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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第4章
148/203

147. あの頃だけが全てじゃなかった

「できた!」


ほかほかと湯気の立つロールキャベツを前に、思わず喜びの声を上げる。

予想以上に上手く出来た。色々苦戦したところもあったけど、割になんとかなるじゃないか。


ふと時計に目を向けると、2つの針は一直線に並んでいて、午後6時になったことを知らせていた。

達成感に満たされながら、ロールキャベツを盛り付けた皿にラップをかける。父さんの分だ。

平日の夜は一緒に夕飯を食べるどころか会うことの方が珍しい。


今更何とも思わないけれど、小学生の頃は家に1人でいるのすら怖かったのを覚えている。

自分の席に皿を運び、和室へ向かう。

仏壇の前の座布団に腰を下ろし、静かに正座をした。

見上げると、いつもと変わらない笑顔の母さんがいる。


もし母さんが私のことを見てくれていたら、きっとすごく褒めてくれたんだろうな。“美味しい”って、何度も言いながら笑ってくれたんだろうな。

そんなことを考えて、少し、ほんの少しだけ、寂しくなる。


その時、ピリリリ、とダイニングテーブルに置いていたスマホの着信音が鳴った。LINEの時とは違う。

電話? 首を傾げながらもスマホを耳を近づけると、「もしもし! 蓮?」と元気な声が聞こえてきた。

自然と頬が緩むのが分かる。


「うん。どうしたの?」


「いやー、今日高津くんに相談するって言ってたからさ。大丈夫だったかなって」


「あぁ」


そういえば、もう部活も終わる時間か。


「大丈夫だよ。2週間休めって言われたけど」


「そっかー! やっぱ休むのが一番かもね!」


「うん……あ、そういえば」


聞こうと思っていたことを思い出し、私は椅子に座って阜に質問をぶつけた。


「阜って普段何してるの?」


「うん? 普段?」


「あ、部活以外で」


「ん〜、特に何も……。スマホいじったりテレビ見たり……? あ、さては蓮、暇なんでしょ〜」


図星を突かれ、私は思わず笑った。


「バスケ以外にすることなんて、何もないもん」


「そんなこと言って〜。勉強もしなきゃダメでしょ! まぁ蓮には必要ないか〜」


そんな阜の言葉に、私は思わず目を丸くしていた。


「あぁ、そっか。勉強」


完全に忘れていた。そもそも勉強なんてあまり意識してやったことはないし……。


「え、本気で言ってる?」


「うん」


「羨まし! 頭良いっていいですね! こっちは赤点ギリギリですよ!」


「あはは」


そんな他愛ない会話が続き、しばらくして電話を切ると、先程作ったロールキャベツに向き直る。

熱いのが苦手な私からしてもちょうど良い温度になっていて、想像以上に美味しかった。

まだ阜との楽しい会話の余韻が残っていて、静寂の部屋もいつも以上に気にならない。


翌日、私が珍しい料理を作ったことに気付いた父さんからLINEが届いていて、相変わらずの猫スタンプに私は思わず笑ってしまった。




* * *




凍りつくように冷たい風が頬を滑る。

今まで何度も乗り越えてきたはずの緊張も一向に解ける気配がない。


俺は、このチームを。

里宮を、支えることができるのだろうか。






里宮が部活に来なくなって、丁度2週間が経った。

明日の日曜日はとうとうウィンターカップ予選だ。

里宮はこの2週間、本当に一度もバスケをしていないらしく、俺に暇潰しの方法を聞いてきたり、昼休みの裏庭で五十嵐と川谷におすすめの本を聞いていたりと、随分退屈している様子だった。


昨日の昼には猫の動画をやけに真剣な表情で見ていたので気になって尋ねると、里宮の愛猫であるヨミのためにマッサージを勉強しているとのこと。

更には、今まであまり構ってやれなかったお詫びに猫用ケーキまで作ったらしい。


画像を見せてもらうと、本当に猫用なのか疑うほどの立派なケーキで、長野が食べたいと騒ぎ出すくらいだった。猫用だぞ、とは思ったが、まぁ分からなくもないので「美味そうだな」と言うと、里宮は得意気に胸を張っていた。


