142. 終止符の告白
「高津くんの好きな人って、雷校のエース!?」
信じられないとでも言いたげなアリスの大きな声がその場の空気を止める。店全体がしんと静かになった気もするが、そんなことを気にしている余裕はない。
確かに俺は、好きな人がいることをアリスに伝えるつもりだった。そうすることで、アリスの気持ちに応えることの出来ない俺でも真正面からアリスと向き合えると思った。
それなのに。
思わず口が滑ってしまった。
好きな人がいるという事実を伝えるだけで、それが誰かまでは言わなくてよかったのに……!
そんなことを考えつつ、目を丸くして口を開けたまま固まっているアリスを前に、今更誤魔化すことは出来そうもなかった。まぁ、既に自分の口で言ってしまったのだから仕方ない。
俺は諦めて小さく息を吐いた。
「そうだよ」
ハッキリと肯定すると、アリスはぴくりと眉を寄せて「そうだったんだ……」と小さく呟いた。その表情から、アリスが傷ついていることはすぐに分かった。
かける言葉が見つからずに口を開けたり閉じたりしていると、アリスは突然勢いよく顔を上げた。
「高津くん」
「は、はい」
意を決したような目に、自然と背筋が伸びる。
やがてアリスはもったいつけるようにゆっくりと深呼吸をして、ふわりと表情を緩めた。
「好き」
静かで短く、それでいてかけがえのない特別な言葉が心に浸透していく。
「ちゃんと言ってなかったから。曖昧なままで終わるのなんて嫌だし」
そう言って悪戯っぽく肩をすくめて笑ったアリスに、俺も釣られて笑った。
俺は、アリスの気持ちには応えられないけど。
……だけど。
ぐっと口元に力を込めて、ゆっくりと、心からの言葉を口にした。
「好きになってくれて、ありがとう」
* * *
「お疲れ」
「阜……待っててくれたの?」
「うん。……あーあ、2人して雷校バスケ部にフラれちゃったねぇ」
「うん……。くそー、ウィンターカップ予選絶対勝ってやるー!」
「「あはははは……」」
* * *
『だから、なに?』
『関係ないじゃん』
『私じゃダメかな?』
『好き』
ぼんやりとした頭の中で、いくつもの言葉が響く。
それなりに雑音の多い道だったのに、俺の耳にはアリスの声ばかりが張り付いていた。
「茜?」
聞き慣れた声にハッとしてはじめて、現実世界に引き戻されたような気がした。顔を上げると、そこに立っていたのは鷹だった。
「鷹? こんなとこで何してんだ?」
「塾だよ。今終わったとこ」
「あぁ、そっか。お疲れ」
鷹は最近塾に通い始めた。部活に支障が出ないよう、部活のある曜日とはずらして通っているらしい。
鷹の学力レベルなら塾に通うまでもないと思うのだが……。
「茜は? なんか用事?」
「あ〜……今、アリスに会ってきたんだよ」
言うと、鷹は「あぁ」と納得したように手を打った。
「さっきそこで工藤に会ったんだけど、“友達を待ってる”って言ってたからそいつのこと待ってたのかもな」
「そうだったのか……なんか、工藤らしいな」
「まぁ、あいつは優しいからな」
当然のことのようにそう言って、鷹はフッと頬を緩めた。親友のそういう顔を見ると、少しばかり悪戯心が疼く。押し付けたい訳ではないが、工藤と関わっている時の鷹の自然な姿を見ると決まって夢見てしまう。
鷹と工藤が上手くいけばいいのに、と。
そんなことを考えていると、鷹が「そういえば」とこっちを向いた。思わずギクッと肩が震える。
「なんだよ?」
「いや、なんでも」
「……ふぅん。で、結局どうなったんだよ」
「あぁ……」
