184. 引き止める理由
何が起ころうと何が変わろうと、一定に進んで行くのが時間というものだ。
その後、麻木と里宮が会話をしている所は一度も見ていない。無理に避ける様子でもなく、まるで互いの間にあった出来事を忘れてしまったかのようだった。
このまま時間に任せ、全て“なかったこと”にするつもりなのだろうか。そう思ってしまうのも無理もない状況だった。
……だから、里宮の口から発せられた言葉に、俺は異常に反応してしまった。
「高津はさ。……受け入れてやった方がいいとか、思う?」
「……へ?」
一瞬、里宮が何を言っているのか分からなかった。
それぞれの都合が重なって珍しく里宮と2人になった昼休み。久々に行ってみようと足を運んだ裏庭で、弁当を食べ終えた里宮から脈絡もなく始まった会話がそれだった。かろうじて件の後輩の顔は浮かんだが、普段の里宮ならありえない発言に耳を疑ってしまう。
「アサギのこと。考えてやってもいいんじゃないかとか、五十嵐に色々言われてさ。……正直、意味分かんないんだけど」
無表情のままいちごみるくを啜る里宮に、まぁそうだろうな、と思う。里宮にとって恋愛の世界は、どうしたって自分とは結びつかないほど遠い世界なのだ。
「……それは、里宮の気持ち次第だけど……」
言いながら、瞬時に“違う”と思った。
里宮が沢山考えて出した答えが麻木と付き合うことだったとしても、俺は笑って受け入れるんだろうか?
そんなことある筈がない。綺麗事ばかり口にして、里宮のためを思うフリをして。
本当はそんなこと、1ミリも思っていないくせに。
「ごめん、変なこと聞いて。こんなの自分で考えるしかないのにな。……戻ろ」
呆れたように笑って、里宮が立ち上がる。気付くと俺は里宮の腕を掴んでいた。
「俺は」
身勝手でも自己中でも、これが紛れもない俺の本心だ。
「俺は、受け入れて欲しくは、ない……かも」
自分で言っておきながら、あまりの曖昧さにうんざりした。早くも顔が熱くなっていくのを感じる。
「いや、“かも”じゃなくて……うん」
情けない。どうしてこうも上手くいかないのだろう。もっとはっきり自分の気持ちを伝えられたら良いのに。
「……びっくりした」
顔を上げると、里宮は気だるげな目を細めてどこか悪戯に笑っていた。
「高津も、そういうこと思うんだね」
思わぬ不意打ちに心臓が跳ねる。
高津“も”って……。
『高津まで遠くに行っちゃう気がした』
『私はずっと皆と居たいよ』
確かに、似たようなことを言われた記憶はある。でも里宮の“あれ”は俺とは全く違う感情なのだ。恋愛と友情を同じ括りにするなんて可笑しい。……そんなことは分かっているのに。
「“も”はずるいだろ……」
「ん? 何か言った?」
不思議そうに首を傾げる里宮に、俯いたまま無言で首を振る。今顔を見られたら、恥ずかしさで死ねる。
「まぁ大丈夫だよ。ちゃんと話してくるから」
そう言って歩き出した里宮のスカートが風に揺れ、小さく折りたたまれた紙が足元に落ちる。
「あ、なんか落ち──……」
「ん?」
「……いや、なんでもない」
考えるより先に口が動く。俺は咄嗟にその紙切れを背に隠していた。
* * *
「……じゃあ、第一志望は桜海大学に総合型選抜で変わりはない?」
「はい」
「分かったわ。参考になりそうな資料と過去の面接記録をまとめておくから、大学のパンフレットやホームページをよく見ておいて」
「はい。ありがとうございました」
薄暗い教室から出てドアを閉めると、自然と肩の力が抜けるのが分かった。何度目かの個人面談が終わり、俺は家から1時間くらいの大学を第一志望として目指すことに決めた。
将来やりたいことなんて見当もつかないのに、興味のある学部と言われれば心理学一択だった。
自分でも理由はよく分からない。ただ面白そうだと思ったのも事実だし、これまで人の気持ちや自分の気持ちと向き合う機会が多かったから身近に感じているのかも知れなかった。
何にせよ、行きたい学部は決まっているのだからあとはひたすら努力をするだけだ。
俺の選んだ受験方法は総合型選抜で、小論文と面接の評価で合否が決まるものだが、指定校推薦のような学校推薦型とは異なる。その分合格率も低いが、一般受験より早めにあるチャンスだ。受験しない手は無い。
教科の勉強ももちろんだが、この受験方法では何より受験する大学に関する知識が必要になってくる。創立者はもちろん、学校の雰囲気や特徴、教授やゼミについても詳しく把握しておく必要がある。辻野先生が言っていた通り、大学のパンフレットやホームページが勉強道具になるのだ。
まだまだ分からないことだらけではあるが、秋には始まる試験に備えて頑張らなければ。
「おー、おかえり高津。丁度片付け終わったぞー」
ハッと顔を上げると、体育館の扉から顔を出していた五十嵐と目が合う。受験への意気込みはどこへやら、昼休みの里宮との会話を思い出し、俺は無意識に顔をしかめていた。




