母さんには言わないで』と言った。

俺は『相談した方が良い』と言ったが、優花はそれを拒否した。


『誰にも迷惑かけたくないの。お兄ちゃんも、こっちの校舎には来なくて良いから』


そんな風に言われて、納得できるわけがなかった。


『私は、大丈夫だから』


なにが“大丈夫”だ。

あんなに泣いてたくせに。


ぼぅっと優花のことを考えていると、後ろから2つの人影が俺に声をかけた。


「ねぇ」


その声に振り返ると、高橋がいつも一緒にいる女子が立っていた。


「なに?」


短く答えると、女子たちはいたずらっぽく微笑んで言った。


「五十嵐って、舞ちゃんのこと好きでしょ?」


唐突な言葉に、心臓がドクンと大きく跳ねる。

俺は思わず目を丸くしてうろたえた。


「な、なんで……」


すると女子たちは「図星だー」と笑って、ますます楽しそうに話を続けた。


「今日、舞ちゃんの家で遊ぶんだけど、五十嵐も来る?」


「え……」


脳裏に高橋の笑顔がよぎる。

いやでも、男子一人で……。


「男子も何人か呼ぶから大丈夫だよ!」


俺の悩みを悟った女子が元気にそう言う。


「行く!」


思わず食い気味に答えてしまったが、女子たちはからかうでもなく「おっけー!」と笑いながら走り去っていった。


後々考えると、とんでもない選択だったかもしれない。

少し恥ずかしく思いつつも、俺は楽しみで仕方がなかった。



……今では、この瞬間の自分を蹴り飛ばしてやりたいと思う。




* * *




楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。

俺は高橋の笑顔を反芻しながら家までの道を歩いた。

大人数だったおかげで、いつもより落ち着いてたくさん話すことができた。

思わずニヤけそうになって慌てて自分の頬を摘む。


ふと、振り続ける冷たい雨が手袋の上に落ちた。

つられるように、傘越しに黒い空を見上げる。

よく降るなぁ。

そんなことを考えて寒さに身を震わせていると、あっという間に家に着いた。


玄関のドアを開け、傘をたたみながら「ただいまー」と声を出す。

次の瞬間、「修止!」とリビングから母が飛び出してきた。


「うおっ、どしたの?」


母は口元を抑え、受話器を握っていた。

嫌な予感が胸に広がる。


「優花が、優花が……!」




震えた母の唇が、最後まで言葉を発することはなかった。

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