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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第4章
133/203

132. 巣立ち

「ただいま」


……ずっと言い出せずにいた。

自分のことを想ってくれているのを知っていたから。

色々な人間に出会って、この環境が“普通の人”とは違っていることに気付いても、認めるのが怖かった。


“異常”だと、分かっていても止められなかった。


「親父」


でも今は、あいつがいるから。あいつらがいるから。

このままじゃ駄目なんだって、痛いほど分かるよ。


「俺はもう大丈夫だから」


皺ひとつない背広に包まれた体がピタリと動きを止める。

親父が顔を上げるより先に、俺は言葉を繋げた。


「……1人で頑張ってみたいこと、見つけたんだ」


だから、応援して欲しい。俺にも、自分の力だけで出来ることがあるって思わせて欲しい。祈るように瞑っていた目を開けると、一番に親父の歪んだ顔が見えた。

その瞬間、心臓がズキンと大きな音を立てる。


「……私は、お前を守るために」


「うん。……でも俺、茜に再会して、色んなやつらに会って、やっぱりこのままじゃ駄目だって思った。……自分が、恥ずかしくなった」


未だ両親に守られて、1人で立つことすらままならない自分が。


「……あいつらは、皆1人で立ってんだ。自分の弱いとこも、狡いとこも全部受け入れて、支えあって立ってんだ。そんなあいつらが羨ましくなった。……俺も、そうなりたいと思った」


親父は口を閉ざしたまま目を伏せていた。俺の話を聞いてくれているのかどうかも分からない。


「親父」


ゆるゆると顔を上げた親父の鋭い瞳が、真っ直ぐに俺を射抜く。


「本気だよ」


俺はもう、1人で立たなくちゃいけない年齢なんだ。


「今も俺は弱いかも知れない。この先、挫けることがあるかも知れない。……けど、もう二度と親父の力は借りない」


ぐっと拳を握りしめる。目の前で動けずにいる親父はまるで叱られた子どものように見えた。怒りと悲しみが入り混じったような目が、じっと俺を見つめている。

俺はずっと、この表情から逃げていたのかも知れない。

……だけど。


「……お願いします。1人で、立たせてください」


ここで変わらないと、意味がないんだ。






「お父さん。本当に鷹のことを大切に思うなら、鷹の好きなようにさせてやって」


「…………お前にも分かるだろう、陽子。私は鷹のことが心配なんだ。あの子が弱いことは私が一番よく知っている。あの子が傷付いた時、失敗した時、しっかりと立ち直れるのか……。自分でも過保護なのは分かっている。それでも、不安なんだ。心配なんだ……」


「……例えこの先あの子が傷付いても、失敗しても、それはあの子が選んだ道よ。いつかきっと、あの子にとって最善の道を選べる日が来るわ。……今は独りじゃないみたいだしね。私たちに出来ることは、影から見守っていてあげることだけ。……あの子がどんな道を選ぶのか、2人で見届けましょう」


「…………あぁ。そうだな――……」




* * *




「げ」


少し肌寒くも、日差しの心地良い午後。俺は前回より少し低い点数のテストを手に顔をしかめていた。やはりあの勉強時間では厳しかったらしい。


「さてはお前、点数下がっただろ」


絶望が顔に出てしまっていたのか、隣で一部始終を見ていた鷹が苦笑しながら言った。


「お察しの通り。鷹は?」


「96!」


「聞くんじゃなかった」


得意気にピースをしてくる鷹の頬を摘むと、鷹は「あらやだこわぁい」と戯けてみせた。まぁ、この高得点も並々ならぬ努力の結果なのだろう。その割に涼しい顔をしているから、元々なんでも出来るやつだと誤解されて妬まれることも多かったのだが。


