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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第5章
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178. 揺らぐ天秤 中編

「……では、連絡は以上です。起立」


 パタンと黒い手帳を閉じ、辻野先生が号令をかける。

 生徒たちの椅子がバラバラに音を立て、「礼」という声に合わせてそれぞれの頭が下げられると、プツンと糸が切られたように空気が緩んだ。しんとしていた教室はガヤガヤと騒がしい話し声や笑い声で満たされる。


「川谷帰ろー!」


 遠くの席からブンブンと手を振ってくる長野に思わず苦笑いをしてしまう。俺が口を開くより先に、長野の肩に高津が手を置いて何かを言っていた。恐らく、俺の言おうとしていたことを伝えてくれているのだろう。

 今日は香澄と一緒に帰る約束をしているのだ。事前に伝えておいたのだが、どうやら忘れていたらしい。


「悪い! また明日な!」


 そう声をかけると、高津と長野は「おー!」と手を振り、里宮はというと大きなあくびをしていた。遠目からでも分かる涙目でひらひらと片手を動かす様子がなんだか可笑しくて、俺は思わず笑っていた。


「川谷くん」


 凛とした声に名前を呼ばれ、反射的に振り返る。そこにはファイルやらプリントやらを抱えた辻野先生が立っていた。


「明日も部活休みよね。放課後少し時間取れる?」


「あ、はい。大丈夫です」


「そう。じゃあ明日」


 それだけ言って離れて行こうとする先生に、不思議と不安が煽られ思わず引き止める。


「辻野先生……その、荷物職員室まで運びましょうか?」


 平然とした顔で持ってはいるが、ずっしりと重そうな荷物を指さして言うと、辻野先生は表情一つ変えずに首を振った。


「大丈夫よ。……それから」


 荷物を持ち直し、先生は僅かに口角を上げた。


「心配しなくても、明日はただ進路のことで話があるだけよ。あなた何も悪いことしていないでしょう」


 隠したつもりでいた不安を見透かされ、一気に顔が熱くなる。先生はそんな俺を気にすることなく、「じゃあ」と短く言って身を翻した。コツコツと足音を響かせながら、ピンと伸びた背が離れて行く。


 なんというか、どこまでも抜け目のなさそうな人だな。普段の振る舞いが完璧すぎて、家でダラダラしている姿が全く想像できない。今まで関わってきた先生との違いが激しすぎて、未だにこの空気感に慣れていない自分がいた。


 普段から黒いパンツスーツを身にまとっている辻野先生とは打って変わってヨレヨレのシャツばかり着ている岡田っちの姿が頭に浮かぶ。岡田っちほどではないが、去年の担任だったよっしーも割とラフな格好をしていた。むしろ毎日スーツで来る辻野先生の方が珍しいのだ。


 そういえば今年は香澄の担任がよっしーになったんだっけ……と、そこまで考えて慌てて時計に目を向けると、ホームルームが終わってから15分もの時間が経っていることに気付き、すぐさま鞄を肩にかけて教室を出た。


 人の流れも少し落ち着いてきた廊下を足早に進み、3年D組へと急ぐ。前のドアから中を覗き込むと、目の前にいた女子と目が合った。俺が口を開くより先に、ニヤリと笑って身を翻した女子は、元気な声でその名を呼んだ。


「香澄ー! 香澄の大好きな彼氏がお迎えに来てくれたよー♡」


 ハイテンションな声が静かな教室に響き渡る。

 弾かれたように顔を上げた香澄とまっすぐに目が合い、りんごのように赤い顔になった俺たちはほぼ同時に吹き出して笑っていた。




* * *




「さっきごめんね。恥ずかしかったでしょ」


 赤い頬に手を当てながら言う香澄に、思わず笑いながら答える。


「びっくりはしたけど大丈夫だよ。こっちこそ遅くなってごめん」


 まぁかなり恥ずかしかったけど!


「えぇ、全然遅くなかったよ? 私も友達と喋ってたし」


 焦ったようにそう言ってくれる香澄に、「そう?」と笑いながら右手を差し出す。まだ学校を出て少ししか経っていなかったが、周りの目を気にするのももう今更だ。香澄も当たり前のように俺の手を握って笑った。


 俺たちが付き合っていることは、いつの間にか全校生徒に知れ渡っていた。きっかけは恐らく去年の文化祭だろうが、クラスも違う2人がこれだけ頻繁に会っているのだから薄々勘づいていた人もいるのかも知れない。それから開き直って人目を気にしなくなると、まぁ多少は騒がれたがすぐに落ち着いた。

 こうして俺たちは所謂公認カップルになったのだった。


「初めは恥ずかしかったけど、慣れたら逆に楽しいね」


 同じことを考えていたのか、繋いだ手を揺らしながら香澄が言った。顔を上げると、雷校の制服を着た女子たちがひそひそと小声で話しながらこちらを見ていることに気が付く。見慣れない顔なので恐らく後輩だろう。


「楽しいの?」


 思わず笑いながら尋ねると、香澄は人懐っこい笑みを浮かべて「うん」と頷いた。


「イケメンで人気者の“川谷くん”は私の彼氏です! って見せびらかしてる気分」


「えぇ? 何それ」


「でもね、優しくて努力家で正直で、ちょっと恥ずかしがり屋さんの健治くんは私しか知らないから誰にも教えてあげないんだ〜」


 悪戯に笑ってそう言った香澄は、「まぁバスケ部の皆は知ってるだろうけどね〜」と、また可笑しそうに笑った。

 色々な面を見つけてくれて、受け入れてくれて、好きでいてくれる人はどれだけ居るのだろう。ふとそんなことを思い、改めて彼女がかけがえのない存在であることを実感する。


「ていうか、俺って恥ずかしがり屋なの?」


「うん、すっごく」


 あろうことか即答され、なんとなく目を背ける。

 俺ってそんななのか……。


「恥ずかしがり屋さんっていうか、照れ屋さんかな。ん? これって一緒? あ、ほらまた顔赤い!」


 面白おかしく頬をつついてくる香澄に、ぶわっと全身の体温が上がる。


「まっか〜」


「やめて、許して」


 そんなこんなで駅に着き、ホームのベンチに座って電車を待つ。住宅に隠れて少しだけ見える薄オレンジの空が、一日の終わりを知らしめてくるようで寂しさが掻き立てられる。


「あのさ」


 香澄の声でハッと我に帰る。ほぼ無意識に隣を向くが、香澄はどこか遠くを見つめたままだった。


「私、製菓の専門学校受けることにしたんだ。家から1時間くらいのとこ」


 唐突に進路の話題が出され、心臓が大きく跳ねる。

 それは誰もが考えなくてはならないことなのに、なぜだか非現実的なことを話しているように感じられた。


「……そうなんだ。なんか、香澄らしいね」


 思えば、初めて会話らしい会話をした時も、香澄が俺に手作りクッキーをくれたんだった。小さくて丸いクッキー。その味は今でも覚えている。


 香澄は「そうかな」と照れたように笑って、ゆっくりと立ち上がった。気付くと、香澄の乗る電車がホームに着く時間になっていた。


「健治くんも、がんばってね」


 呟くようにそう言った香澄は、まるで逃げるように電車に乗り込んだ。微かな異変を感じて伸ばした手は虚しく空をかく。

 電車の中の香澄がこちらを振り返った時には、その表情はいつもと変わらない笑顔に戻っていた。



 ドアの前に立って小さく手を振る香澄に応えながら、俺の思考は数秒前の違和感に支配されていた。

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