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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第5章
183/203

181. 命の確率 中編

 放課後の図書室で突発的に始まった個人面談。

 動揺する俺に気付いているのかいないのか、辻野先生は一切ペースを崩すことなく話を続けた。


「まぁ単刀直入に言うと、進路の話ね。何も決まっていないらしいけれど、趣味とかからヒントを得られたりしない?」


 初っ端から突っ込んだ話をされ戸惑いつつも、何となく興味のある物事を思い浮かべてみる。

 バスケはもちろん好きだけど、プロを目指すつもりはないし人に教えるのもたぶん苦手だ。あとは優花の趣味に付き合って見よう見まねで裁縫してみたり……。いや、ブックカバー作っただけだけど……。あ。


「例えば、文学関係とか。結構読書家よね。ほら、今も」


 言われて、手元に開いていた文庫本の存在を思い出す。


「あぁ……」


 確かに、本を読むのはかなり好きな方だ。何なら推し作家のサイン会にまで足を運んだりもする。……でも。


「進路的にはどう?」


「や、小説は好きですけど……。現代文とか古典の授業は別になんで」


 考えたことをそのまま口にしていると、意図せずその場がしん、と静まりかえる。異変を感じた時には遅かった。


「あっ……すんません」


 やらかした。目の前にいるの、思いっきり“それ”専門の教師ですけど。

 ぶわっと冷や汗が吹き出し、恐ろしくて辻野先生の顔色を窺うことすら出来ない。

 いや、今は“ツノ”と呼んだ方が的確か。


「その、教師になるつもりはないんで……」


 フォローになっているのか分からないが、最早言い訳のように付け足す。恐る恐る顔を上げると、意外にも辻野先生は平然としていて、むしろ気の抜けた顔をしているように見えた。


「私だって、教師になるつもりなんてさらさらなかったわよ」


 眉根を寄せ、愚痴を零すような口調で言った辻野先生に、思わず「え?」と間抜けな声を出してしまう。

 こんな、教師になるために生まれてきたような人が……? 教師以外の辻野先生の姿が全く浮かばず、俺はぽかんと口を開けてしまった。


「ただ単純に本が好きで、本に関わる仕事をしていられればそれで良いと思ってた。……でも不思議ね。やりたいことに近付けば近付くほど、もっと本質の部分を突き詰めたくなってくるの」


 そう言って、先生は僅かに頬を緩めた。それが、“ツノ”と呼ばれる鬼教師の見せた笑顔だと気付くのに少し時間がかかった。


「必ずしも、進路と職業が結びつくわけじゃないわ」


 ふいに落とされた言葉にハッとする。……そうか。今未来が見えていなくても、職業なんて分からなくても別にいいのだ。高校(ここ)を出たって俺はまだ学生で、社会人になるまでには少し時間がある。

 学ぶ中で見つければいい。今は、“学ぶこと”を目標にしたっていいのだ。


「……だから、少しでも興味を惹かれるものがあるなら、まずは飛び込んでみるのも一つの手ね。指針を変えずに形を変えることなんて簡単よ」


 そう言って先生は、ふっ、と、今度こそ明確に柔らかく笑って、俺の手元にある文庫本の表紙をとん、と指先で示した。頭の中に小説の一節が流れ込む。

 “人が望み、歩む道は一つだけで、その形を変えることは不可能である。誰もがそう思っている。どうしてこんなにも難しいのだろう。私の空想は、私の道は、私の指針は、形を変えただけで歪むようなものではないというのに”


『指針を変えずに形を変えることなんて簡単よ』


「形を変えたって、歪まない……」


 ふと、一人きりになった図書室でぽつりと呟く。

 全く、あの人は立ち去り方まで何かのドラマみたいだ。まるで全てが計算されていたかのように、時計を見ると丁度20分が過ぎていた。

 小さく息を吐き、高橋とのLINEを開いてみるが、未だ既読すら付いていない。珍しいな、と考えたところで、再びあの夢がフラッシュバックした。


『バイバイ』


 ドクン、と心臓が跳ねる。

 ……いや、落ち着け。今朝はあんなに元気だっただろ。再発もないって言ってたし。

 何度も自分に言い聞かせるが、一度膨らんでしまった嫌な予感は簡単には消えてくれない。いても立ってもいられなくなり、俺は文庫本を鞄に突っ込んで図書室を飛び出した。


 人気のない廊下を抜け、昇降口を抜け、駅までの道を駆け抜ける。いつも放課後に会う時は高橋が雷校の最寄駅まで来てくれていた。お互いの最寄りからだと雷校の方が近いからだ。でも今はそんなこと関係ない。たまには俺がそっちに行ったって良いだろう。


 丁度ホームにいた電車に乗り込み、乱れた息を整える。……そうだ、これはたまたま時間があるから高橋の学校まで行っているだけで、高橋に何かあったなんて思っている訳じゃない。そんなことある筈ない。


