168. 身勝手な過去を導くように
『アサギのやつ、なんも変わってないな』
『そんなに反省会したいならひとりでしてろ』
線路を睨み続ける里宮の横顔が、麻木に対する厳しい表情を思い出させる。ただ単に機嫌が悪い時とはまた違う、相手の芯を叩き直すような接し方。
言葉はきついが、里宮はなんだかんだ後輩想いなんじゃないか、と思う。
上手く感情を言葉に出来ず不貞腐れた子どものようになっている里宮に、「それで?」と小さく声をかける。こっちを振り向いた里宮に、俺はふっと口角を上げた。
「麻木の何が気に食わなかったんだよ」
里宮が後輩に厳しいのは本当なのだろうが、麻木と話している時の里宮はどこかイラついているように見えた。“何も変わっていない”という言葉の意味も気にかかる。
里宮はしばらく唇を尖らせていたが、やがて大きなため息を吐いて話し始めた。
「あいつの動きはいつも自己中だ。“自分のバスケ”しか見えてないんだよ」
吐き捨てるように言った里宮に、なるほどな、と腑に落ちる。確かに今日の試合ではほとんど麻木が点を決めていた。シュートだけでなく、パスも麻木から誰かに回している様子はあまり見なかった。里宮が“自己中”と表現するのも分かる。
「……だから、見ててイライラした。“自分もこんなだったのか”って」
そう言った里宮に、思わず「え?」と呆けた声が漏れる。里宮は自嘲気味に笑って「私もそうだったんだよ」と言った。
「私、中学は女バスだったから。正直見下してた。女となんか話したくないし、自分より弱いやつの指示なんて聞きたくないって。……でも、そんなの関係ない。バスケはチーム戦だし、ひとりじゃ絶対戦えない。“女が嫌い”ってだけで、そんな簡単なことすら見えなくなってた」
そう言った里宮が、ぐっと拳を握りしめる。里宮からそんな話を聞くのは初めてだった。言われてみれば里宮は1年の頃自分ひとりで突っ走るような動きが多かったような気がする。パスを回すこともあったが、ほとんど自分の手でゴールを決めていた。
そう考えると、先程の麻木に少し似ている。
「だけど麻木は、ただプライドが高いだけだ。ミニバスの時はある程度抑えられてたけど、メンバーが変わるたびにリセットされてちゃ話にならない。多分、根本的には理解してないんだよ。“強さだけが全てじゃない”って」
大きなため息を吐いた里宮は、「まぁこれも、私が中学の時コーチに言われたことだけど」と戯けて笑ってみせた。思わぬ不意打ちに、心臓が大きく跳ねる。
「……じゃあ、これから叩き込んでやらないとな。“皆のバスケ”ってやつを」
軽く腕を叩いて歯を見せると、里宮は一瞬驚いた顔をしたがすぐに口角をあげて大きく頷いた。
「そうだね」
呟くように言った里宮の声が、ホームに駆け込んできた電車の音にかき消される。
長い黒髪が、春風を受けて大きく揺れた。
* * *
それから仮入部期間は順調に進み、俺はことあるごとに入部届を受け取っていった。枚数が増えるごとに驚きと喜びも湧き上がってくる。昨日が入部届の最終締切だったのだが、なんと仮入部に来たほとんどの新入生が入部してくれることになったのだ。その人数は10人を優に超えている。
部員が増えた分、これからの部活は今まで以上に盛り上がりそうだ。
「なにニヤニヤしてんの」
隣に座っていた里宮に顔を覗き込まれ、心臓が跳ね上がる。
「いや、部員増えるの嬉しいなと思って」
密かに心臓を押さえながら、平静を装ってにこやかに答える。2年もすれば慣れたものだ。
「あぁ、意外と入ったよね。しごきがいある」
真顔のままそんなことを言う里宮に、話を聞いていた長野が「こえ〜」と戯けて笑った。
俺たちは昼食を終えて昼休みの教室で駄弁っていた。
中庭に行かなくても気軽に話が出来ることを考えると、改めて同じクラスで良かったと思う。
そんなことを考えていると、近くの席に座っていた川谷が立ち上がった。
「悪い、俺ちょっと図書室行ってくる」
それだけ言って足早に教室を出て行く川谷に、長野が「えー」と不満げな声を上げる。
「せっかく同じクラスになれたっつーのにー」
頬を膨らませる長野に、五十嵐が「駄々っ子か」とツッコミを入れ、俺は思わず苦笑いを浮かべていた。
「いいもんね! 川谷には見せてやらない!」
唇を尖らせながらスマホを操作する長野に、「見せるって何を?」と尋ねると、長野は待ってましたと言わんばかりに胸を張ってスマホを突き出した。
「長野家の天使!」
目の前に掲げられたスマホの画面には、気持ちよさそうに眠っている赤ちゃんの顔が大きく映し出されていた。画面越しでも分かる滑らかな肌は柔らかそうで、長い睫毛が桜色の頬に影を落としていた。
「えっ! これ姪っ子?」
「そう! かわいいだろ!」
そう言って、なぜがドヤ顔をする長野が可笑しくて思わず笑ってしまう。一方里宮は隣から画面を覗き込んで「ちっさ」と普段通りのトーンでリアクションしていた。
「名前は?」
五十嵐が聞くと、長野は再び胸を張って「まむ!」と自信満々に言い放った。その場にいた全員が「まむ?」と眉をひそめる。
「なんかぷにぷにしてそう」
そんなことを言う里宮に、“なんだそれ”と言いたい所だったが、思わず頷いていた。なんとなく言いたいことは分かる。
「っつーのはニックネームで、本名は真結!」
そう言ってウィンクしてくる長野に、「それを先に言えよ」と五十嵐が肩をすくめた。“真結”も珍しい名前だが、“まむ”はかなり奇抜な名前に感じる。正直驚いていた俺は、「だよな」と思わず安堵の息を吐いていた。
その時、ピロンッと軽快な電子音が響いて、俺は自分のスマホに目を向けた。画面は暗いままだ。
「悪い、俺」
軽く片手を上げてそう言った五十嵐が、もう一方の手で器用に画面を操作する。
「なになに、彼女!?」
身を乗り出した長野が言うと、五十嵐は「うん」と表情を変えないまま頷いた。堂々としたその返答に少し驚く。
まさか本当に彼女からだとは思っていなかったのか、長野は「まじで!?」と飛び上がった。
「なんだって?」
すっかりわくわくした様子で五十嵐のスマホを覗き込もうとする長野を、「おい」と苦笑しながら止める。
さすがに彼女とのやりとりを勝手に覗くのは悪いだろう。そんな俺の思考を跳ね飛ばすかのように、五十嵐が言った。
「今日、会おうって」
いや普通に答えるんかい。
心の中でツッコミを入れる間も、五十嵐は平然とした顔をしていた。
「そっか〜! 良かったな! どこ行くん?」
「さぁ。どっかそのへん出歩くだけだよ」
そのまま会話を続けている2人を気にすることなく、里宮は悠然とあくびをしていた。相変わらずのマイペースさに思わず笑う。目元をこすりながら「ん?」と顔を上げた里宮に、「でっかいあくびだな」と悪戯に笑ってみせる。
里宮は唇を尖らせて「うるさい」と口元を隠した。微かに赤く染まっていく頬を見て、かわいいな、と素直に思う。
いつもどおりの落ち着いた空気に身を委ねながら、これからの生活も変わらず進んで行くんだろうな、と思う。
俺は、無根拠にそう信じていた。