127. 怒涛の文化祭
「あれ、高津?」
2年B組へやってきたにも関わらず入口付近で立ち止まっていると、暗幕の向こうから五十嵐の声が聞こえた。先程の名残りか未だクスクスと笑っている里宮をスルーして薄暗い教室に足を踏み入れる。クーラーが強めにかけられているのか教室内にはひんやりとした空気が充満していた。
蝋燭を模した薄赤い光に照らされるカウンター。そこに立っていたのは吸血鬼姿の五十嵐だった。鋭い牙を生やし、赤黒いマントを身に付けた五十嵐は目の端がほんのりと赤くなっていて、メイクをしていることが分かった。唇の端には涙のように細く垂れる真っ赤な血まで描かれている。
その完成度に驚き、思わず「おお」と軽く身を引いてしまう。
「今休憩? っと、里宮もいたのか。小さすぎて見えなかった」
揶揄うように目を細めて言う五十嵐に、里宮は無言で鋭い視線を向ける。せっかくの上機嫌が台無しだ。責任取って欲しい。そんなことを考えていると、「五十嵐くん!」と背後から聞き慣れない声が聞こえて、俺は反射的に振り返った。
肩の上辺りで切り揃えられた軽そうな髪。人懐っこさを感じさせる丸い目。
雷校の生徒ではないのか、初めて見る顔だった。
丸い目でぱちぱちと瞬きを繰り返す女子は、不思議そうに俺と里宮を見比べて軽く小首を傾げた。
「あぁ、こいつらはバスケ部のエースとキャプテン。高津、こっちは高橋 舞」
五十嵐がカウンターから出て女子の細い肩にぽんと手を置く。微かに顔を伏せた女子の頬がじわじわと赤く染まっていった。高橋……どっかで聞いたような……。
「それ彼女?」
横から唐突に言い放った里宮に、頭の中で火花が弾ける。
高橋 舞。五十嵐の“呪い”の原因であり、初恋の相手であり、今となっては五十嵐の彼女。
「あぁ、うん。そうだよ」
なんでもないことのように肯定した五十嵐に、彼女は更に頬を赤らめながらも嬉しそうにはにかんだ。一方里宮は「ほーん」とどうでもよさそうに言ってから「気をつけろよ」と小さく言った。
「「え?」」
五十嵐と彼女が同時に首を傾げると、里宮は顎で辺りにいた女子たちを示した。俺たち……というより五十嵐と彼女をガン見する女子たちは見事に全員目を見開いていた。
「五十嵐ファンの女子」
里宮がそう言ったのと同時に、辺りにいた女子の大群が滝のように押し寄せてくる。
「五十嵐くんって彼女いたの!?」
「うそー! ショックー!」
どんどん集まってくる女子たちに、俺と里宮は目配せをしてこっそりとその場から抜け出した。
「ちょ、高津! 里宮!」
人だかりの中から五十嵐のSOSが届くが、俺たちはにっこりと微笑んで親指を立てておいた。
健闘を祈るぞ、五十嵐。
「裏切りものぉぉぉ!!」
背後から聞こえる叫び声にも顧みず、俺たちは爆笑しながら先の廊下へと走って行った。
「五十嵐くん、もの凄い人気者だね」
「いや……」
「モッテモテだね」
「……だから、悪かったって。舞」
名前で呼びかけてみるが、高橋は拗ねたように顔を背けたままだった。
「そんなプリプリしてると……」
高橋の柔らかい頬を摘んでむりやり振り向かせ、悪戯っぽく口角を上げる。
「血、吸っちゃうぞ?」
「!」
高橋はみるみるうちに顔を赤くして、ベチッと俺のおでこにデコピンを食らわせた。
「いて」
「調子乗んな、バカッ!」
* * *
「ほんと格好いい……目の保養だわ……」
「ね……成績優秀だし優しいし……」
「そんな川谷くんと付き合ってるなんて……」
「「ずるいよ! 香澄!」」
「え、えぇ〜?」
「隠してるつもりだろうけどいい加減勘づいてる人多いと思うよ〜? いっそクッキー渡して公開告白しちゃえば?」
「クッキー?」
「ほら、毎年生徒会が売ってるじゃん! “告白の時に渡すと恋が叶う”ってやつ!」
「なんか……すごい策略だねぇ」
「バレンタインのチョコみたいなもんでしょ。カップルでも交換する人多いらしいし香澄も渡しなよ!」
「え〜? なんでそんな公開告白させたがるの……」
「川谷くんフリーだと思ってる女子たちがいい加減かわいそうなんだよ! さっさと公認カップルになって堂々とイチャイチャしろ!」
「なにそれ〜」
「「あはははは……」」
「腹減った」
吐き捨てるようにそう言った里宮は不機嫌そうに桜色の唇を尖らせた。それもそのはず、休憩という名の宣伝業務はかなりハードで先輩や後輩、他校の生徒にまで声をかけられ写真を求められ、俺たちはすっかり昼食を食べ損ねてしまっていた。
