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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第5章
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177. 揺らぐ天秤 前編

 人生の軸は枝分かれしている。

 大切な人が沢山いて、大切なことが沢山あって、星の数ほどある物語に支えられながら人々は生きている。

 だからもし、その中の一つが欠けるとしたら。大切と大切を天秤にかけられてしまったら。

 人は、取捨選択をして生きて行かなければならない。


 ……今ある幸せを失いたくなくて、繋いだ手を離す未来を考えたくもなくて、川谷健治は華奢な肩をきつく抱きしめていた。




* * *




 学年が変わると周囲の環境も変わる。クラス替えでは“2年連続ぼっち”を回避し、5人揃って同じクラスという最も望ましい結果に落ち着いた。その代わり、かどうかは分からないが、香澄とはクラスが離れてしまった。

 まぁ、お互いなんとなく予測していたので「やっぱり違ったね」くらいの反応だった。元々違うクラスだったこともあり、彼女との距離はとりわけ変わらない。


 ……それに、今まで付き合ってきた日々の中で、簡単に揺らぐことのない信頼関係を築けた……と、俺は思っている。重いかも知れないけど。

 考えているうちに気恥ずかしくなり、小さく息を吐いて顔を上げる。


 昼食を終えて談笑を楽しむクラスメイトの中には見慣れない顔もちらほらあった。教室で皆と居るからか、なんだか1年の頃に戻ったような気になっていたが、見渡してみるとやはり違う。

 俺は3年だ。受験生だ。もうあの頃に戻ることはないけれど、思い出は永遠に消えることはない。それを糧にして、俺は努力していかないと。


 長野たちの陽気な笑い声を聞きながら、先生に印刷してもらった志望校の過去問を睨みつける。

 英単語のページが終わると、次のページからは専門的な知識を問う設問が続いていた。学校で習ってきたこととは関係のない内容のため、しっかりと確認しながら解かなくては間違ったまま覚えてしまう危険がある。

 腕時計に目を落とすと、昼休み終了まで20分ほど時間が余っていた。


「悪い。俺ちょっと図書室行ってくる」


 誰にも借りられてなければいつものとこにあるだろ、と何度か使ったことのある資料を思い浮かべながら教室を出る。賑やかな廊下を抜け、階段を下り、図書室に入るとまるで違う世界にやってきたかのように雰囲気が変わった。


 カウンターでは図書委員と思われる生徒が2人。1人は読書、また1人はカウンターの上にノートを広げて何かを書き込んでいた。均等に並べられた机と椅子には所々読書をしている人や教科書を広げて勉強をしている人がいた。

 ひそひそと小さな声で会話をし、時折押し殺した声で笑う3人の女子たちは、小説の感想でも話し合っているのだろうか。


 机の木目を照らす光は穏やかで、どこか遠くから楽しげな笑い声が聞こえてくる。耳が痛くなる時もあるそれだが、距離が離れているからかうるさくは感じない。思考を邪魔するようなものでもなく、小鳥のさえずりのように微笑ましくさえ思った。


 俺がこの図書室をよく利用するようになったのは志望校を決めて勉強するようになってからなので、2年の夏くらいからなのだが、俺はこの空間をすっかり気に入っていた。どこか懐かしいような、心を温められるようなこの空気が好きだ。


 部活が突然休みになった日の放課後、たまたま五十嵐と出くわした時を思い出す。窓際の席で本を読んでいた五十嵐は見るからに驚いていて、その丸い瞳があまりに珍しくて、俺は思わず笑ってしまった。

 その後はおすすめの小説を数えきれないほど紹介され、俺が本当に読むとはハナから思っていないのかネタバレを含めた感想を延々と聞かされた。


 本人は気付いていなかったが、あの時の五十嵐はかなり饒舌で明らかにテンションが高かった。本当に物語が好きなんだな、と改めて思ったのを覚えている。


 そういえば、さっきも読書してたな。あれで器用に皆の話も聞いているのだからいつも感心してしまう。

 そんなことを考えながら小さく笑い、この場に居る人たちがそれぞれの作業に集中していて良かった、と思う。危うく1人で笑っているヤバいやつになるところだった。


 人の視界を邪魔しない程度に肩をほぐし、迷うことなく目的の本が収納されている本棚へ向かう。幸い目当ての本は俺が予想したとおりの位置に収納されていてすぐに見つかった。


 この本を手にする時、俺の中には喜びと好奇心と、少しの迷いが生じる。……それでも俺は、進む道を選んだのだ。もう後には引けない。

 誰にも気付かれないよう小さく深呼吸をして、丁寧に揃えられた本棚から1冊の本を抜き取る。



 俺の夢は。俺の“したいこと”は、1つだけだ。

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