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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第3章
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119. 憧憬の背

目を開けると、一番に知らない天井が見えた。

いつもと違う枕の感覚に、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなる。寝ぼけ眼を擦りながら辺りを見回し、漸く合宿に来ていることを思い出して上体を起こす。

隣に辻野の姿はなかった。皺ひとつない敷布団の上にはきっちりと畳まれた掛け布団が置かれている。


枕元から消えていたのは、桜のコンコルドクリップと黒い眼鏡。早朝の日差しに照らされて煌めく銀が目に眩しい。

辻野の枕元には、傷一つない結婚指輪が置き去りにされていた。




* * *




「集合ー!」


坂上先輩が声をかけ、部員たちが一斉に体育館の端に集まる。


「これから、俺が司会をする最後のミーティングを始めます!」


出来ることなら目を背けていたかった現実。

残される者達の感情を置いて、時は進んでいく。

高津 茜、17歳。今日で夏は終わってしまう。






「嫌だな……」


「高津、それ朝から何回目だよ」


コートで後輩の練習に付き合う先輩たちの姿を眺め呟くと、五十嵐が横から呆れた声で言った。


「だって、今日で最後だぞ?」


念を押すように言いながら、その事実が自分にもありありと突きつけられ深いため息を落とす。

なんだかんだ大きなトラブルもなく迎えた合宿最終日。

受験生である先輩たちは今日で引退。これからは1、2年生のみで練習を続けることになる。


後輩たちのことを信用できないという訳ではないが、先輩たちがいなくて本当に大丈夫なのか、という不安は少なからずある。


「まぁ先輩たちみたいには出来ないかも知れないけど、俺たちも頑張ろうぜ。堂々としてないと先輩たちも不安だろ」


「そうなんだけどなぁ〜」


ガシガシと頭を掻きながら、情けなくも弱音を吐いてしまう。五十嵐の言うことは最もなのだが、追いかける背のない中でバスケをすることがどうしても非現実的なことに思えてしまうのだ。自らの未練がましさに呆れつつ気合を入れ直して顔を上げると、ふとコート内の後ろ姿に目が止まった。

五十嵐に断りを入れ、足早にコートの端で汗を流す少年の元へと向かう。


「篠原」


声をかけると、俺が近づいていることに気付いていなかったのか、篠原は弾かれたように顔をあげた。

赤く火照った頬に汗が伝う。


「あれっ? どうしたんですか、高津先輩」


不思議そうに丸くなった目はとろんとしていて、吐く息はいつも以上に荒い。火照った頬も暑さだけのせいではないだろう。明らかに体調が悪そうな篠原の腕を引き、とりあえずコートから抜け出す。篠原は首を傾げながらも素直に俺の後をついてきた。


「高津ー? 何かあったのかー?」


体育館を出ようとしたところで坂上先輩に呼び止められ、振り返りながらも篠原の様子を窺う。ぼぅっとどこかを見つめる目には力がなく、瞼も重そうだ。一瞬迷ったが、コート内の先輩に向かって声を張り上げる。


「大丈夫なんで、練習続けてください!」


本来なら報告してから抜けた方が良いのかも知れないが、篠原の状態を見るとコート内に居る先輩のところまで歩くのは難しいだろう。先輩には後で報告するとして、俺は篠原を連れて体育館を出た。重い扉がバタンと閉まると、篠原はぼんやりしながらも不思議そうに俺を見上げて説明を求めてきた。


「篠原、熱あるだろ」


単刀直入に言うと、篠原は「へ?」と声を漏らして首を傾げた。


「あんまり無理するなよ」


そう言った直後、篠原の体がふらっと揺れる。慌てて腕を出し、思ったより軽い体重を受け止め安堵の息を吐く。肩を支えなんとか倒れるのは阻止したが……。どうしよう。

とても歩ける状態ではなさそうな篠原を支えながら思考を巡らせていると、「あれ、高津?」と間の抜けた声が耳に届いた。


ハッとして顔をあげると、そこに立っていたのは岡田っちだった。相変わらずよれよれのTシャツを着て悠々とあくびをしているテキトー男の登場で、緊張していた空気が一気に緩む。呆れ笑いを浮かべながらも、どこかで安心している自分がいた。


「それ篠原か? どうした?」


項垂れている篠原に気付いた岡田っちが、先程まであくびをしていたとは思えないほど真面目な顔で近寄ってくる。

見かけに反して岡田っちは察しがよく、(時と場合によるが)頼れる所がある。こんなにも頼りない風体をしているのに、岡田っちは確かに大人で教師なのだ。


「なんか体調悪そうで。たぶん熱あると思う」


「まじか……なんかこいつ貧弱そうだもんな……」


「いや知らないけど……まぁ、後は任せた」


篠原の肩を支えていた手をさりげなく岡田っちの手にすり替え、呆然としている岡田っちに篠原を預ける。岡田っちは何が何だか分からない顔をしていたが、詳しい説明はせず微笑んでおく。


「ちょ、おい待てよ!」


「俺練習戻んないとだから! 篠原のこと医務室まで連れてって!」


「お前辻野先生のとこに行きたくないだけだろ!」


図星を突かれ一瞬言葉に詰まるが、なんだかんだ言いながら岡田っちもしっかり篠原のことを支えていたので、ここは逃げるが勝ちである。


「とりあえず頼んだ!」


「待てって! 俺を1人であの人のとこ行かすな!」


なんとも情けない言い分が廊下中に響き、思わず笑ってしまう。その声と必死な顔が、いつかの記憶と重なる。


『あ、ちょーどいいや岡田っち! 里宮が起きないんだけど、保健室に運んどいてくんない?』


『は!? ちょ、待てよ!』


つい最近のことのように感じる何気ない日の記憶も、気付けば1年前のことになっていた。ありふれた日常が何より楽しくて、このまま変わらない日々が続いていくような錯覚に陥ってしまうが、時間は止まることなく進んでいく。

今日先輩たちが引退するように、俺たちにも引退する日がくる。その時まで、今しかない日々を大切にしていこう。



そんなことを考えながら、俺は岡田っちに笑顔で手を振りゆっくりと体育館のドアを閉めた。

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