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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第4章
151/203

150. 走り出す背に向けて

「緊張してる?」


唐突にそう言って顔を覗き込んできたのは五十嵐だった。

試合直前だと言うのに当の本人は余裕そうで、見るからに馬鹿にした顔をしている。

……ムカつく。


「別に」


そっぽを向いて言うと、五十嵐は「ははは」と笑った。

からかってる場合じゃないだろ、と心の中で毒を吐く。


「早く行けよ」


ユニフォームに包まれた背中を強く押すと「はいはーい」と五十嵐は歩き出した。コートには既に数名の選手が並んでいる。

そろそろ試合が始まる時間だ。

暴れる心臓をおさえて深呼吸をしていると、「里宮先輩!」と少し高めの声が私の名前を呼んだ。


コートに入ろうとしていた篠原が、黒と黄色のユニフォームを揺らして駆け寄ってくる。


「……なんか、あの試合を思い出します。里宮先輩が、僕のバスケを変えてくれたあの試合」


『まだお前は、負けてすらいないだろ』


「あの時は本当にありがとうございました」


ふにゃっと笑ってそう言った篠原に、私は思わず呆れ笑いを浮かべていた。


「急に何言い出すかと思ったら。……篠原、私は何もしてない。お前は紛れもなく自分自身の力でここまで強くなったんだ。自分が人一倍努力してきたこと、忘れるなよ」


実際、篠原は本当に強くなった。

ウィンターカップ予選という大事な試合にも、2年を押し退けてスタメンに選ばれるまでに成長した。入部してきたばかりの頃とは比べ物にならないほどに、たった1年で篠原は別人のようになっていた。

篠原は眩しすぎるくらいの笑顔で「はい!」と答えた。


「あ、あと」


思い出したように手を叩いて、篠原は優しく微笑んだ。


「おかえりなさい、里宮先輩」


『僕は待ってます!』


「……あぁ。ほら、早く行ってこい」


なんだか気恥ずかしくて、しっしと手を振って篠原を送り出す。それでも篠原は嬉しそうに笑って「いってきます!」とコートの中央目がけて走って行った。

全く、緊張なんて1ミリもしてなさそうだったな。

……ほんと、強くなったよ。


そんなことを考えて呆れ笑いを浮かべていると、コートに入ろうとする大きな背中が目に入った。


「っ高津!」


考えるより先に口が動いていた。思わず大声で引き留めてしまったが、高津は私のいるベンチまで小走りに戻ってきてくれた。見慣れた黒いユニフォーム、左手首の黒いリストバンド。どこまでも優しい目。


「どうした? 里宮」


優しい声が鼓膜を震わせる。

……何を言えばいいのか分からない。“頑張れ”なんて言わなくたって、皆はもう充分頑張ってる。ここに座っている私が、ベンチにいる私が高津に言える言葉なんて思いつかない。


どんな心のこもった言葉でも、口に出すと安っぽくなってしまうような気がした。自分で呼んだくせに口を開けずにいる私を咎めることなく、高津は何かを察したように微笑んだ。


俯きかけた視界に、黒いリストバンドが映る。

骨張った手。いくつもの試合で戦ってきた手。

いつも私を、皆を救ってきた手。

思わず顔をあげると、高津はひとつ大きく頷いた。


……そうだ。私たちに、言葉はいらない。

大きな高津の拳に、自分の拳をぶつける。私は知らぬ間に口角を上げていた。

コツン、と響いた音が合図だったかのように、高津はコートに向けて走り出した。

その背中は誰よりも広く、優しく、強く。

紛れもない“キャプテン”の姿だった。


「これから、雷門対寺島の試合を始めます!」


「「よろしくお願いします!」」


お互いの選手が相手に頭を下げ、試合は始まる。

その瞬間に自分がコートにいないのは随分久しぶりの感覚だった。


寺島高校。

初めて聞く高校だ。もちろん、戦ったことはない。

名前を聞かないということは、目立った強みもないということ。しかし、油断は禁物だ。いつ、どの場面で本性を発揮してくるか分からない。


どこか遠く感じるコートで走る選手達を目で追いかける。

心臓が高鳴る。選手の行動、足の動きから指先の動きまで目が離せない。

パスを繋ぐ手。駆け出した時の音。

シュートが決まった時の、爽快感。


「高津ナイッシュー!」


ベンチから発せられる応援の声。

あぁ、こんなに周りを見たことは今までなかった。

コートの中で、自分の行く先だけを見て。相手の動き、仲間の動きに注意しながら、ゴール下まで一気に。


「長野ナイスー!」


こんなに、こんなに支えてもらってたのに、全然気付けなかったなぁ。本当に、馬鹿だなぁ。

……私は、きっと、ずっと。

“私のバスケ”だけを貫いて来たんだ。


「行けそうか?」


隣に座っていた黒沢がスポーツドリンクを差し出して言った。黒沢の手から水筒を受け取り、キャップを開けて少し口に含む。冷たいスポーツドリンクが喉を通っていく。

顔をあげると、私は自然と不敵な笑みを浮かべていた。


「あたりまえ」


言うと、黒沢は小さく息を吐いて笑った。


「そうかよ。……じゃあ」


私の手から水筒を受け取った黒沢は、試合の続くコートへ目を向けた。


「行ってこい!」


ニッと歯を見せて笑った黒沢に、私も「おう!」と応えて笑った。立ち上がり、羽織っていたジャージを脱ぐ。

一歩足を踏み出しただけで、心臓が壊れそうだ。

身体をほぐしているうちにブザーが鳴り、コートに入っていた選手達が近づいて来る。ここで一旦交代となる長野はベンチに駆け寄るなり口を開いた。


「あいつら納豆タイプだ! 全然体力落ちてねぇ! 今までのも多分本気じゃねぇし、こっからねばねばくるぞ!」


汗だくのまま喚いた長野に、他の選手たちも賛同するように頷く。

なるほど、納豆タイプか。たまにいるんだよな、ねばねばしつこくて後半まで体力温存してるやつ。

……そういう相手は、必ずと言って良いほど巻き返しがえげつない。


得点板に目を向けると、そこには“16-9”の数字が表示されていた。今のところは雷校がリードしているが、きっとすぐに抜かれるだろう。

そう考えた時、瞬時に底なしの空洞に突き落とされたような感覚がした。


こんな大事な時に、私は本当に出るべきなのだろうか?

いくらエースだからと言ってスランプの選手を試合に出して上手くいくはずがない。許される訳がない。

ドクン、と心臓が強く脈打つ。

チームのことを考えたら、“スランプの選手”なんて出ない方が良いに決まってる。その方が勝てる。

私は……。


「里宮!」


突然名前を呼ばれ、びくっと身体が跳ねる。反射的に振り返ると、私は思わず目を見開いていた。

長野、高津、五十嵐、川谷、篠原、黒沢、こーちゃん……。

ベンチにいる“皆”が、声を揃えて言った。


「「大丈夫だ!」」


その声が、笑顔が、心が、私の支えになる。

正解なんて分からない。恐怖心だって、完全になくなったと言えば嘘になる。

……それでも私は、皆の気持ちに応えたい。


いつも、いつも、本当に。


「ありがと!」


歯を見せて笑い、思いきり声を張り上げて、コート目がけて地面を蹴る。身体が熱い。今すぐにでも戦いたい。


バスケがしたい。

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