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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第5章
173/203

171. 軽い爆弾であったなら

 いつにも増して淀んだ空が私を見下ろす。

 夜の闇に紛れた雲は月や星を隠して漂っていた。少し弱まってきた風が、ポニーテールの髪と共にスカートを揺らす。


 最終下校の時間になり、制服に着替えた私は昇降口近くで皆が出てくるのを待っていた。

 ほとんどの生徒が下校した後だからか、周囲は驚くほど静かだった。日中の騒がしさが嘘のようだ。


 アサギを体育館から追い出した後、私達は練習を再開した。なるべくいつも通りでいたつもりだが、少し動きが雑になってしまったかも知れない。

 アサギはというと、高津がフォローを入れてくれたようで、さほど体力を消耗せずに済んだようだった。まぁへとへとになったところで自業自得ではあるのだが。


 1年が入部して初めての試合も、そう遠くない。この大事な時期に倒れられたりしたら困る。

 あの時はついカッとなってしまったけれど、高津があいつを連れ戻してくれて助かった。後でちゃんとお礼を言わないと。


 そんなことを考えながら、先程アサギに掴まれた手首に目を落とす。大きくて厚くて、力強い手だった。

 ミニバスを卒業して、会うことが少なくなってからもあいつが努力し続けてきた証拠だ。私の知らないところで、あいつは確かに成長していた。


 きっと私は、どこかで信じていたんだ。

 姿形が変わっても、どれだけ時間が経っても、あいつはあの頃のままで。……何も、変わってなどいないのだと。

 “あの頃”と“今”のことは割り切って考えていた筈なのに、いつの間にか私は今のあいつとあの頃のあいつを比べていた。


 私は、認めたくなかったのかも知れない。信じていたかったのかも知れない。それでも、あいつは変わった。

 今の私が、あの頃の私とは違うように、あいつだってもうあの頃とは違う。思えば、あそこまで腹を立てたのも私のエゴだったのかも知れない。もう私は、あいつだけの先輩ではないというのに。


 小さく息を吐くと、後ろから「里宮〜!」と私を呼ぶ元気な声が聞こえてきた。振り返ると、練習後にも関わらず普段と変わらないテンションで笑う長野が、靴箱の前で手を振っていた。少し遅れて、後の3人も姿を現す。


 私は思わず顔をしかめて「遅い」と文句を言っていた。

 私が着替え終わってから既に15分以上の時間が経過していた。いつもは私より先に着替えを終えているのに。


「悪かったって。いい加減機嫌直せよ〜」


 五十嵐がニヤニヤしながらそんなことを言ってくるので、なんだか馬鹿にされているような気分になる。

 ……まぁ、五十嵐は大抵そのつもりで言っているのだろうが。


「別に。普通だし」


 そもそもお前の態度は機嫌直そうとしてる態度じゃないんだよ。と、そんなことを考えながらも黙ったま歩き出すと、隣に並んだ高津が「里宮」と小さく声をかけた。


「悪い、ちょっと話してたら遅くなった。待たせたよな」


 そう言って顔の前で両手を合わせる高津の表情は真剣そのものだった。五十嵐も少しくらい高津を見習って欲しい。

 小さくため息を吐くと、長野がひょいっと私の顔を覗き込んだ。ふわふわのちょんまげが目前で揺れる。


「里宮が怒ってんの、やっぱ告白されたから?」


 大きな目を輝かせてそんなことを言ってくる長野に、思わず眉根を寄せる。もしかして、アサギの爆弾発言のことを言っているのだろうか。


「あれはそんなんじゃないだろ」


 あいつは結局、私を困らせたかっただけなのだ。大方、あの頃とは違う私を不満にでも思ったのだろう。それにしたってもっと別の方法があっただろ、とは思うが。

 長野は不思議そうな目をしてこてんと首を傾げた。


「なんで?」


「なんでって……あいつも私のこと気に食わなかったんだろ」


「気に食わないやつに好きだなんて言わないだろ〜」


 あははと笑いながら言う長野に、「だから」と反論する声を五十嵐が遮った。


「要するに、あれは本気じゃないって言いたいのか?」


 いつになく真面目な顔を向けられ、私の中の確信が小さく揺れる。あいつの言ったことが本気かどうかなんて、考えるまでもない。全て私への当てつけだ。“告白”なんて表現が正しいとも思えない。


「だってそうだろ」


 あいつは確かに私を軽蔑していた。

 尊敬していた先輩が、久々に再会したらスランプになってました、なんて誰だって失望するに決まっている。

 やがて五十嵐は呆れたように息を吐いて前髪を掻き上げた。


「まぁ、あれはあいつも悪いわな。どんなタイミングでぶっ込んできてんだって話」


 どこか苛立たしげにそう言った五十嵐は、もう一度深いため息を吐いた。ついさっき私を揶揄ったくせに、五十嵐の方も珍しく機嫌が悪そうだ。


「何にしろ、ちゃんと話した方がいいよ」


 そう言った川谷に優しい表情を向けられ、渋々頷く。

 あいつと話すことなんて何もない。そう思っていたけれど、やっぱり白黒ハッキリさせるべきだろうか。

 そう考えたそばから、鉛のような不安が私を襲う。あいつはもう、私と話したくないんじゃないか。そんな憂いが胸を締める。あいつが慕ってくれていたのはあの頃の私であって、今ここにいる私ではないのだから。


 悲しみさえ見てとれるような失望の表情を思い出す。

 がっかりさせてしまったのは申し訳ないが、これが今の私なのだ。繕うことはできない。


 皆が楽しげに話すのを上の空で聞き流しているうちに駅に着き、タイミングよくやってきた電車にそのまま乗り込む。雪崩れ込んでくる人の間を縫って、なんとか端に移動する。

 ドアを背にして立つと、目の前に高津が立っていた。


「里宮」


 車内だからかいつもより控えめな声に顔を上げる。高津はどこか困ったようにも見える表情で口角を上げた。


「川谷も言ってたけどさ。アサギとちゃんと話して、ちゃんと……答えてやって欲しい」


 曖昧に頷くと、高津はふっと頬を緩め、窓の外に目を向けた。


「軽い気持ちで言った訳じゃないと思うんだ」


「……うん」


 答えておきながら、私は本当に分かっているのか、と疑念を抱く。高津の横顔がどこか寂しげに映る。


 ……あぁ、そういえばあいつもそうだった。何を考えているのか分からない瞳で、他人事のような態度ばかりで。

 それでも、ふと見える横顔はいつも寂しそうで。

 チームを組むようになってから、本当に色々なことがあったけれど、卒業する頃には私にも五十嵐にもすっかり懐いていた。


『センパイ! 卒業しても、また──……』


 ……私にとってアサギは、大事な後輩なんだ。


『軽い気持ちで言った訳じゃないと思うんだ』


 そんなこと言われたって、分かんないよ。

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