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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第5章
197/203

195. 立ち向かう先に

 人気のない階段。大勢の熱気を詰め込んだような会場とは程遠い静けさの中に、小さく鼻をすする音だけが響く。


 この場所にひとりでいた里宮を見つけて数分。いくらか落ち着いた様子の里宮はちょこんと階段に腰掛けてぼぅっと赤い目で足元を見つめていた。


「もう大丈夫か?」


 優しく声をかけると、里宮は視線を動かさないままこくりと小さく頷いた。何があったのか詳しいことはわからないが、泣き腫らした目にはもう悲しみの色は映っていなかった。どこか吹っ切れたような、憑き物が落ちたような顔をしているようにも見える。


「……そろそろ行こう」


 試合の時間までそう遠くない。そろそろ控え室に戻った方が良いだろう。ゆっくりと顔を上げた里宮は、差し出した俺の手を取ってふっと頬を緩めた。


「なんか、高津に手引いてもらってばっかだな」


 その時、情けなさそうな笑い方がやけに印象深く思えた。開いた窓から吹く風が前髪を揺らし、下がった眉尻をさらさらと撫でる。その姿は普段よりずっと小さく見えた。単純な身長差とは関係なく、どこか、あの頃より小さい。


『里宮みたいに強くなりたい』


『弱いから、強いんだ』


 目の前に立つ里宮を見上げていた。乱暴に涙を拭われ、差し出された小さな手を見つめていた。憧れていた。自分には届かない、遠い世界のように。


『立ち上がれ』


 その手を取って、俺は“強くなる”と決めた。弱いまま、同じように弱さを持つ仲間たちと進んで行く道を選んだ。


 改めて、掌に乗せられた小さな手の温もりを感じる。こんな風になるなんて想像もしていなかった。あんなに弱かった自分が、里宮を支えられる存在になるなんて。

 途端に胸が熱くなり、俺は里宮の手を強く握った。


「立ち上がれ」


 あの頃の景色が見える。色々なことがあって、その全てを乗り越えて、俺たちは今ここにいる。


「戦いはこれからだぞ、エース」


 ニッと歯を見せて言うと、里宮は一瞬目を丸くし、吹き出して笑った。固く繋いだ手を引き上げるのと同時に、里宮も手を引いて立ち上がる。


「任せろ」


 そう言って口角を上げた里宮は、あの頃と変わらず強かだった。






 会場特有のざわめきが心を掻き立てる。

 正面口とは異なるが、閉じた扉の向こうには確かに圧倒されるような迫力のある空間が待っていた。空になった控え室を前に2人で目を見合わせて笑ったのが、どうしてかずっと前のことのように思える。


 離すタイミングを見失ったままの右手が、忘れかけていた熱を主張してくる。どちらからともなく引き留めているような、それでいて当たり前のように繋がれた手は、都合の良い夢の如く不思議な幸福感に包まれていた。


 非現実の中にいるような心地になりながら、「里宮」と小さく声を落とす。「何?」と応える声が柔らかくて、俺は思わず繋いだ手に力を込めた。


「この試合が終わったら、俺の話聞いてくれるか?」


 扉の奥を見据えるように前を向いたまま言葉を紡ぐ。ふ、と小さく笑う里宮の声が聞こえた。


「何、そんな改まって。当たり前じゃん」


 可笑しそうに言う里宮に釣られて笑いながら、「約束だからな」と念を押して手を離す。両手で扉を開けると、今までこもって聞こえていた音の全てが襲いかかってくるような錯覚に陥った。


「あ、来た! 高津! 里宮〜!」


 喧騒の中でもよく通る長野の声に、俺たちは小走りで雷校のベンチに向かった。


「遅いぞ」


 厳しくそう言って顔をしかめる鷹に、「悪い」と謝りながら羽織っていたジャージを脱いで試合の準備に取りかかる。


「全く、ヒヤヒヤさせんなよ」


 五十嵐にも呆れ顔で小言を言われ、「悪かったって」と苦笑していると、同じタイミングで準備を終えた里宮と目が合った。


「私のせいで遅れたんだ。ごめん。でも、もう大丈夫だから」


 そう言った里宮の目には確かな自信が映っていた。それは少しの隙も許さないような強さを纏った、いつもと変わらない試合前の里宮だった。

 詳しい説明がなくとも、“大丈夫”という言葉ひとつで俺たちは里宮を信じて頷いた。


「今日は負けるわけにいかないからな」


 腕を伸ばしながら川谷が意気揚々と笑うと、それを聞いた長野が「当然!」と大きな声を上げた。


「こんな所で止まってられないだろ!」


 熱のこもった声がその場に響き、全員の心が同じように揺さぶられたような感覚がした。

 里宮、五十嵐、川谷、長野。俺を含めたいつもの5人が、今日スタメンとしてコートに立つ。


 左手首の黒いリストバンドを確かめるように握り、俺たちは示し合わせたようにその腕を中心に集めた。


「勝ちに行くぞ」


 強い声で里宮が言う。それを合図に声を出し、俺たちはコートに向けて走り出した。

 観客の声援、背後から追いかけるコーチと仲間たちの声。ユニフォームに受ける特有の風と、共に立ち向かっていく皆の笑顔。


 その全てが、俺たちの青春を詰め込んだ最高の舞台だ。

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