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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第4章
138/203

137. この感覚は誰のもの

やってしまった……。


聞き慣れたアラームの音を止め、ブランケットの中で大きなため息を吐く。昨日里宮に言ってしまった言葉が未だ鼓膜に張り付いていた。里宮の泣き顔も思い出しては胸を焼かれるような痛みに襲われ、夢の中でまで俺は里宮を悲しませていた。


……あんなことを言うつもりじゃなかった。

ただ里宮のことが心配で、何か少しでも力になれたらと思っただけだった。それなのに結局自分ばかり思いを叫んで、ぶつけた。これじゃあまた里宮を傷付けただけだ。


その上アリスにも酷いことをしてしまった。俺は里宮のことが好きなのに。アリスの気持ちには応えられないのに。

あの時、嬉しそうに輝いた目が、俺の胸に巣食っていた罪悪感を抉った。同じことを他人がしていたら、俺はひどく軽蔑するだろう。


『もうわかんねぇんだよ!』


どうして今更、あんなことを言ってしまったのだろう。

俺はただ、あいつの側にいられればそれで良いはずだった。

報われないことくらい分かっていた。苦しいことを覚悟して、辛いことを承知で、里宮のことを好きでいたはずだったのに。


……欲が出た。俺は、しっかりとは理解できていなかったのかもしれない。好きでい続けると同時に、“仲間”でい続けることの残酷さを。


「茜〜? 早く起きなさ〜い! 遅刻するわよ〜!」


下の階から呼びかける母の声が聞こえて、俺は殊更隠れるように身を縮めた。脳裏に里宮の涙が浮かぶ。

……もう会いたくない。今会ったら、また傷付けてしまうかも知れない。


「茜? 聞いてるの?」


コンコン、とノックの音がして、いとも簡単にドアが開かれる。


「まだ寝てるの!? 本当に遅刻するわよ!?」


部屋に入るなり驚いた声を上げる母に、言葉を返す余裕もなかった。体が重い。瞳を開けるのすら億劫だ。


「……学校行きたくない」


ぽつりと、消え入るような声が漏れた。目を瞑り、ブランケットを被ったまま深く息を吐く。こんな泣き言を言ったってどうしようもない。母の怒鳴り声が今にも聞こえてくるようだった。


しかし数秒後に聞こえてきた母の声は、予想していたものとは正反対のものだった。


「……そう」


落ち着いた声で一言言った母に、思考が停止する。


「じゃあ学校に連絡しとくから。とりあえず起きて朝ごはん食べなさい。お昼は冷蔵庫に入ってる昨日のカレー温めて食べていいから。じゃ、母さん仕事行ってくるね」


あまりにすんなりと受け流した母に、俺は思わずガバッと体を起こした。


「母さん!」


「ん?」


「……ありがとう」


呟くように言うと、母は何も言わないままそっと微笑んで部屋を出て行った。沈んでいた気持ちが、ほんの少し軽くなった気がした。




* * *




なんでこんなにも空は明るいのだろう。誰かの心が暗いのにも気遣わないで。はぁっと大袈裟にため息を吐き、開け放たれた窓の外を眺める。鬱陶しくすら感じられる陽の光。

緩やかに吹く涼し気な風。秋のはじまり。


「欠席〜は、高津ひとりか〜?」


不自然なくらいにきっちりと仕舞われた椅子。

昨日の出来事が頭に浮かび、自然と肩に力が入る。


……あんな高津、初めて見た。






『変わらないよ』


『この先何があっても、俺たちは今のままだ』


……“大丈夫”なんて、どうしてそんなこと言えるんだろう。

きっと、どうしたって変わってしまうものは止められないのに。怖くて怖くて堪らないから目を逸らしても、逃げることなんてできやしないのに。


「……い、お〜い、里宮〜?」


ハッとして顔を上げると、目の前で不思議そうな顔をした長野が立っていた。


「どーしたんだよ、ぼーっとして」


私の不調を疑うように顔を覗き込んでくる長野に、「なんでもない」とだけ答えて視線を逸らす。

私たちはいつもの裏庭に集まって弁当を食べていた。優しく吹く風がほんの少し肌寒くて、落ち着いた空気は暖かくて。


私はこの場所が好きだった。

皆が“チームメイト”としてではなくかけがえのない“友達”として集まる場所。


「そういえば高津、風邪って言ってたけど大丈夫かな」


川谷が不安そうな顔をして言うと、「LINEの返事も来ないしなぁ」と五十嵐もスマホを覗き込みながら声を溢した。


風邪、か……。

私は小さく息を吐いてLINEを開いた。風邪なんかじゃないことくらい、私が一番分かっている。

……高津は、昨日のことをまだ怒っているんだろうか。


“昨日はごめん”


グループラインではなく高津とのトークルームに短い一文を送り、次に何を送るべきか分からず改行ボタンを連打する。


『イライラすんだよ! そーやって無神経なことばっか言って……!』


『ひとりになりたくないだけだろ!』


……分からない。

なんであんなに怒ってたの? “無神経なこと”ってなに?

私、何か嫌なこと言った?

ちゃんと、謝るから。謝りたいから。

教えてよ、高津。


“ちゃんと話したい”


震える指で、なんとか送信ボタンを押す。高津があんな風に言ったのには、必ず何か理由があるはず。

私も、ちゃんと話を聞かないと。




* * *




高津にメッセージを送って約3時間。

放課後になっても高津からの返信はなかった。既読すらついていない。もしかして、本当に風邪だったのか?

だとしたら休んでる所に連絡して悪かったかな。でも結局言っておかなきゃいけないことだし……。


「里宮先輩!」


背後から唐突に名前を呼ばれ、思わず驚いて振り返るとそこには篠原が立っていた。


「どうした?」


「えっと、黒沢先輩が……里宮先輩が何度呼んでも気付かないから、呼んで来いって」


「あぁ、悪い」


謝りながら、そんなに何回も呼ばれたっけ? と首を傾げる。やがて軽いミーティングが終わり、適当なチームでの試合が始まった。“試合”という響きが心に重くのしかかる。

昨日、あの試合で、私は。


「里宮!」


ハッとして顔を上げ、飛んできたボールを反射的に受け取る。……足が、動かない。どっちに行けばいいんだっけ。今まで、何を見て判断してたんだっけ。

私、今まで、どうやって──……。


“バチッ”


振り返った時にはもう遅かった。

背後から私のボールをさらった人影は、すでに前方のゴールを目掛けて走り出していた。


「シノ!」


相沢に名前を呼ばれた篠原が、素早い動きでパスを回す。


『やってもできない人間だっているんです』


『僕は……こんなにも弱いんです』


「篠原、ナイスパース!」


誰かの声でハッと我に帰ると、既に点を取られた後だった。

篠原の眩しい笑顔が、なぜかすごく遠いように思えた。

……おかしい。調子が悪い。今まで何年もバスケを続けてきて、こんなことは一度もなかった。胸の内で膨らんだ不安が、着々と心を侵食していく。


……違う。バスケだけは大丈夫だ。バスケだけは死んでない。バスケだけは、変わらない──……。


いつも感じている風。髪の揺れる感覚。鼓膜に染み付いた音。触り慣れたボール。

私は変わってない。何もおかしくなんてない。


“ガンッ”


ゴールから随分離れたボードにぶつかったボールが、呆気なく地面に落ちていく。……違う。明らかに違う。外すにしても、こんな外し方……。


……誰だ。

こんなの、私じゃない。



こんなの、私のバスケじゃない。

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