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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第3章
122/203

121. 託された未来

廊下の窓から覗く空はすっかり暗く、吹く風は生ぬるい。

風呂上がりで火照った頬にさほど涼しくもない風を感じながら、食堂へ向かう部員たちの流れをそっと抜ける。そのまま部屋の方へ行こうとした時、後ろから「おーい」と聞き慣れた声が響いた。


反射的に肩が震え、心臓が飛び跳ねる。若干の気まずさを抱えていただけあって、なんだか悪行を見取られたような気分になる。


「飯食わないのか?」


形の整った眉が不思議そうにひそめられる。少し濡れた髪のままそこに立っていたのは坂上先輩だった。


「いや、その……篠原の様子見てから行こうと……」


「あぁ、体調悪いんだっけか?」


すぐに納得した様子でそう言った先輩に、ひとつ頷く。

あれから岡田っちは渋々ながらも篠原を辻野先生の所まで運んでくれたらしく、後にしばらく部屋で休む旨を伝えに来てくれた。流石にあの状態の篠原を置いて岡田っちが逃げ出すとは思っていなかったが、報告を受けた時は心の底から安堵の息を吐いた。


結局練習中には戻って来られなかった篠原のことが心配なのはもちろんだが、肝心な所を岡田っちに丸投げしてしまったという罪悪感も大きい。


「俺も行くわ。篠原のこと心配だし」


そう言って隣に並んだ先輩に、俺も頷いて歩き出した。

なんとなく、先輩ならそう言うんじゃないかという気はしていた。何せ篠原は俺にとっても先輩にとっても可愛い後輩なのだ。


薄ぼんやりとしたオレンジ色の照明に照らされながら廊下を進んで行くと、目指していた部屋のドアがタイミングを見計らったかのように開き、中から辻野先生が姿を現した。

隣から「げ」という呟きが聞こえるが、聞かなかったことにしておこう。やがてこちらを向いた切長の目が、驚いたように少しだけ大きくなる。


「こんな所で何しているの? 食事は?」


ただ尋ねられているだけなのかも知れないが、その声色はやけに攻撃的に聞こえた。叱られている訳でもないのについ逃げ出したくなってしまう。


「えっと、篠原のことが心配で……」


説教中に言い訳をする子どものような口調になりながら何とかそう口にすると、辻野先生は「あぁ」と一度部屋の方へ目を向けて頷いた。


「もう大丈夫よ。軽い熱中症だったみたい」


そう言った辻野先生の口元が僅かに緩む。辻野先生のそんな表情を見るのは初めてで、微笑んでいるのだと理解するのに少し時間がかかった。


「様子を見たらすぐに食堂へ来なさいね」


軽く動揺していた俺のことなど気にも留めず、先生はそれだけ言って颯爽と長い廊下を歩いて行った。まっすぐに伸びた背を見送りながら、坂上先輩が深く息を吐く。


「悪いな高津……3年経ってもあの威圧感には慣れねぇわ……」


「いえ……先輩が1年生の頃からいるんですか? 辻野先生」


「あぁ……1年の頃はもうちょい柔らかかった気もするけど……最近は進路相談とかもあるし尚更気まずいんだよなぁ」


言いながら、坂上先輩が苦虫を噛み潰したような顔をする。

そういえばあの人進路指導部長だったな……。

ぼんやりと記憶されていたことを思い出し、進路指導室で辻野先生と相対する自分を想像してみる。

……鋭い瞳。無言の圧力。握る手には冷や汗。


「うん? どした、高津」


「……なんでもないです」


あまりの恐ろしさに自分の想像力を呪いながらも、気を取り直して目の前のドアを軽くノックする。ドアを開けると、隙間なく敷き詰められた布団の上に腰を下ろしていた篠原の姿が目に入った。額に冷却シートを貼り、ゼリーを口に運ぼうとした状態のまま固まっている篠原を見て思わず吹き出して笑ってしまう。


「あ、先輩。どうしたんですかぁ?」


人懐っこい目を細めて小首を傾げた篠原の頬は僅かに赤く染まっていて、まだ少し熱があることを感じさせた。


「どうしたんですかって、心配して来たんだろ」と坂上先輩が呆れたように言うと、篠原はえへへと笑って「すみませぇん」と軽く頭を下げた。


「もう大丈夫なのか?」


昼間よりは体調も戻っているように見えたが一応聞くと、篠原は答える代わりににっこりと微笑んだ。その意図が掴めず、「なんだよ」と小さく笑うと、篠原は嬉しそうに目を細めて言った。


「高津先輩、ありがとうございました。あの時は本当にしんどくて……気付いてくれた時、嬉しかったです」


「全く……気付かれる前に休めよな。朝から調子悪そうだっただろ」


「あはは……バレちゃってましたかぁ」


情けなさそうに笑いながらそんなことを言う篠原に、「あのなぁ」と呆れ顔を浮かべつつ、ふにゃっとした笑みがどうにも憎めない。結局それ以上強くは言えず、「これからはちゃんと休めよ」とだけ釘を刺すと、篠原は「分かりました〜」と間の抜けた声で返事をした。


本当に分かってるのか……?

若干疑わしくはあったが、とりあえずこれで一件落着だろう。そんなことを考え小さく息を吐くと、ふいに坂上先輩がこっちを見ていることに気が付いた。その目は驚いたように丸くなっている。不思議に思って首を傾げると、先輩はハッとた様子で首を振った。なんでもない、ということだろうか。俺から目を逸らした先輩は、まるで何かを誤魔化すように素早く口を開いた。


「そういえば篠原、夕飯食べないのか? 食欲ない?」


「ん〜、ないわけじゃないんですけど、辻野先生がゼリーくれたのでこれで良いかなって」


「そうか。まぁ、明日は帰るだけだしな。今日は早めに寝ろよ」


「はぁい」


篠原の緩い返事を合図に、俺たちは部屋を後にした。

食堂へ向かう廊下をしばらく無言で歩いていると、坂上先輩が静かに口を開いた。


「高津、気付いてたんだな。篠原が体調悪かったの」


「なんとなくですけど……あの、気付いた時点で休ませるべきでしたよね……すみません」


先輩の真剣な瞳がどこか怒っているように見えて、俺は言葉を選びながら小さく頭を下げた。恐々と先輩の言葉を待っていると、先輩はふいに頬を緩めて小さく笑った。


「別に怒ってる訳じゃねぇよ。自己管理も必要だしな。……ただ、安心したんだよ」


予想外の言葉に首を傾げると、先輩は悪戯に微笑んだ。


「俺たちが引退しても全然大丈夫だなぁってさ。これからはお前らが雷校バスケ部を引っ張って行ってくれよ」


先輩の言葉が、ゆっくりと脳に浸透していく。

じわじわと心が温まり、俺は大きく「はい!」と答えた。


「頼んだぞ」


その言葉と共に、坂上先輩が俺の肩にポンと手を置いた。


「よっし、飯食うか〜」


頭の後ろで手を組んで歩き出した先輩の背を追うように、ゆっくりと足を踏み出す。1年の頃から、ずっと憧れだった姿。コート内を駆ける姿はもちろん、チームメイトを思いやる姿や眩しい笑顔は俺の記憶に色濃く残っている。

……俺もいつか、先輩のようになりたい。そんな風に思っていた“いつか”は、もう目の前にある。



先輩に手を置かれた肩が、ずっしりと重たい気がした。

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