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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第4章
156/203

155. 憂心ピリオド

流れる汗を拭いながらベンチに戻ってくる選手たち。

最早どちらが勝つか誰にも予想できない状況だった。

里宮に突っ込まれた鼻栓を抜くと、鼻血はいつの間にか止まっていた。まだ頭の隅には微かな痛みが残っているが、これくらいならなんとかなる。

そう思って立ち上がろうとすると、コーチが軽く俺の前に手を出して止めた。


「安静にしてなさい」


普段とは違う真剣な表情。思わずぐっと言葉に詰まるが、「でも」と声を上げる。

疲れているのは、限界なのは皆同じだ。選手たちは皆苦しげな表情で酸素を貪っている。それなら少しでも休んでいた俺が出るべきなんじゃないか。そんなことを考えていると、張り詰めた空気の中にコーチのよく通る声が落とされる。


「……里宮 睡蓮」


その名前を聞いて、誰もがハッと顔を上げた。

コーチは睨むように得点板を見つめたまま動かない。隣に座っていた里宮が立ち上がり、「はい」と返事をすると、コーチは数秒の沈黙の後短く言った。


「準備」


その一言に、里宮は一瞬目を丸くしたがすぐに「はい!」と返事をして動き出した。羽織っていたジャージを脱ぎ、スムーズな動きでアップを始める姿からは戸惑いや不安は少しも感じられなかった。


……まさかここで里宮を出すとは思わなかった。

この状況で、もしも里宮が遅れてしまったら。勝ち負け関係なく、里宮はまた塞ぎ込んでしまうんじゃないか。

落ち込んでしまうんじゃないか。


そんな心配ばかりが頭の中を支配する。皆も同じことを考えているのだろう。川谷は難しい表情で黙り込み、長野は不安気に眉尻を下げ、五十嵐は表情を変えないまま里宮の姿を見守っていた。

アップを終えた里宮がコーチの前に戻ると、コーチは真剣な表情を緩め、優しい声で言った。


「暴れてきなさい」


コーチの言葉に、里宮は大きく頷いた。そこには、いつも通りの勝ち誇った笑みを浮かべる里宮がいた。

その姿を見て、俺たちは自然と顔を見合わせる。きっと皆も確信している。

里宮なら、大丈夫だ。


“ビーッ”と大きなブザーの音が再び鼓膜を揺らし、最後の10分が始まる。まずは長野が五十嵐にパスを回し、五十嵐が素早い動きでレイアップシュートを決めた。


「ナイッシュー!」


ベンチから上がる声に自分の声を重ねる。

胸を締め付ける焦燥感と緊張感。なんだか1年の頃に戻ったような気がした。

走り出す白都の選手の前に篠原が立ちはだかり、横から飛び出した相沢がボールを奪ってそのままシュートを放つ。

ボールはリングに当たってゆっくりと外側に傾いたが、すぐさま長野がキャッチして見事シュートを決めた。


「ナイスキャッチー!」


ベンチに座る川谷が声を上げる。

次々に仲間たちがシュートを決め、点差が縮まっていく。

誰もが希望の光を見た瞬間、ベンチから「げ!」という声が聞こえた。慌ててボールを目で追うと、白都のキャプテンがドリブルでコートを駆け抜けていく姿が見えた。


止めろ! そう心の中で叫んだ直後、小さな影が白都のキャプテンの行く手を阻んで動きを止めていた。

里宮……!


“奪え”そう口に出すより先に、里宮は素早い動きで白都のキャプテンからボールを奪った。

速く、速く、誰よりも速く、里宮は突き進んで行く。

俺は思わず前のめりになって腰を浮かせていた。

あの時と同じだ。俺には、ベンチにいる俺には何も出来ない。パスもドリブルもシュートも、オフェンスもディフェンスも。……それでも。

ただ見ているだけなんて出来ないって、あの時も思ったんだ。


気付くと、俺は立ち上がっていた。

コート内の里宮はキュッと音を立てて動きを止める。里宮が何をしようとしているのかなんて、とっくに気が付いていた。


「いけぇぇぇ!!」


喉が潰れそうなほど大きな声で叫ぶ。その声すら周りの歓声に掻き消されそうだ。

コート内の里宮がふわっと体を浮かせる。長い黒髪のポニーテールが踊るように揺れたのが見えた。


“スパッ”


心地の良い音を響かせて、里宮の放ったボールは吸い込まれるようにゴールに入って行った。その瞬間、会場がわっと盛り上がる。慌てて得点板に目を向けると、そこには76−76の数字が示されていた。「同点だ!」という声がベンチの中から上がる。他の部員たちもすっかり興奮していた。


残された時間は2分41秒。

この流れのまま追い抜いて、逃げられれば、もしかしたら……!

そんな期待が膨らみ、俺は祈るように両手を組んでコートに向かって叫び続けていた。




* * *




真冬とは思えない程の会場の熱気。低く響くドリブルの音。各学校の応援の声。

その全てを、限りなく遠くに感じていた。

先程まで汗の伝っていた肌はジャージに包まれ、湿ったユニフォームが背筋を凍らせるように冷たくなっている。

鞄のチャックを閉めて小さく息を吐くと、「惜しかったな」という川谷の声が後ろから聞こえた。ゆっくりと振り返り、呆れたように肩をすくめる。


雷校は、76−79で惜しくも白校に負けてしまった。

夢を見ていた分、心臓を掻きむしりたくなるほどの悔しさに襲われたが、なんとか飲み込んで試合後のミーティングをこなした。他の部員たちも悔しそうに唇を噛んでいて、皆が本気で戦っていたことが改めて実感できた。


篠原は今にも泣き出しそうなほどに顔を歪め、いつも篠原を慰めている相沢も今回ばかりは黙り込んで顔を伏せていた。

そんな中、意外な反応を見せたのは里宮だった。


誰よりも全力で試合に挑む分、負けてしまった時の里宮はいつも深く落ち込んでしまう。試合後のミーティングに出ないことも多く、気づいた時には姿を消している。

ある時は誰もいない廊下で、ある時は観客席で、ただ呆然とどこかを見つめている。

そんな里宮を探し出して、“帰ろう”と言うのも、当然のように染み付いた俺の役目だった。


……でも、今日は違った。

里宮は確かに難しい顔をしていたが、試合後のミーティングにも参加し、積極的に発言していた。冷静にそれぞれの動きを分析し、改善するためにはどんな練習をするべきか伝える。それだけでなく、里宮は落ち込む後輩たちの背を叩いて顔を上げさせていた。

そんな里宮の姿は、明らかに“先輩”の姿だった。


「高津」


振り返ると、ユニフォームの上からジャージを羽織った里宮がそこに立っていた。ぶかぶかのジャージに包まれる里宮がいつもより小さく見える。


「どうした?」


「今話せる? ちょっとだけ」


「いいけど……。帰んないのか?」


「こうちゃん待ち。黒沢もまだ戻ってないし大丈夫でしょ」


確かに、控え室にこうちゃんと鷹の姿はなかった。こうちゃんは色々と手続きや挨拶を済ませてるんだろうけど、鷹はどこをふらふらしてるんだ?


そんなことを考えていると、微かにジャージを引かれる感覚がした。見ると、俺のジャージの袖をつまんだ里宮が、「早く」とその手を引いていた。一瞬ドキッとしてしまったが、慌てて首を振り里宮の後に続く。



小さな背中で踊る黒髪が、なぜだかやけに懐かしく思えた。

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