199. 大きな変化を繰り返して
正門から見る校舎は何も変わっていなかった。実は卒業してから母校に来るのは二度目で、一度目は皆で文化祭に来た時だった。それから半年以上経っているが、懐かしいような、昨日までここに通っていたような、不思議な感覚になるのは変わらなかった。
職員室で軽く挨拶をし、俺たちはさっそく体育館に向かった。階段を下り、リノリウムの廊下を抜け、大きな扉の前に立つ。小さな里宮の背に当時の長いポニーテールが見えてくるような気がした。
ちょうどホームルームの時間ということもあり、体育館にはまだ誰もいなかった。独特の懐かしい匂いを感じながら、職員室で借りてきた鍵で倉庫を開け、ボールを放つ。綺麗にキャッチした里宮が自然とドリブルを始め、懐かしい音が体育館いっぱいに響き渡る。
今でも大学の部活で毎日聞いている音なのに、場所が違うだけで随分と久しぶりのように感じる。そもそも里宮がボールに触れている姿を見るのも卒業以来だ。ゆっくりとリズミカルにボールをついていた里宮は、そのまま近くのゴール下までスキップでもするかのような足取りで移動し、余裕のある動きでシュートを放った。
スパッと綺麗にゴールを決めたボールは何度かバウンドし、やがて無気力に床に転がった。
「懐かしいな」
ついぽろっと零すと、里宮はいたずらに「今度見に来れば?」と笑った。それが珍しい里宮のジョークだと気付き、「あのなぁ」と呆れ笑いを浮かべる。
その時、唐突に背後の扉が開き、同時に「うわ」と声が響く。そこに立っていたのは雷校バスケ部現キャプテンの麻木俊介だった。
「ほんとにいる……」
おそらく職員室で俺たちの訪問を聞いたのだろうが、それにしては相当な驚き具合だった。
「先輩に向かって“うわ”ってなんだよ」
すぐさま里宮が鋭い目つきになって言うと、麻木は「だって」と怯むことなく反論する。
「何の連絡もなく急に来られたら驚きもしますよ。嘘かと思ったし……」
「なんだよ、ありがたいだろ」
「それはそうっすけど……大学生ってヒマなんすか?」
どこか呆れたような顔をする麻木に、俺と里宮は「「ヒマじゃねーよ」」と声をハモらせる。それを聞いて、麻木は子どものように吹き出して笑った。眩しいその笑顔はどことなく2年前より明るくなったように見えた。
やがて体育館の隅に転がるボールの存在に気がついたのか、「そうだ」と麻木が手を叩いた。
「せっかくだから相手してくださいよ、レンセンパイ」
それを聞いた里宮は心底不思議そうな顔をして「どうせなら高津とやれよ。現役だぞ」と俺の方を指した。麻木はチラッと俺に目をやったかと思うと、「だからっすよ」と悪い顔で笑う。
「高津センパイ、桜海でバスケやってんでしょ。勝てないっすよ」
その瞬間、ピリッと場の空気が凍りつく。まずい、と思ってももう遅い。恐る恐る目を向けると、案の定里宮はぴくりとも笑わずに冷たい目で麻木を見つめていた。怒りの表情を向けられながらも、麻木は「こえ〜」と呑気に笑っていた。
こいつはどうしてこうも里宮を怒らせるのが上手いんだろう。そう思った時、麻木の姿にヘラヘラと笑う五十嵐の姿が重なるような気がした。
まったく、とんだ反面教師だ。
「私になら勝てるとでも言いたげだな」
不愉快そうに顔をしかめて唸るように言う里宮に、「まぁ正直、可能性あるのはレンセンパイかなって」と容赦なく麻木が言う。俺はもう頭を抱えるしかなかった。
こうして見ると、高校の頃と何も変わらない。全てがあの頃に戻ったような、呆れながらも微笑ましいような感覚が胸に宿る。
「じゃ、俺は散歩でもしてくるかな。お互いほどほどに気の済むまでやれよ〜」
軽くそう言い残して、そそくさと出口へ向かう。麻木と里宮が一言二言交わしてから走り出すのを見届けて、俺は体育館を後にした。
数分前とは打って変わって体育館の外は随分騒がしくなっていた。廊下や階段を駆け抜けて行く高校生たちの姿に、懐かしいような、少し幼く見えるような感覚に陥る。
“まだ”2年しか経っていないとも思うし、“もう”2年も経ったのかとも思う。少しずつ当時から離れていく寂しさを感じながら、当時からは想像もつかなかった“今”の青春を噛み締める。
ずっと同じではいられない。でもきっと、変化の先には新しい楽しみが待っているものだと、俺は思う。
通り過ぎて行く楽しげな笑い声をいくつか見送り、俺は身を翻して昇降口とは逆の方へと足を踏み出した。目に映る何気ない廊下や教室が当時の記憶を次々と蘇らせてくる。
くだらない話で笑いながらぞろぞろと歩いた廊下、授業中に思わず笑ってしまった里宮の大きなあくび、長野の変顔。五十嵐のテキトーすぎる受け答え、川谷の豪快なくしゃみと真っ赤な照れ顔。
入学したばかりの頃はこんなにも楽しい高校生活になるなんて夢にも思っていなかった。
『あんたが、高津茜?』
里宮に出会ったあの瞬間から、俺の人生は計り知れないほど大きく変化したのだ。
今より少し幼さの残る皆の笑顔が浮かぶ。非常口のドアを開け、外階段を下りる。大きな緑に囲まれた裏庭の、いつものベンチに腰かける。強い風が生い茂る葉をざあざあと鳴らす。静寂を埋める葉音に紛れて、当時の笑い声が聞こえてくるような気がした。
大きく息を吸い込み、俺は温かい記憶の波に身を預けて目を閉じた。




