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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第5章
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187. 一難去ってまた一難

 あの頃とは違う今の姿。もちろん寂しさもあるけれど、私たちがこの場所で過ごした日々は確かに存在したのだ。

 この先もきっと、振り返れば背を押してくれる心の支えとして私たちの中に残り続ける。


『あの頃のセンパイはどこにいるんですか』


「……私も、今のお前のことは何も知らなかったんだな」


 ぽつりと静寂に声を落とす。

 アサギはハッとした表情になって「あの、すんませんした」と頭を下げた。


「失礼なこと言いました。センパイがバスケに真剣なのは今も変わらないのに」


 アサギのまっすぐな目が私を射抜く。真剣に謝ってくれているけれど、私は元々失礼なことだなんて思っていない。私が変わったのは、スランプになったのは事実だ。私だってアサギと同じ状況なら少なからずショックを受けるだろう。


 “失望”という言葉が何度も頭を過ったけれど、ただアサギがそう思ってくれていることが嬉しかった。バスケを想う気持ちは何も変わっていないのだと、アサギには信じていて欲しかった。


「いいよ。……もう、答えは出てたから」


 スランプになって、沢山悩んだり落ち込んだりしたけれど、今は充分にこの現実を受け止めることが出来ていた。この体育館を出て新しく出会った仲間たちが教えてくれた。


 あの頃だけが全てじゃない。

 私のバスケは、皆の支えあってこそのものだった。アサギの動きに過去の自分を重ねて見たりしていたけれど、きっとアサギもこの3年間で自分なりの答えを見つけていくのだろう。新しい環境の中で活躍するアサギの姿を想像すると胸が熱くなった。


 近いうちにアサギも雷校のユニフォームを着ることになるだろう。今は違和感しかない少し先の未来を想像しながら、両手を天に突き出して伸びをする。

 帰るか、と口を開きかけた時、アサギが何かを呟く声が聞こえた気がした。


 振り返ろうとした瞬間、特有の圧迫感に全身の動きを制御される。鎖骨の辺りに触れる腕が熱い。

 気付くと私は、アサギに後ろから抱きしめられていた。


「……もし俺があの時、センパイが卒業するより前に好きだって言ってたら、ちょっとは悩んだりしてくれたんすか」


 いつにも増して静かな声が耳元で聞こえる。滅多に感じることのない人の体温がじわじわと全身に広がっていく。その熱とは裏腹に、不思議と私の心は落ち着いていた。


「……さぁな。むしろ今より悩まなかったかも知れないな」


 あの頃の自分を思い出すと呆れたような笑みが漏れた。自分の恋愛感情はもちろん、他人の恋愛感情なんて微塵も理解できなかった。告白する人間の心情も知らずに、“無理”の一言でバッサリとフッていたかも知れない。


「あの頃の私は本当に何も知らなかったから」


「今は知ってるんすか?」


 そう聞かれると、本当は恋愛のことなんて何も分かっていないような気になってくる。

 けれど、勇気を振り絞って告白した親友や、恋人のいる仲間たちのことを思い浮かべると、私にも何か分かるような気がした。


「自分のこととして考えるとよく分からないけど、恋愛感情そのもののことは少し分かるようになったよ。……だから」


 一度言葉を切って、深く息を吸い込む。


「お前が本気で私を好きなのも分かるよ」


 噛み締めるように言って、首元に回された腕に触れる。熱く固い腕はびくともしなかった。


「……ありがとう。今まで気付かなくてごめんな」


 ミニバスに入ってから今まで、アサギにかけた言葉の全てを覚えている訳ではなかった。いつから私のことを好いていてくれたのかは分からないけれど、その気持ちを知らないがために残酷な言葉をかけてしまったこともあっただろう。

 そういうものが何より心を抉るのだと、沢山の恋愛事情を見届ける中で学んできたつもりだった。


 本当の苦しさなんて何一つ理解できていないのかも知れないけれど、せめてその心に寄り添ってやりたかった。

 あの頃なら考えもしなかった思考が次々と浮かんでくる。

 ……私は、少しは優しくなれたのだろうか。


「……本当、変わりましたね」


 呆れと穏やかさの入り混じった声がしたかと思うと、ゆっくりと背後の熱が離れていくのを感じた。

 改めて向き直ったアサギはどことなく寂しそうに見えた。


「センパイが変わったのは、高津センパイに出会ったからですか」


 そう言ったアサギに、私は思わず目を瞬かせてしまった。ここで高津の名前が出てくるとは思っていなかったのだ。


「……それはそうかも知れないけど、高津だけじゃないだろ」


 言うと、アサギは「へぇ」と何やら意味ありげに口角を上げた。なんだよ、と言うより先にアサギが再び口を開く。


「レンセンパイって、高津センパイのこと好きっすよね」


 一瞬、思考が停止する。

 数週間前の告白と同じ、いやそれ以上に威力のある爆弾だった。アサギの言っていることがすぐには飲み込めず、開いた口からは「は……?」と掠れた声が漏れた。


「え? 違うんすか? あんなにベタベタしてんのに?」


 私の混乱に構わず畳み掛けてくるアサギの声が異質なもののように響く。

 “ベタベタしてる”? 私が、高津に?


『……高津と、離れたくなかったから』


 いつかの自分の声が脳裏を過る。その瞬間、ぶわっと一気に全身が熱くなるのを感じた。


「うわー、俺センパイが照れてんの初めて見たわ。ムカつくー」


「うるさい! 黙れ!」


 反射的に生意気な後輩を怒鳴りつけながらも、私の脳内は軽くパニックになっていた。

 私が、高津を好き? ……いや、もちろん好きだけど、今アサギが言ったのって、恋愛的な意味で……?


 頭の中をぐるぐると回る不慣れな2文字を俯瞰する。

 一周回って冷静になったような頭で、一難去ってまた一難とはこのことかと、私は他人事のように思っていた。

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