今日はウィンターカップ予選前最後の練習日だ。

汗を拭きながら時計を確認すると、時刻は午後6時30分をさしていた。

……そろそろ約束の時間だ。

俺は後輩がボールを片付けようとするのを止めた。

まだ使うから、と。


部活着のまま体育館を出て教室に向かう。

所々窓が開いているからか、廊下には冷たい風が吹いていた。わずかに汗をかいた背中がスーッと冷える。

早歩きで教室まで辿り着くと、ドアの向こうから蛍光灯の光が漏れ出していた。


ドアを開けると、一番後ろの席に部活着姿の里宮が座っていた。シャーペンの動きを止めて顔を上げた里宮が「おつかれ」と小さな声で言う。


俺たちは部活が終わったあと、2人だけで練習しようと約束していた。スランプと言っても、里宮は雷校のエースなのだから明日の試合も少しくらいは出ることになるだろう。

今日は明日に備えてのリハビリみたいなものなのだ。


「じゃ、行くか」


言うと、里宮は「あ、待って。ここだけ」と再び机に向き直った。不思議に思って里宮の手元を覗き込むと、そこには数学の問題集が広げられていた。

予想外すぎて思わず目を丸くしてしまう。

里宮がちゃんと勉強してるの、初めて見たかも知れない。


やがて里宮は「よしっ」とシャーペンや消しゴムを筆箱にしまい、問題集やノートと一緒に鞄に入れた。

立ち上がって鞄を肩にかけた里宮は、俺が固まっているのに気付いたのか「どうした?」と首を傾げた。

ハッとして「いや」と首を振る。


「里宮が勉強してんの、珍しいなと思って」


歩き出しながら言うと、里宮は怒るでもなく「確かに」と真顔で頷いた。パチッと教室の電気を消した里宮は「阜に言われて」と話を続けた。


「私今まで、勉強ってあんまり意識してなかったから。そっか、普通は普段から勉強するんだ、偉いなー、と思って。ちゃんと勉強するのなんて、受験の時以来かも」


そんなことを言った里宮に、じゃあテスト前は勉強してないのかよ、と思った。


「それで成績良いってすげぇな」


呆れ笑いを浮かべながら言うと、里宮は「すごくないよ」と真剣な顔で言った。


「私今まで何も努力してこなかった。私って本当にバスケしかなかったんだって、気付かされたよ」


そう言った里宮はどこか寂しそうな目をしていた。

里宮はきっと、今まで沢山辛い経験をしてきて。

それは皆も同じだけど、沢山悩んで、沢山苦しんで、いくつもの壁を乗り越えてきたはずだ。


“何も努力してない”なんて、そんなことあるはずがない。今、この場所に立っているだけで、俺たちは充分に努力をしている。

そう、認めてやっても良いんじゃないかと、俺は思う。


……でも、きっと。

隣を歩く里宮の横顔に目を向ける。


……里宮は、それだけじゃ満足しないんだろうな。


「うわ、懐かし」


そんな声に釣られて顔を上げると、数十分前まで駆け回っていた体育館が目の前にあった。

薄暗い廊下に比べて不自然なほどに明るい体育館に、俺は思わず目を細めていた。


「なんか2週間って短いようで長かったよ。すごい懐かしい感じする」


興奮気味にそう言う里宮に「そうか」と応えながら、俺にとっては長い時間だったな、と思った。

この体育館に、雷校バスケ部のメンバーの中に里宮の姿がない2週間は違和感でしかなかった。


シューズを履いたりボールに触れたりするたびに目を輝かせる里宮を見ているとなんだか微笑ましい。

その表情から、バスケに対する恐怖や不安は感じられなかった。ただ、本当にバスケが好きなんだな、と素直に思う。


黒色の、俺と同じ部活着を着て、シューズを履いて、長い黒髪をポニーテールにして。

俺と同じリストバンドを着けた手がボールを持っている。里宮のその姿を見るのは2週間ぶりで、確かにどこか懐かしかった。


里宮がこの場所に戻って来たんだという実感が湧く。


「高津」


コート内にいた里宮が振り返る。

その姿が、どうしてかやけに大人びて見えた。


「私、バスケが怖かった」


その言葉を聞いて、俺は思わず目を見開いていた。

里宮のボールを持つ手が微かに震えている。

一瞬、俺の頭に勝ち誇った笑みを浮かべた里宮の顔がよぎった。


あの、里宮が……?


「変わるのが怖かった。独りになるのが怖かった。いつの間にか大人になって行くような……。自分自身が、怖かった」


俺は黙って里宮の話を聞いていた。

初めて聞くような“怖い”という里宮の“弱音”。

でも、それこそが紛れもない里宮の“本音”なんだ。


「でも、私には、バスケしかないから。バスケしか出来ないから。そうやって、“やらなきゃ”って思ってたけど。……私、もう、怖くない」


里宮はしっかりと顔を上げて、いつもと変わらない真っ直ぐな目で、言った。


「私、バスケが好き。大好き。いつの間にか忘れてた。私、好きだからバスケやってるんだって、忘れてた。失くしたものばっか見てた。変わって、新しく得たものだって沢山あった。あの頃だけが全てじゃなかった」


その言葉が合図だったかのように、里宮はどこかぎこちない動きでゴールに向けてボールを放った。

ガンッと音がして、外れそうになったボールはゆっくりとゴールに吸い込まれていく。


いつもの里宮のシュートじゃない。動きにも狙う場所にもズレが生じている。きっとまだ、本調子じゃない。戻ってない。……だけど。


「私はもう、戦える」


里宮の心は、しっかりと前を向いている。


「……明日、頑張ろうな」


そう言って右手を差し出すと、里宮は「おう!」と笑って小さな拳をコツンとぶつけた。

里宮の明るい笑顔は随分と久しぶりに見た気がした。

俺たちは2人きりの体育館で声を上げて笑った。

里宮は珍しく、くしゃっと目を閉じて歯を見せて笑っていた。



閉じた目の端に、うっすらと涙を浮かべながら。

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