 ……なんて、自分にさえ言い訳をしていたくせに。


「え、五十嵐くん!?」


 その顔を見て、声を聞いて、泣きそうになってるのはどこのどいつだよ。


「ごめんね、今やっとスマホ見れて……。大丈夫? こっち遠かったよね?」


「……別に。たまにはこっち来てみようと思って」


 やっとの思いでいつも通りの声を出す。額に浮かんだ汗を拭い、目元を乱暴に擦って、そこに浮かんでいた何かの痕跡を跡形もなく消していく。


「えっ!? うそ、舞のカレシ!?」


 唐突にそんな声が耳に届き、ここが高橋の高校の正門前だったことに気付く。高橋の友達だろうか。そう思って目の前にいる高橋に向き直ると、高橋は分かりやすく顔をしかめて苦い顔をしていた。その口から発せられた小さな声を、俺は聞き逃さなかった。


「うわ、めんど……」


「!?」


 正直、友達(?)の大声より衝撃だった。気持ちは分かるけどそんなストレートに……。


「五十嵐くん、こっち!」


 慌てた声が聞こえたかと思うと、高橋は俺の腕を掴んで走り出した。仕方なく後に続きながら、なんだか今日はバタバタしてばかりだな、と能天気なことを考える。しばらく駅に向かって走って行くと、高橋はようやく速度を緩めた。

 なんていうか、意外と体力あるんだな。激しく息を切らすでもなく、「ふぅ」とやりきったような顔をしている高橋に、思わず吹き出して笑ってしまった。


「ははっ」


「え、何!? 何にツボった!?」


「いやもう全部だろ。急に走り出すし、一本道なのに“撒いたぜ”みたいな顔してるし」


 言うと、段々と自覚してきたのか、高橋も可笑しそうに笑い出した。


「だって捕まると長いんだもん! 女子校だからみんな恋バナに飢えてるの。それに、あの子使うの別の駅だから」


「あぁ、なるほどね」


 それにしたって可笑しい。数分前の高橋の顔が脳裏をよぎり、思わずツボに入ってしまう。


「五十嵐くんって一回ツボるとずっと笑ってるよね〜。なんか新鮮だなぁ」


 呑気にそんなことを言って、暑そうに紺色のセーラー服をパタパタと仰ぐ。こうして見ると、本当に違う学校なんだな、と改めて感じる。

 見慣れない制服。男のいない校舎。俺にとっては不思議なものだが、高橋にとってはそれが日常なのだろう。


「はー、さすがに急に走りすぎたねぇ。ごめんね、五十嵐くん」


「いや、俺は全然……」


 言いながら、心がざわつくのを感じた。高橋の火照った頬がやけに目を引く。


「……ちょっとどっかで休むか」


 駅前なだけあって入れそうな店は沢山あった。周りを見回しながら言うと、高橋は珍しく「う〜ん」と歯切れの悪い返答をして何か迷っているようだった。


「どこでもいいけど、一回休んだ方がいいだろ。顔赤いし。まさかさっきのお友達が押しかけて来るなんてことはないだろ」


「そうなんだけど、そういうことじゃなくて……」


 何かおかしい。いつもだったら満面の笑みで即答するのに。何か心配事でもあるんだろうか。眉根を寄せて黙り込む高橋の頬はまだほんのりと赤い。

 ……どちらかというと、こっちが心配なんですけど。


 微かに熱を持った頬を指先で撫でる。驚いたように丸い目が俺を見上げる。


「ん?」


 何事もなかったかのように高橋の言葉を待つ。別に、無理にどこかへ連れ出そうという訳ではない。そもそも高橋に会えただけで当初の目的は果たされているのだ。

 ただ、無理をしていないか心配だった。疲れたように見えないとはいえ、それなりの距離を走ってきた訳だし。

 それに……。


『今はこんなに元気なのに、明日死んじゃうかもしれないんだって』


 いつ何が起こるかなんて、誰にも分からないんだ。


「……えっとね、実は──……」


 ようやく口を開いた高橋の声が不意に止まる。不自然に、まるで無理やり口を塞がれたかのように。


「ちょ、ちょっとこっち!」


 何がなんだか分からないまま、手を引かれて身を隠すように路地裏に連れ込まれる。


「……スパイごっこ?」


「違う! 針センが……!」


「なんて?」


 ハリセンボン? 急に?

 状況が理解出来ないまま思考を放棄していると、高橋は恐らくその“ハリセン”から目を離すことなく、「私の担任なの!」と小声で言った。それで全て説明したつもりなのだろうが、こちらには何一つ伝わっていない。何なんだこの状況。


 担任は担任として、なぜ隠れる必要があるのか謎だった。何も悪いことはしていないし、高橋に限って呼び出しを食らうようなこともないだろう。

 ……もしかして恋愛禁止とか? そんな馬鹿げたことを考えていると、「ごめん五十嵐くん」と高橋がこっちを振り返った。どうやら天敵はいなくなったらしい。


 先程までの青い顔はどこへやら、高橋はなぜだか照れくさそうに、何かを誤魔化すように「実はね」と切り出した。

 謎の行動を取った高橋を心配しつつ、やけに感じるこの“ドッキリのネタバラシ”みたいな気配は気のせいだろうか。


「うちの学校、寄り道禁止なんだよね」


「…………ん?」


 これは、予感的中と言って良いんじゃないだろうか。

 貼り付けた笑顔の奥で困惑が広がっていく。



 どうやら俺は、知らぬ間に彼女を寄り道常習犯にしてしまっていたらしい。

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