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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第5章
178/203

176. 愛情と自己肯定 後編

「失礼しま〜す」


 職員室のドアを開けながら声をかけるが、大抵の先生は無反応。大人って皆こんなもんなのかな、なんてことを考えながら目当ての人物を探す。


「辻野先生は……」


 視線を左右に動かし、春から担任になったその人を探すが見当たらない。小さく息を吐いた時、やけに聞き覚えのある落ち着いた声が耳に届いた。


「辻野先生は先程学校を出られましたよ」


 職員室の入り口近くの棚で何やら書類を整理していたらしいその人物は、ゆっくりと身体の向きを変えて微笑んだ。


「進路相談でしたら私が受けましょうか。辻野先生への用事なら後日改めた方が良いでしょうが」


 穏やかな声でそう続けたのは、元2年B組担任、ガリガリ君こと西村元太郎だった。




* * *




「なるほど」


 空き教室に移動し、進路希望調査のプリントを渡して数分、返ってきたのはその一言だった。

 良くも悪くも捉えられる反応に、俺は正解が分からずただ頷いた。


「具体的に、進みたい大学などは絞り込めていますか?」


「いや、まだ全然……」


 内心ヒヤヒヤしながら答えたが、先生はただ「そうですか」と言っただけだった。淡々としているにも関わらず、纏う空気は春のように温かい。

 数ヶ月前まで目の前の先生の声を毎日聞いていたのに、もう懐かしく思っている自分がいた。


 パラパラとページをめくる音だけが教室中に響く。めくるたび現れる数々の大学情報。その偏差値に、自分の成績を重ねてしまう。


「……あの、俺みたいなやつでも、行けるとこ……あります、かね?」


 段々と声が小さくなる。しくった、と瞬時に後悔した。完全に弱気になっている。進学を目指すと決めたからには、今のままの学力で良いわけがない。行きたい大学を見つけて、そこに追いつける努力をしないと。

 そんなことは分かっていたのに、完全に拭いきれていなかった不安が、ついぽろりと口から零れてしまった。


“もっと受験生としての自覚を持つべきだ”


 ……そんな趣旨の注意を受けると、当然のように思っていたのだが。


「長野くん」


 先生は、違った。

 大量の大学情報が詰め込まれた分厚い本を閉じ、皺に包まれた目を細める。


「君はよく、自分のことを馬鹿だと言っていますね」


 いつからか口癖のようになっていた言葉を言い当てられ、どきりと心臓が鳴った。


「でも、私は、君は本当の馬鹿じゃあないと思っています」


 顔を上げると、先生はまるで俺を安心させるかのように柔らかく微笑んだ。


「君は今、結果を出せないことに苦しんでいるかも知れませんが、君は誰より努力することの大切さを知っています。勉強をしていなくて答えが分からない人の解答と、勉強をしたけれど分からなかった人の解答は全然違います。君は後者です。教師としては正解を求めるべきなのかも知れませんが、私はそれで良いと思っています」


 何を言われているのか分からなかった。説教どころか、先生は俺のことを肯定していた。混乱する頭に、それでも不思議と落ち着いた声が流れ込んでくる。


「実る努力ももちろんありますが、実らない努力もあります。むしろそちらの方が多いかも知れません。大切なのは、それを続けることです。しかしそれは、終わりのない迷路のようなもので、実績が目に見えないこともあり継続は難しい。……長々とお話してしまいましたが、私には、長野君がその継続を既に実行しているように見えるのです」


 先生の真剣な瞳がまっすぐに俺を射抜く。なんだか全てを見透かされたような気がして思わず目を逸らす。

 言いたいことは山程あった。俺はそんなすごい人間じゃない、とか。やっぱり結果を残せなきゃ勉強したって意味ないんじゃないか、とか。他にも、色々。


 ……色々、あったのに。

 言葉が詰まって出てこない。今口を開いたら、声を発したら、なぜだか泣いてしまいそうだった。

 そんな、難しいことに俺を当てはめるのは違うとか、そんな、そんないたたまれなさじゃなくて。


『でも私は、君は本当の馬鹿じゃあないと思っています』


 ……嬉しかった。見ていてくれて。ちっぽけだけど、結果も残せないけど、そんな努力にも気付いてくれて。認めてくれて。こんなにも、嬉しい。

 ……あぁ、俺も、こんな風な。


「……これは個人的な意見ですが。……私は、君ならやれると思っています」


 はっきりとした声。真剣な眼差し。心の底からそう思ってくれていることがひしひしと伝わってくる。

 思えば、こんな俺に対してもこの人はいつだって本気だった。他の生徒と同じように。俺の成績なんて知らないみたいに。……いつも、平等に接してくれていた。


「先生」


 思ったより震えた声だったが、先生は気にすることなく頷いた。頭の中を駆け巡る光景が、ひとりひとりが、俺の背を押してくれる。


「……自分には無理だって、できるわけないって思ってたけど、でも……」


 膝上の両手に力を込める。うるさいくらいに脈打つ心臓の音を落ち着けるように、一度大きく息を吸い込む。

 ……俺は、俺を肯定したい。



「……でも、俺、夢があるんです」

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