人混みが大嫌いな里宮は苛立ちを隠せない様子で顔をしかめている。初めは上機嫌だった里宮も流石に疲れたのか、はたまた空腹のせいかいつも以上に目つきが鋭いように見えた。
それはそれでメイド服とのギャップになり更に目立ってしまうのだが……里宮はその悪循環には気が付いていないらしい。
「じゃあそろそろなんか食いに行くか。……あ、ちょうど川谷のクラスたこ焼きだって」
すれ違った生徒が持っていたパネルを見て言うと、里宮は分かりやすく目を輝かせて足取り軽く俺の横に並んだ。
こういう時に限っては単純なやつだ。
思わず漏れる笑いを隠しながら賑やかな廊下をしばらく歩くと、一番端のクラス、2年E組が見えてきた。
「2年E組、たこ焼き作ってまぁ〜す! 美味しいよ〜!」
青い法被を着た女子が明るい声で客引きをする横をすり抜け、教室の中に入る。教室はクーラーが効いているようだったが、火を扱っているせいか少しムッとした暑さがあった。
教室内を軽く見回し、窓際に設置された屋台でたこ焼きを焼く川谷を見つける。
「あ、かわた……」
「川谷くん!」
どこからか唐突に飛び出した女子の声に、俺の声は呆気なくかき消された。
「これ、よかったら貰ってくれないかな……?」
頬を真っ赤に染めた女子が差し出したのは、綺麗にラッピングされたハート型のクッキーだった。それを見た里宮が横から……というか下から余計なことを言う。
「あいつ彼女いるくせになに……」
「シッ!」
声を潜めるでもなくとんでもないことを言おうとする里宮の口を慌てて塞ぐと、じろりと不服そうな視線を向けられる。
そんなに睨まなくても。
「何。秘密なの?」
「いや分かんねぇけど……」
「じゃあなんで」
「だって……」
お前も見ただろ、さっきの。
口々に言いたいことを言う女子たちに揉みくちゃにされる五十嵐の姿を思い出しながら苦笑していると、何かを察したのか里宮も「あぁ」と頷いた。
「あれは地獄だった」
「地獄って……まぁ分からなくもないけど……」
その時、ざわつきに包まれていた教室に芯の通った声が大きく響いた。
「ダメッ!」
ほとんど絶叫に近い声に、誰もが話すのを辞めてその声の主へ目を向ける。俺と里宮もそのうちのひとりだった。水を打ったようにしんとした教室の中心で、肩を震わせる女子が1人。
「飯島さん……?」
誰かが発した声が合図だったかのように、教室は一気にどよめいて中心にいる川谷と飯島さんに注目が集まる。血の気が引いたように青い顔になった飯島さんは、段々と顔を強ばらせていく。
「あ……っご、ごめんなさい……!」
蚊の鳴くような声でそれだけ言うと、飯島さんは逃げるように教室を出て行ってしまった。その姿に目を見開いた川谷が行動するのは早かった。
「ちょ、俺抜けるわ!」
美味そうな音を立てるたこ焼きには目もくれず、川谷は慌てて教室を飛び出して行った。
「なんだったんだろ今の……」
「さぁ……付き合ってたんじゃない?」
「えー!? 嘘ー!」
「最近あの2人やけに仲良かったもんね〜。違うクラスなのに〜」
「え〜、川谷くんまで彼女できちゃったの〜?」
「え、までって何!?」
「五十嵐くん彼女いたんだよ、他校に」
「まじで!?」
「嘘でしょ!?」
ほとんど放心状態になりながら耳に入ってくる周囲の会話を聞いていると、目の前にぬっと何かが差し出された。
「うわ!?」
思わず大声を上げて身を引くと、いつの間に手にしていたのか里宮が熱々のたこ焼きを無表情のまま突きつけてきていた。
「不安そうな顔してんなよ。心配しなくてもあんなん川谷がなんとかするって」
「あ、あぁ……それもそうだな……」
相変わらず、里宮の頼もしさは変わらないな……。
そんなことを思いながら、突きつけられたたこ焼きを素直に頬張る。熱々トロトロのたこ焼きは夏祭りを想像させ、なんだか懐かしい味がした。
「待って……っ香澄!」
やっとの思いで手首を掴むと、香澄は細い肩を震わせて呟くように「ごめんね」と声を零した。人気のない廊下に微かな嗚咽が響く。寂しげな背中を柔らかく抱き締めると、彼女の暖かな体温が伝わる。
「健治、くんのこと、私だけが知ってたら良かったのに……」
「……っ」
『あぁ、飯島 香澄? めっちゃ可愛くね?』
『彼氏いんのかな〜』
「……そんなの、俺だってーー……」
小さく呟いて、抱きしめる腕に力を込める。まるで縋るように。
……独占欲は、時々誰かの心を苦しめる。
そして時々、誰かの心を温める。