表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第1章
32/203

32. 会いたくなかった

大会当日。


よく晴れた暖かい日。バスの中にさす優しい光が心地良い。静かに目を閉じていると、あっと言う間に会場に着いた。


久しぶりの大会だ。

日差しは暖かいのに、緊張で腹が冷えそうだった。

里宮は相変わらず眠そうにあくびをしている。


「ただでさえ朝で眠いのにあったかいとかダブルパンチはんそくー」


里宮が目元を覆って言うのを聞いて思わず笑っていると、ふいに里宮が俺の目を覗き込んで言った。


「高津、緊張してる?」


そんなの、してるに決まってんだろ。

心の中で即答しながらも、俺は「あー」と頭をかいて目を逸らした。

“自信ない”なんて、カッコ悪いこと言えないっつーの。


今日の対戦相手は白都(しらと)高校(略して白校(しらこう))だ。

初めて聞く高校だった。

強いのか弱いのかも俺はよく知らない。

そんなことを考えながら入口までの道を歩いていると、遠くにツインテール姿の人影が見えた。

とくに気に留めず目を逸らそうとした瞬間、人影がこっちに向かって手を振っているのに気づく。


誰だ……?

首を傾げて目を凝らしたその時、聞こえてきた声に俺は息が止まりそうになった。


「蓮!」


その呼び名に、思わず背筋が凍りついた。

女子は一直線に俺の後ろを歩いていた里宮のもとへ走ってくる。


「久しぶり! こんな所で会うなんて、偶然だねー!」


白校のジャージを着た女子はペラペラとハイテンションに話し続ける。


「私、男バスのマネージャーになったんだ! 蓮もマネージャー?」


里宮は、女子の目の前で立ち尽くして硬直している。


……明るい性格。

里宮のことを『蓮』と呼ぶ“女”……。


まさか。


そう思った瞬間、里宮は走り出していた。

「あ……」と、女子の口から蚊の鳴くような声がこぼれ落ちる。

周りの音が聞き取れないくらい、自分の心臓の音がうるさい。


まさか。

まさか、この人が……。


里宮の心に傷をつけた“女”、工藤 阜(くどう つかさ)




* * *




工藤 阜。

里宮の中学校時代の友達。

そして、里宮を裏切った“女”。

里宮の、トラウマ。


ハッとして辺りを見回す。

もうそこに里宮の姿はなかった。


嘘だろ、もうすぐ試合が始まるってのに……!


俺は立ち尽くす女子の脇をすり抜けて走り出していた。

会場内の控え室に荷物を投げるように置き、廊下へ飛び出す。


俺はいつも、里宮に何も言わなかった。

何も言えなかった。

里宮に、昔の記憶を思い出させないために。

でも、本当はいつも苦しんでいるんじゃないか?

本当は、全部吐き出したいと思っているんじゃないのか……?


階段を駆け上がり、観客席の横をすり抜けて走る。

ふと、窓の外に見慣れた後ろ姿が見えた。

外に続く非常階段。

日の当たるコンクリート。


そこに、里宮はいた。


まだ少し肌寒い風が、里宮のポニーテールを悲しげに揺らす。

俺はなんと声をかけていいのかわからずに立ち尽くしていた。

すると、俺に気づいた里宮が静かに口を開いた。


「……嫌でも、わかるだろ。あれが阜だよ」


里宮は階段の端に座って、抱えた膝に顔を埋めていた。


「里、宮……」


絞り出した声が震えているのを知りながら、俺は言葉を続けた。


「行こう、里宮。試合始まるよ」


里宮は静かに首を振って、聞き取りずらいくらいに小さな声で「行けない……」と呟いた。

里宮は顔を伏せたままこっちを見ない。


「……大事な試合だよ」


なだめるようにそう言っても、里宮は顔を上げない。

どうすれば……。

唇を噛んで考え込んでいると、かすかに鼻をすする音が聞こえてきた。


「里、宮……?」


信じられない。

あの里宮が泣くなんて。


「大丈……」


「嫌だったんだ」


俺の言葉を遮って、里宮は泣きながら言った。


「もう、会いたくなかった……」


聞いただけで胸が苦しくなるような、切ない声だった。

俺は里宮が今まで抱えてきた苦しみを知ってる。

弱さを知ってる。

これが、今この瞬間が、里宮にとってどれだけ辛いことなのかも。

俺は歯を食いしばって俯いた。


今、目の前で苦しんでいる仲間がいる。

助けたい。力になりたい。

でも、なにも言葉が見つからない。

俺なんかじゃ、里宮の傷跡は消せない。

たとえどんなことをしても、里宮が過去を忘れ去ることはできない。

静かな風の音と、里宮の嗚咽が痛いくらいに響く。


……それでも。

俺がここにいる意味は。

里宮のそばにいる理由は。


俺は重い足を引きずるように一歩を踏み出した。

足は、止まることなく進み、里宮のとなりに座った。

里宮は涙で濡れた瞳を丸くして俺を見た。

でも一番驚いているのは、たぶん俺だ。


「俺は、里宮がいたから強くなれたんだよ。まだ、五十嵐とか長野とか川谷とか……里宮よりは、全然弱いけど。それでも、里宮がいてくれるだけですごく嬉しい。みんなと過ごせて楽しい。里宮は、俺を助けてくれた人だから。……俺も、里宮の力になれないかな」


言うんだ。

俺が、里宮に一番伝えたかったこと……。


「もっと、頼ってよ」


一人で抱え込まないで。

俺がいる。みんながいる。

話を聞いてくれる人がいる。

弱さを分かってくれる仲間がいる。


俺たちはみんな、里宮に救われているんだ。

どうしようもない弱さも、トラウマも、みんなで乗り越えようって。

乗り越えられるんだって、思えるようになったんだ。


里宮がいたから。


お前がいなかったら俺たちは、どうやって戦えばいいんだよ。

お前がいないと。

“みんな”でいないと。


俺たちは戦えない。


里宮は、顔を覆っていた手を静かに離した。


「私は……なにもしてない」


「そんなことないよ」


今までの俺なら、口を噤んでいた。

なにか言うことで、俺の言葉で、人を傷つけてしまうと思ったから。

自分が傷つくのなんて、へっちゃらだった。

それで誰かが笑えるなら、別にいいやって思えた。

でも、そんな考えを変えてくれた。

……俺の、好きな人。


「里宮は、俺に沢山のことを教えてくれた。

里宮は……俺の、憧れなんだ」


里宮がこぼした一粒の涙は、雨のようにコンクリートを濡らした。

また泣きそうな目をして顔を伏せようとした里宮の目の前に、俺は立ち上がって右手をさしだした。


「行こう、里宮。“阜”なんて関係ない。

俺たちは俺たちのやり方で勝ってやろうぜ!」


歯を見せて笑った俺に、里宮は苦しげな顔を隠すように俯いた。

目元を覆い、涙を拭いて呆れたように微笑んだ里宮は「ほんと、高津は大馬鹿だよ」と呟いた。


里宮は俺の手を握って立ち上がった。

俺は里宮のすすり泣く声を聞きながら、なにも聞こえないふりをして大股で歩き出す。

里宮の小さな手を引いて。


「……ありがとう」


里宮が小さく呟いた言葉に、俺は振り向いて優しく微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