「そうだ、茜」


「ん?」


「……俺、言ったよ」


それだけ言った鷹に何のことだか分からず首を傾げると、鷹は可笑しそうに小さく笑った。


「親父に。もう助けはいらないって。……ちゃんと、分かってくれたと思う」


……あの頃からずっと、息苦しさに押し潰されてしまいそうな鷹が心配だった。鷹は、優しいから。父親の手が好意だと知っていたから、振り払えなかった。

狡い自分、弱い自分、それを自覚しながらも逃れられない環境が鷹を苦しめていった。


鷹は他の誰でもない自分と戦っていたのだ。そんな鷹がいつか解放されることを、俺はずっと願っていた。

もちろん、鷹の父親だけが悪者だった訳ではない。差し出された手を振り払えば良かっただけの話でもない。


鷹はしっかりと自分の気持ちを言葉にして、父親の心に触れたのだ。必ずしも良い方へ転ぶとも限らない行為。それにどれだけの勇気がいるのか、俺には分からなかった。


「……よかったな、鷹」


それ以外の言葉が見つからなかった。鷹があの父親に対しても本当の気持ちを言えるようになったことが、堪らなく嬉しい。……本当に、よく頑張った。


「ありがとな、茜」


「ふ、なんでだよ。俺は何もしてないだろ」


思わず笑いながら言うと、鷹は悪戯っぽく歯を見せて笑った。


「それでもいんだよ。茜がいたから俺は強くなれたんだ」


恥ずかし気もなくそんなことを言ってのける鷹に、俺は思わず笑ってしまった。あの頃からずっと、俺たちの強さの糧は変わっていない。互いの存在が、互いを支える力になる。

俺だってそんなことを信じてしまっているから、人のことは言えないのだが。


「……言っとくけど、そんなこと言ったって何もやらないからな」


「スタバの新作……」


「自分で買え!」




* * *




ホームルームが終わり部活の時間になると、鷹と練習メニューを確認してから部室へ向かう。部活着に着替えて体育館へ行くと、後輩たちが準備を終えてアップをしている。

大きな挨拶に応え、荷物を置いてシューズを履き、大体の部員が揃った所で練習を始める。


先輩たちが引退し、俺がキャプテンになってから早くも1ヶ月の時が過ぎようとしていた。初めは不慣れだったまとめ役もなんとかこなせるようになり、俺たちは順調にスキルアップしていた。


……ただひとつ、気掛かりなことがあるとするならば。


「お疲れ」


聞き慣れた声と同時に、ドサッと荷物を置く音が響く。

体育館の隅で休憩を取っていた俺の背後から現れたのはいつも以上にだるそうな顔をした里宮だった。


「お疲れ。里宮が遅れるなんて珍しいな」


「うん。おっさんに捕まってた」


そう言って全力で顔をしかめる里宮に思わず苦笑する。

“おっさん”とは恐らく岡田っちのことだろう。いつものように“岡田っち”と呼ばないあたり、相当面倒なことを言われてきたのだろう。


「それは災難だったな」


テキトー教師の割に他の教師から圧力がかかると妙にねちっこい岡田っちの姿を思い出しながら言うと、里宮は「ほんとだよ」とわざとらしくため息を吐いた。


いつも通りの会話。いつも通りの空気。いつも通りの態度。

そういったものを再認するたびに安堵の息を吐く。

俺の考えすぎかも知れないが、最近の里宮はどこか可笑しい。何か悩んでいるように見えたり、寂しそうに見えたり、かと思えばいつものように笑ったりもする。


……分からない。里宮が一体何を考えているのか。

一体、何に悩んでいるのか。


「高津」


「ん?」


「あのさ、文化祭の時……」


瞬間、里宮の表情が曇る。繋いでいた言葉は段々と尻すぼみになり、やがて消えてしまう。

その時、背後から芯のある声が響いた。


「里宮さん」


反射的に振り返ると、そこに立っていたのは辻野先生だった。相変わらず皺ひとつないパンツスーツを端正に着こなしている。突然の登場に混乱している俺とは違って、既に何かを察した様子の里宮はわざとらしく深いため息を吐いた。


「……やっぱなんでもない。忘れて」


呟くように言うと、里宮は「ちょっと抜ける」とだけ言い残して辻野先生と共に体育館を出て行った。口を開く間もないまま、足早に遠ざかっていく2人の後ろ姿を見送る。

小さな背中で揺れるポニーテールの髪が、バスケをする皆の姿を羨ましがっているように見えた。

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