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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第1章
29/203

29. 俺はやってない 〜川谷 健治の過去・中編〜

騒がしい廊下。騒がしい教室。

あぁ、嫌だな。俺は静かなところが好きなのに。


俺はぼーっと授業を聞き流しながらそんなことを思っていた。

早く帰ってあの茶色い毛を撫でたい。

満面の笑みで俺を送り出してくれたメイの姿を思い出し、俺は思わず小さく笑った。


授業終了10分前になると、「昨日やったテスト返すぞー」という先生の声が響いた。

俺は思わず勢いよく顔を上げる。

昨日のテストには結構自信があった。

ワクワクしながら自分の名前が呼ばれるのを待っていると、先生が俺の方に目を向けてにっこりと微笑んだ。


「川谷、また100点だな! すごいぞ!」


そう言った先生は満面の笑みでテスト用紙を返してくれた。俺は急いでテスト用紙を開いて点数を確認する。

そこには確かに“100点”と書かれていた。

よっしゃ! と心の中でガッツポーズをする。


父さんと母さんに見せたらなんと言ってくれるだろう、と思考を巡らせる。

もしかしたらご褒美に何か買ってもらえるかもしれない。

そうしたら、メイのおもちゃを買ってもらおう。

ずっと行きたかったドッグランにも連れて行ってもらおう。

嬉しそうにちぎれるほど尻尾を振るメイの姿が浮かび、俺は思わず頬を緩めた。


その時、クラスメイトの一人が手を挙げた。


「センセー」


その声を聞いた途端、さっきまで弾んでいた気持ちが一気に暗くなる。

言うまでもなく、いじめ子の新田だった。

新田とは関わらないように気をつけていたのに、最近になって目をつけられるようになってしまった。

そのことを自覚していた俺は、ぐっと拳を握りしめた。


新田の素顔を知らない先生は、「どうした?」と不思議そうに首を傾げる。


「俺、見ちゃったんですけどぉ」


不気味な笑みを浮かべながら、新田は勿体つけるようにゆっくりと口を開いた。


「川谷クン、カンニングしてましたぁ」


「!?」


一瞬、なにを言われたのか理解できなかった。

反論することも出来ずに呆然と立ち尽くす。

そんな俺とは裏腹に、クラスメイトたちの視線は一斉に俺に集まった。

瞬間、四方八方から飛んでくる視線に囚われてしまったかのように動けなくなる。


ニヤニヤと笑う新田。その取り巻き。

もちろん、俺はカンニングなんてしていない。

訂正しなくては、と口を開こうとしたが、もう遅かった。


「本当か? 川谷」


すぐ隣に立っていた先生が、睨みつけるように俺を見下ろしていた。

先程までの優しい雰囲気が消え、鋭い目つきになった先生に、俺は言葉が出なかった。


誰か……。


思わず俺は、周りを見渡してしまった。

その瞬間、心臓が凍りつくような感覚を覚えた。


誰一人として、俺と目を合わせようとしない。


新田に乗って罵ってくる人こそいないが、反論の声を上げてくれる人もいない。

みんなは、俺を見ている。視線は確かに感じる。

それでも俺と目が合いそうになると、みんなはとっさに目をそらした。

普段仲良くしている友人でさえ、硬く唇を結んで下を向いている。


俺は、絶望した。


今この教室に、俺を助けてくれる人は1人もいない。

新田に逆らおうとする人は1人もいない。

新田は勝ち誇ったように笑っていた。

気味の悪いじっとりとした瞳で、苦しむ俺を楽しそうに見ている。


何か言わないと。

そう、思うばかりでなにも言葉が出てこない。

そんな俺の様子をじっと見ていた先生が、小さく息を吐いてとうとう言った。

俺の目には、先生の口の動きがスローモーションのようにゆっくりと映った。


「……川谷。あとで職員室に来なさい」


低い声が鼓膜を揺らす。

俺はただ呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。




* * *




「……ただいま」


「ワフッ」


いつも通り、ちぎれそうなほどに尻尾を振ったメイが駆けつけるが、俺はメイの頭を撫でてやる気にはなれなかった。


「ごめん」


小さく呟いて、俺は自分の部屋へと上がって行った。背中から聞こえる「クゥン」という小さな鳴き声を無視して、俺は部屋のドアを閉めた。






「なんでカンニングなんかしたんだ」


「……俺は」


「なんだ? ハッキリ言え!」


俺はやってない。カンニングなんてしてない。

ちゃんと勉強しました。

俺はちゃんと自分の力で解きました。


そんな言葉は胸の中に溜まって行くばかりで、一つも口に出てくれない。

正直に話したって無駄だ。

この人は俺の話を信じてはくれない。


完全に新田の言葉を信じきって、俺がカンニングをしたと決めつけている。

本当のことを言ったところで、ヒートアップした先生の耳には言い訳にしか聞こえないだろう。


俺はただ黙って先生の説教を聞き続けた。

先生が大きな声で怒鳴るたび、心臓がキュッと締め付けられるような気がした。


……言いたかった。

俺はやってないって。俺は悪くないって。


でも、怖くて口が動かなかった。

先生は俺に反論する間も与えてくれなかった。

ただ一方的に俺を怒鳴りつけた。


怖い、怖い、怖い、怖いーー……。






ふと、温かいなにかが頬を撫でた。


「メイ……」


ゆっくりと目を開くと、そこには不安そうな顔をしたメイがいた。


「クゥン」


小さく優しい鳴き方をして、俺の涙を忙しなく舐める。

俺はゆっくりとメイの頭に手を伸ばした。

いつもと変わらず柔らかい毛並みを撫でていると、いくらか気分が楽になるような気がした。


「……さっきはごめんね」


小さな声で呟くように言うと、メイはそれに応えるようにもう一度俺の頬を舐めた。


「……ありがとう」




その日から俺は、学校に行かなくなった。

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