思考を邪魔していた黒いもやの存在を再び思い出し、自然とため息が漏れてしまう。どうしようもない結果だったとは分かっているのに、もっと傷付けずに済んだ道があったのではないかという気持ちが止まない。
……でも、これが俺の出した唯一解だ。
俺はアリスとは友達でいたい。
「断ったよ」
それだけ言うと、鷹は「そうか」とどこか安心したような顔をした。俺が不思議に思っていることを察したのか、鷹は悪戯に笑った。
「お前には里宮がいるだろ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。やがてそれが鷹の冗談だと気付き、俺は思わず吹き出して笑った。
「なんだよそれ」
「笑うなよ。俺はかなり本気で夢見てんだから」
「そんなこと言ったら、俺だってなぁ」
暗くなり始めた空には似合わない笑い声が辺りに響く。寒さも忘れるほど笑い転げ、なんだかもやもやしていた気持ちはすっかり晴れていた。
「ありがとな、鷹」
言うと、鷹は「なにがだよ」と可笑しそうに笑って、「お疲れ」と俺の肩に手を置いた。小さく頷くと、鷹は昔から鋭い目を細めて穏やかに微笑んだ。
* * *
「大丈夫だよ、蓮」
温かな体温。優しい声。
痛かった。苦しかった。どうしようもなく、不安だった。
「怖かったよぉ」
情けない泣き声が部屋中に響く。
「大丈夫」
何度もそう言って、阜は私の頭を撫で続けていた。
* * *
「やっほー、蓮。久しぶり〜」
珍しく髪を下ろして膝より長いスカートを履いた阜が、満面の笑みで片手を上げる。そんな阜に応えて、私も軽く片手を上げた。
今日は日曜日。
少し前に私から誘った、阜が私の家に来る日。
休みの日に2人で会うのはあまりにも久々で、私は少し緊張していた。
「いやー、それにしても蓮の家なんていつぶりだろう? なんかめっちゃ懐かしいー」
上機嫌に笑う阜に、気付くと私も釣られて笑っていた。ドアを開けるのと同時に、阜が「おじゃましまーす」と室内に向かって声をかけた。
そんな阜を玄関で待ち構えていたのは……。
「いらっしゃい!」
キラキラと目を輝かせて、満面の笑みで仁王立ちした父さんだった。
「蓮のお父さん! お久しぶりですー!」
阜がハイテンションに声を上げると、父さんは更に興奮した様子で「本当に久しぶりだね! また来てくれて嬉しいよー」と阜の手を取った。
「あ、そういえばこれ。ケーキ買って来たんですよ〜」
「あぁ、ありがとう! 阜ちゃんは相変わらず優しいね〜」
「いえいえ! 私も食べたかったんで!」
「……あの」
あまりに2人の会話が終わらないので、思わず割り込んで声をかける。
「ここ、玄関」
言うと、2人は「「あ」」と思い出したように声を揃えた。
「ここじゃ寒いし、早く中入って」
もう季節はすっかり秋なのだ。風邪でも引かれたら困る。両手を広げて2人を促すと、2人は「「はぁ〜い」」と上機嫌に答えた。
『またまたおじゃまします!』
『いらっしゃい〜! 阜ちゃんならいつでも大歓迎だよ!』
『やったぁ〜!』
……ほんと、懐かしいな。
中学の頃を思い出し、自然と口角が上がる。
もう一度、こんな日が来るなんて思っていなかった。
『私の話も、聞いて』
あの時勇気を出して、本当に良かった。
「蓮? どうしたの? 早く入ろうって言ったの、蓮でしょ?」
不思議そうに首を傾げて、当たり前のように手を差し伸べる。阜がここにいてくれることが奇跡のように思えて、胸がいっぱいになった。
この気持ちに当てはまる言葉があれば良いのに。
形取ることの難しいこの感情を、そのまま阜に伝えられたら良いのに。
そんなことを思いながらも、結局私は「うん」とだけ答えて阜の手を取った。
阜の手は、あの頃と変わらず温かかった。